孟子『五十歩百歩』をやさしく解説|現代語訳・書き下し文・句法のポイント

孟子 五十歩百歩 王道のたとえ 漢文

「五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)」という言葉、聞いたことがありますよね。「どっちもどっち」「たいして変わらない」という意味で、今でも会話やニュースで使われます。この言葉のもとになったのが、思想家・孟子(もうし)と、梁(りょう)の恵王(けいおう)との問答です。

生徒
生徒「五十歩百歩」って普段の会話でも聞きます。これってどこから来た言葉なんですか?
先生
先生『孟子』の有名な問答が出典なんだよ。孟子と梁の恵王のやりとりを、これから一緒にやさしく読んでいこう。

恵王が「私はこんなに国のためにがんばっているのに、なぜ国民が増えないのか」とたずねたとき、孟子は「戦場で五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を『臆病者』と笑ったらどうですか」と問い返しました。今回は、この有名な場面をやさしく読んでいきましょう。

どの部分を読むか(採録範囲について)

『孟子』の「梁恵王(りょうけいおう)上」という巻の一節です。この章は、後半で孟子の理想の政治(王道)を長く語る大きな話につながっていきますが、「五十歩百歩」のたとえそのものは前半に出てきます。この記事では、教科書でよく採られる恵王の質問から、孟子が「五十歩百歩」のたとえで答えるところまでを取り上げます。

白文(原文)

梁惠王曰、「寡人之於國也、盡心焉耳矣。河內凶、則移其民於河東、移其粟於河內。河東凶亦然。察鄰國之政、無如寡人之用心者。鄰國之民不加少、寡人之民不加多、何也。」

孟子對曰、「王好戰。請以戰喩。塡然鼓之、兵刃既接、棄甲曳兵而走。或百步而後止、或五十步而後止。以五十步笑百步、則何如。」

曰、「不可。直不百步耳。是亦走也。」

曰、「王如知此、則無望民之多於鄰國也。」

書き下し文

梁(りょう)の惠王(けいおう)曰(い)はく、「寡人(かじん)の国(くに)に於(お)けるや、心(こころ)を尽(つ)くすのみ。河内(かだい)凶(きょう)なれば、則(すなは)ち其(そ)の民(たみ)を河東(かとう)に移(うつ)し、其(そ)の粟(ぞく)を河内(かだい)に移(うつ)す。河東(かとう)凶(きょう)なるも亦(また)然(しか)り。隣国(りんごく)の政(まつりごと)を察(さっ)するに、寡人(かじん)の心(こころ)を用(もち)ゐるがごとき者(もの)無(な)し。隣国(りんごく)の民(たみ)少(すく)なきを加(くは)へず、寡人(かじん)の民(たみ)多(おほ)きを加(くは)へざるは、何(なん)ぞや。」と。

孟子(もうし)対(こた)へて曰(い)はく、「王(おう)戦(たたか)ひを好(この)む。請(こ)ふ戦(たたか)ひを以(もっ)て喩(たと)へん。塡然(てんぜん)として之(これ)を鼓(こ)し、兵刃(へいじん)既(すで)に接(せっ)す。甲(かふ)を棄(す)て兵(へい)を曳(ひ)きて走(はし)る。或(ある)いは百歩(ひゃっぽ)にして後(のち)に止(とど)まり、或(ある)いは五十歩(ごじっぽ)にして後(のち)に止(とど)まる。五十歩(ごじっぽ)を以(もっ)て百歩(ひゃっぽ)を笑(わら)はば、則(すなは)ち何如(いかん)。」と。

曰(い)はく、「不可(ふか)なり。直(た)だ百歩(ひゃっぽ)ならざるのみ。是(こ)れも亦(また)走(はし)るなり。」と。

曰(い)はく、「王(おう)如(も)し此(これ)を知(し)らば、則(すなは)ち民(たみ)の隣国(りんごく)より多(おほ)きを望(のぞ)むこと無(な)かれ。」と。

現代語訳(やさしく)

