この記事でわかること
結論を先に言うと——荀子(じゅんし)の「性悪説(せいあくせつ)」は、「人は生まれつき悪い」という説ではありません。「人は放っておくと欲にひっぱられてしまう。だからこそ、学びと礼(れい)で自分を整えていこう」という、とても前向きで実践的な考え方です。
この記事では、次のことがやさしく分かります。
- 荀子の有名な一文「人の性は悪なり、其の善なる者は偽なり」を、白文・書き下し文・現代語訳で読む
- つまずきやすい「偽」という字の本当の意味(「うそ」ではありません)
- 孟子(もうし)の「性善説(せいぜんせつ)」と、どこがどう違うのかを対照表で整理
- 二人は対立しているのに、じつはめざすゴールが同じだということ
同じ儒家(じゅか=孔子の流れをくむ人たち)の中で起きた、有名な「人間の本性」をめぐる論争です。難しそうに見えますが、ポイントをおさえれば一気にスッキリしますよ。
そもそも荀子ってどんな人?
荀子は、本名を荀況(じゅんきょう)といい、「荀卿(じゅんけい)」とも呼ばれます。戦国時代の末期(紀元前3世紀ごろ)に活躍した、中国の思想家です。趙(ちょう)の国の生まれと伝えられています。
大事なのは、荀子も孔子(こうし)・孟子と同じ儒家だということ。つまり「立派な人間になって、世の中をよくしよう」という方向は、孟子とまったく同じです。ただし荀子は孟子よりあとの世代の人で、先に広まっていた孟子の「性善説」に、真っ向から「いや、それは違う」と反論しました。
荀子は何より「礼(れい)」を大切にしました。礼とは、社会のルールやふるまいの型のこと。「人は学んで礼を身につけることで、はじめて善くなれる」というのが荀子の信念です。
ちなみに、荀子の弟子からは韓非(かんぴ=韓非子)や李斯(りし)といった人物が出ました。彼らは「法(ルールと罰)で国を治めるべきだ」と考える法家(ほうか)へと進んでいきます。「人は放っておくと欲に流れる」という荀子の考えが、その土台になったと言われます。
有名な一文を読んでみよう(白文・書き下し・現代語訳)
『荀子』の中の「性悪篇(せいあくへん)」は、いきなりズバッとこの一文から始まります。
白文(もとの漢文)
人之性悪、其善者偽也。
書き下し文
人の性(せい)は悪なり、其(そ)の善なる者は偽(ぎ)なり。
※「偽」は、教科書では多く「ぎ」と読みます(「ゐ(い)」と読む本もあります)。読みより、次で説明する意味のほうが大切です。
現代語訳
人間の本性(生まれつきの性質)は悪である。その善い部分は、人の手で作り上げたものである。
続きも、流れがわかると一気に読めます。荀子はこのあと、なぜ「悪」と言えるのかを具体的に説明していきます。
続きの白文
今人之性、生而有好利焉。
書き下し文
今、人の性、生まれながらにして利を好むこと有り。
現代語訳
そもそも人の本性には、生まれたときから「自分の得(利益)を好む」性質がある。
つまり荀子は、「人は生まれつき、自分が得をしたいと思うものだ。その気持ちのままに行動すれば、奪い合いが起きてしまう」と考えました。だからそのまま放っておいてはいけない、というのが話の出発点なのです。
いちばん大事なポイント:「偽」は「うそ」ではない
ここが、この単元でいちばん間違えやすいところです。テストでもよく問われます。
「其の善なる者は偽なり」の「偽」。現代の日本語だと「偽物(にせもの)」「虚偽(きょぎ)」のように、「うそ・にせ」という悪いイメージですよね。でも、ここでの「偽」は、その意味ではありません。
漢字を分解してみてください。「偽」は 「人」+「為(なす)」 です。つまり荀子が言う「偽」とは、「人の手でなすこと」=人為(じんい)・人の努力・後天的な作為という意味なのです。
- 性(せい)=生まれつき自然にそなわっているもの
- 偽(ぎ)=生まれたあと、学びや努力によって人が作り上げるもの
この2つを荀子はきっぱり区別しました。「人の善い部分は、生まれつきではなく、努力して身につけたものだ」——これが「其の善なる者は偽なり」の本当の意味です。決して「人の善は、にせものだ」と言っているのではありません。ここを取り違えないようにしましょう。
では人はどうやって善くなる?──荀子の答え
「人の本性は悪だ」と言うと、なんだか暗い話に聞こえますよね。でも荀子の主張は、ここからが本番です。荀子はこう続けます。
だからこそ、すぐれた先生に教わり(師法)、礼義(社会のルールと正しい筋道)を学ぶ必要がある。そうしてはじめて、人は譲り合うようになり、世の中が治まるのだ。