梁の恵王が言いました。「私は国のことに、本当に心を尽くしているつもりだ。黄河の北(河内)が不作になれば、その地の民を河東へ移し、河東の穀物を河内へ運んで助ける。河東が不作のときも、同じように手を打つ。隣の国の政治を見ても、私ほど民のことを思って心を配っている君主はいない。それなのに、隣の国の民が減るわけでもなく、私の国の民が増えるわけでもない。これは、いったいどういうわけだろうか。」

孟子が答えて言いました。「王さまは戦がお好きですね。では、戦にたとえてお話ししましょう。戦場でドンドンと太鼓を打ち鳴らして攻め込み、両軍の刀や槍がぶつかり合ったそのとき、よろい(甲)を脱ぎ捨て、武器を引きずって逃げ出す者がいたとします。ある者は百歩逃げて立ち止まり、ある者は五十歩逃げて立ち止まりました。さて、この五十歩逃げた者が『あいつは百歩も逃げた臆病者だ』と笑ったとしたら、どうお思いになりますか。」

生徒
生徒五十歩でも百歩でも、逃げたことには変わりないですよね…?
先生
先生その通り。恵王も「逃げたことに変わりはない」と答えてしまう。そこを孟子は政治の話に切り返すんだ。

恵王は言いました。「それはいけない。ただ百歩でなかったというだけのことだ。五十歩でも、逃げたことに変わりはないのだから。」

孟子は言いました。「王さまがそのこと(=五十歩も百歩も同じだということ)をお分かりなら、自分の国の民が隣の国より多くなることを期待してはいけません。」

つまり孟子は、「あなたの政治(五十歩)は、何もしていないように見える隣国の政治(百歩)より少しはマシかもしれないが、根本は同じだ。だから民は集まらないのですよ」と、やんわり、しかし鋭く指摘しているのです。

重要語句・句法のポイント

① 寡人(かじん)

君主が自分をへりくだって言う言葉で、「徳の少ない人間」という意味です。王さまの一人称だと覚えておきましょう。

② 〜のみ(限定)

「尽心焉耳矣(心を尽くすのみ)」の「のみ」は、限定(〜だけだ)を表します。ここでは「ただひたすら心を尽くしているだけだ」という、恵王の自負がにじむ言い方です。文末の「耳(のみ)」「直〜耳(ただ〜のみ)」もこの限定の仲間で、後に出る「直不百歩耳(直だ百歩ならざるのみ=ただ百歩でなかっただけだ)」も同じ用法です。

③ 於(お)=場所・比較を示す

「於」は使い方で意味が変わる大事な字です。

  • 場所を示す例:「移其民河東(其の民を河東移す)」=「〜に・〜で」
  • 比較を示す例:「望民之多鄰國(民の隣国より多きを望む)」=「〜より」

同じ「於」でも、「に」と読むか「より」と読むかで意味がまったく変わります。文脈で見分けましょう。

先生
先生「於」は入試の定番だよ。場所なら「に」、比較なら「より」。この本文には両方そろっているから、見比べて覚えてしまおう。

④ 何如(いかん)=どうですか

「則何如(則ち何如)」の「何如」は、相手に意見・判断を求める疑問「どうであろうか・いかがですか」です。孟子が恵王に「あなたはどう思いますか?」と判断をうながす、たとえ話のキメの一言になっています。

⑤ 何也(なんぞや)=どうしてか

恵王の質問の結び「何也(何ぞや)」は理由をたずねる疑問「どういうわけか」です。④の「何如」が“判断”を問うのに対し、こちらは“理由”を問う、という違いに注意しましょう。

⑥ 如(も)し〜ば/無(な)かれ(仮定と禁止)

最後の「王如知此、則無望〜(王如し此を知らば、則ち〜望むこと無かれ)」は、「如し〜ば(もし〜なら)」という仮定と、「〜こと無かれ(〜してはいけない)」という禁止を組み合わせた形です。「もし分かっているのなら、〜を期待しなさるな」と、孟子が静かに結論を突きつけています。

背景・主題・故事成語

孟子は、戦国時代(紀元前4世紀ごろ)に各国をめぐって、武力や利益でなく「仁(思いやり)」と「義(正しさ)」にもとづく政治=王道を説いた思想家です。梁(魏)の恵王は、民を救う政策を打ってはいたものの、その動機は「国を富ませ、人口を増やして戦に勝つ」ことにありました。

孟子から見れば、それは小手先の対応にすぎません。だからこそ「五十歩で逃げた者が百歩で逃げた者を笑う」というたとえで、「程度の差はあっても、根本(民を本当に大切にする政治)が抜けていれば同じことだ」と諭したのです。この章はこのあと、農業や暮らしを安定させる王道の具体策へと話が続いていきます。

そしてこの問答から、「五十歩百歩」=少しの違いはあっても、本質的には同じで大差ないことという故事成語が生まれました。日常で「結局どっちも五十歩百歩だね」と使うとき、その背後には、孟子の鋭い政治批評が隠れているのです。

もっと深く読む|孟子はなぜ「戦」のたとえを選んだのか

この問答でまず注目したいのは、孟子が「王好戦(王、戦ひを好む)」とずばり言い切ってから話を始めている点です。恵王は「私は民のために心を尽くしている」と善政を自負していますが、孟子はその恵王が本当のところ何に関心を向けているかを見抜いています。だからこそ、恵王がいちばん身近に感じる「戦場」を舞台にしたたとえ話を選んだのです。相手が得意とする土俵に乗せたうえで、逃げる音や考え方をもう一度ひっくり返してみせる——これが孟子の議論のうまさです。

「五十歩百歩」のたとえのポイントは、五十歩逃げた者も百歩逃げた者も「走(はし)る=逃げた」という点ではまったく同じだということにあります。距離が半分だからといって、逃げていない(=戦った)ことにはなりません。これを政治に置きかえると、恵王の「飢えた民を移して食べさせる」という対策は、何もしない隣国よりは少しマシでも、民の暮らしを根本から立て直す王道の政治とは別物だ、ということになります。「少しの差」を「決定的な差」だと思い込んでいる恵王の油断を、孟子は静かに突いているのです。

場面ごとに読み解く|原文・書き下し・現代語訳

本文を三つの場面に分けて、原文(白文)・書き下し文・現代語訳を並べて確認しましょう。短く区切ると、誰が何を言っているのかがはっきり見えてきます。

場面① 恵王の問い

  • 原文:察鄰國之政、無如寡人之用心者。
  • 書き下し:隣国の政を察するに、寡人の心を用ゐるがごとき者無し。
  • 現代語訳:隣国の政治を見渡しても、私ほど民に心を配っている君主はいない。

「無如〜者(〜のごとき者無し)」は「〜のような者はいない=〜がいちばんだ」という、自分を高く評価する言い回しです。恵王の強い自負がにじむところで、このあと孟子に切り返される「ふり」になっています。

場面② 孟子のたとえ

  • 原文:棄甲曳兵而走。或百步而後止、或五十步而後止。
  • 書き下し:甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百歩にして後に止まり、或いは五十歩にして後に止まる。
  • 現代語訳:よろいを脱ぎ捨て、武器を引きずって逃げ出す。ある者は百歩逃げて立ち止まり、ある者は五十歩逃げて立ち止まった。

「或いは〜、或いは〜(あるいは〜、あるいは〜)」は「ある者は〜、別のある者は〜」と、二つ以上のものを並べて述べる形です。ここで「百歩」と「五十歩」という具体的な数字を出すことで、このあとの「五十歩で百歩を笑う」という場面が鮮やかに想像できるようになっています。

場面③ 恵王の答えと孟子の結論

  • 原文:不可。直不百步耳。是亦走也。
  • 書き下し:不可なり。直だ百歩ならざるのみ。是れも亦た走るなり。
  • 現代語訳:それはいけない。ただ百歩でなかったというだけだ。五十歩のほうも、逃げたことに変わりはない。

恵王は孟子のたとえに、自分から「五十歩も百歩も同じだ」と答えてしまいます。孟子はその答えをそのまま受けて、「ならば、自分の国の民が隣国より多くなることを期待してはいけません」と結論づけます。相手自身の口から「同じだ」と言わせてから本題に戻す——逃げ道をふさぐ、見事な運びです。