この結論部分は、書き下すとおおよそ次のようになります。
- 書き下し文:然(しか)る後に辞譲(じじょう)に出(い)で、文理(ぶんり)に合して、治(ち)に帰す。
- 現代語訳:(学んで礼を身につけて)はじめて、人は譲り合うようになり、ものごとの筋道にかない、世の中はよく治まる。
※「辞譲」=へりくだって譲り合うこと。「文理」=ものごとの正しい筋道。「治」=世の中が平和に治まること。
つまり荀子の性悪説は、「人はダメだ」で終わる話ではなく、「だからこそ学びと礼で自分を磨こう」という、努力を後押しする考え方なのです。「生まれつきがどうであれ、努力次第でだれでも善くなれる」と言ってくれているのですね。
孟子の「性善説」をおさらい
くらべる相手の、孟子の「性善説」も簡単におさえておきましょう。(くわしくは別記事の四端〈したん〉の解説もあわせてどうぞ。)
孟子は「人は生まれつき善い心の芽を持っている」と考えました。たとえば、小さな子どもが井戸に落ちそうになっているのを見たら、だれでも思わず「はっ」として助けようとする——この、とっさに「かわいそう」と感じる心(惻隠〈そくいん〉の心)こそ、人が生まれつき善である証拠だ、というわけです。
孟子は、この善い芽を「四端(したん)」と呼びました。具体的には、惻隠(そくいん=あわれむ心)・羞悪(しゅうお=恥じ憎む心)・辞譲(じじょう=譲る心)・是非(ぜひ=正邪を見分ける心)の四つです。芽(端=はし・きっかけ)を大切に育てれば、だれでも立派な徳のある人になれる、と説いたのです。
性悪説と性善説のちがいを対照表で整理
では、二人の考えを並べて見比べてみましょう。表にすると違いがハッキリします。
| くらべる点 | 孟子『性善説』 | 荀子『性悪説』 |
|---|---|---|
| 人間観(人の本性は?) | 生まれつき善い。善の芽(四端)を持っている | 生まれつきは欲に流されやすい(悪)。放てば争う |
| 善は どこから来る? | 内側から。もともと備わっている | 外から。学びと努力(偽=人為)で作る |
| 教育の役割は? | 善い芽を引き出し・育てる | 悪い性質を矯(た)め直す・整える |
| とくに重んじたもの | 仁・義などの内なる徳 | 礼(社会のルール)と師の教え |
| キーワード | 四端/惻隠の心/良知 | 性は悪/偽(人為)/師法・礼義 |
じつは、二人のゴールは同じ
ここまで見ると、孟子と荀子は正反対のように思えます。でも、よく見てください。めざしているゴールは、じつは同じなのです。
- 二人とも「人はだれでも立派な人になれる」と信じている
- 二人とも「そのために学び・努力・教育が必要だ」と説いている
- 二人とも、孔子の流れをくむ儒家である
ちがうのはスタート地点の見方です。孟子は「もともと善い芽があるから、それを育てよう(引き出す)」、荀子は「放っておくと欲に流れるから、礼で整えよう(直す)」。出発点は逆でも、「学んで善い人になろう」という到着点は同じなのですね。だから両方とも、人を前向きにする教えなのです。
後の世への影響
歴史を見ると、儒家の主流として大きく受け継がれたのは、孟子の性善説のほうでした。とくに後の時代の儒学では、孟子がとても重んじられます。
いっぽう荀子の「礼で人を整える」「人は放っておくと欲に流れる」という考え方は、弟子の韓非・李斯を通じて、法(ルールと罰)で国を治める法家へとつながっていきました。
とはいえ、荀子の「学び続ければ、だれでも善くなれる」という前向きなメッセージは、今読んでも勇気をくれます。生まれつきがどうであれ、努力でいくらでも変われる——そう励ましてくれる思想なのです。
まとめ
- 荀子『性悪説』の核心は 「人の性は悪なり、其の善なる者は偽なり」
- 「偽」は「うそ」ではなく「人為(人の努力・後天的な作為)」。ここがいちばんの急所
- 荀子は「人は放っておくと欲に流れる。だから師法・礼義で整えよう」と説いた
- 孟子(性善説)は「善い芽を育てる」、荀子(性悪説)は「悪い性質を直す」
- 出発点は逆でも、「学んで立派になろう」というゴールは同じ
「人の本性は善か悪か」という大きな問いを、二人の言葉でくらべてみると、ぐっと理解が深まりますね。テストでは特に「偽」の意味と、二人の違いがよく問われます。この記事のポイントをおさえれば、もう迷いません。
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