先生
先生相手に「同じだ」と言わせてから結論に戻す——この運び方が孟子の議論の醍醐味だよ。場面の流れごと覚えておこう。

つまずきやすいポイント・入試での問われ方

  • 「走」を「走る(ラン)」と訳さない:漢文の「走」は現代日本語の「歩く・走る」ではなく、多くの場合「逃げる」の意味です。ここも「逃走する」の「走」だと考えるとつかみやすいです。
  • 「於」の読み分け:「移其民於河東(〜に)」は場所、「多於鄰國(〜より)」は比較。同じ字でも読みと意味が変わるので、文脈で判断します。入試でも「於」の用法はよく問われます。
  • 限定の語が複数ある:「耳(のみ)」「直〜耳(直だ〜のみ)」はどちらも「ただ〜だけ」の限定。書き下しと意味をセットで覚えましょう。
  • たとえの「主旨」を答えさせる問題:「孟子は何を言いたいのか」を記述で問われたら、「程度の差はあっても本質(民を大切にする王道)が抜けていれば同じだ」という線でまとめます。

ミニ練習問題(解答つき)

問1 傍線部「棄甲曳兵而走」を書き下し文にしなさい。

問2 「以五十步笑百步、則何如」の「何如」の意味として最も適切なものを選びなさい。
 ア どこか イ どうしてか ウ どうであるか エ いつか

問3 孟子がこのたとえで恵王に伝えたかったことを、二十字程度で説明しなさい。

先生
先生問2のひっかけに注意。「何如」は判断を問う、「何也」は理由を問う——ここをしっかり区別できれば大丈夫。落ち着いて解いてみよう。

《解答・解説》

  1. 問1:甲を棄て兵を曳きて走る。(「走」は「逃げる」の意味。「よろいを脱ぎ捨て、武器を引きずって逃げる」と訳します。)
  2. 問2。「何如(いかん)」は相手に判断・感想を求める「どうであるか・いかがですか」。イの「どうしてか(理由)」は「何也」の意味なので区別します。
  3. 問3(例):程度の差はあっても本質が同じなら大差はない、ということ。(恵王の政治も隣国の政治も根本は同じだ、という主旨が書けていれば可。)

よくある質問(Q&A)

Q. 「五十歩百歩」と「どんぐりの背比べ」は同じ意味ですか?
A. どちらも「大きな差がない・似たり寄ったり」という意味で近い表現です。ただし「五十歩百歩」は、もとが「逃げた者どうしが互いを笑う」という話なので、「人のことを言えた立場ではない」というニュアンスを含むことがあります。「どんぐりの背比べ」は単に「みんな同じくらい平凡だ」という意味合いが中心です。

Q. 「梁の恵王」と「魏の恵王」は別人ですか?
A. 同じ人物を指すと考えてよいです。もとは「魏(ぎ)」という国でしたが、都を大梁(たいりょう)に移したことから「梁(りょう)」とも呼ばれました。『孟子』では「梁惠王」と記されています。

Q. 孟子はどんな人ですか?
A. 戦国時代の思想家で、孔子の教え(儒家)を受けつぎ、「仁義」にもとづく政治=王道を各国の王に説いてまわりました。その言葉をまとめた書物が『孟子』で、四書(論語・孟子・大学・中庸)の一つに数えられます。

先生
先生ここまでよく読めたね。「走=逃げる」「於の読み分け」「何如と何也」の三つを押さえれば、テストはもう怖くないよ。最後に下のまとめで仕上げよう!

まとめ

  • 「五十歩百歩」は『孟子』梁恵王上の一節が出典で、少しの差はあっても本質は同じという意味の故事成語。
  • 孟子は、善政を自負する梁の恵王に「戦場で逃げる者」のたとえを示し、恵王自身に「五十歩も百歩も同じ」と認めさせた。
  • 「走(逃げる)」「於(に/より)」「のみ・耳(限定)」「何如(判断)/何也(理由)」が読解と入試の重要ポイント。
  • たとえの主旨は「程度の差より、民を本当に大切にする王道が抜けていないかが問題だ」という孟子の政治批評にある。

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この記事を書いた人

中本 裕太(現役の古典講師)

国語科の教員免許を持つ現役の古典講師。個別指導塾フィット塾長。「誰でも古典塾」で古文・漢文の解説と約8,000問のドリルを無料公開しています。くわしいプロフィール

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