『前赤壁賦(赤壁の賦)』蘇軾 定期テスト対策問題|句法・内容の頻出設問と解答

定期テスト対策

蘇軾『前赤壁賦』は、黄州に流された作者が長江に舟を浮かべ、栄枯盛衰と人生の無常を思いながらも、変化する視点から永遠を見いだす名文です。定期テストでは、難読語の読み・比況や反語・使役の句法・主客の問答に込められた人生観がねらわれます。

本文

【冒頭(舟遊び)】
壬戌の秋、七月既望、蘇子客と舟を泛べて、赤壁の下に遊ぶ。清風徐ろに来たりて、水波興らず。……少焉くして、月東山の上に出で、斗牛の間に徘徊す。白露江に横たはり、水光天に接す。一葦の如く所を縦にし、万頃の茫然たるを凌ぐ。浩浩乎として虚に馮り風に御して、其の止まる所を知らざるがごとく、飄飄乎として世を遺れて独立し、羽化して登仙するがごとし

【洞簫の音】
客に洞簫を吹く者有り、歌に倚りて之に和す。其の声嗚嗚然として、怨むがごとく慕ふがごとく、泣くがごとく訴ふるがごとし。余音嫋嫋として、絶えざること縷のごとし。幽壑の潜蛟を舞はしめ、孤舟の嫠婦を泣かしむ

【英雄と無常】
「……月明らかに星稀にして、烏鵲南に飛ぶ」とは、此れ曹孟徳の詩に非ずや。西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川相繆ひ、鬱乎として蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困しめられし者に非ずや。……固より一世の雄なり、而るに今安くにか在るや。況んや吾と子と……。蜉蝣を天地に寄す、渺たる滄海の一粟なるをや。吾が生の須臾なるを哀しみ、長江の無窮なるを羨む。

【水と月の問答】
蘇子曰はく、「客も亦夫の水と月とを知るか。逝く者は斯くのごときも、而も未だ嘗て往かざるなり。盈虚する者は彼のごときも、而も卒に消長する莫きなり。蓋し将に其の変ずる者よりして之を観れば、則ち天地も曾て以て一瞬なる能はず。其の変ぜざる者よりして之を観れば、則ち物と我と皆尽くること無きなり。……」

【造物者の無尽蔵】
「……惟だ江上の清風と山間の明月とのみ、耳之を得て声を為し、目之に遇ひて色を成す。之を取れども禁ずる無く、之を用ゐれども竭きず。是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に適する所なり。」

問題

  1. 次の語の読みを現代仮名遣いで答えよ。(1)「既望」(2)「洞簫」(3)「須臾」(4)「嫠婦」
  2. 傍線部「飄飄乎として世を遺れて独立し、羽化して登仙するがごとし」を現代語訳せよ。また文末「ごとし」の文法的意味を答えよ。
  3. 傍線部「其の声嗚嗚然として、怨むがごとく慕ふがごとく、泣くがごとく訴ふるがごとし」について、この描写は何の音を形容したものか。またこの表現から読み取れる音色の印象を簡潔に説明せよ。
  4. 傍線部「幽壑の潜蛟を舞はしめ、孤舟の嫠婦を泣かしむ」を、句法(使役)に注意して現代語訳せよ。
  5. 傍線部「固より一世の雄なり、而るに今安くにか在るや」を現代語訳せよ。また「安くにか在るや」に用いられている句法の名称を答えよ。
  6. 傍線部「蜉蝣を天地に寄す、渺たる滄海の一粟なるをや」について、(1)「蜉蝣」「一粟」がそれぞれたとえているものを答えよ。(2)この一節に込められた作者(客)の心情を説明せよ。
  7. 傍線部「物と我と皆尽くること無きなり」について、蘇子はどのような見方(観点)に立てばこう言えると説いているか。本文に即して説明せよ。
  8. 傍線部「之を取れども禁ずる無く、之を用ゐれども竭きず。是れ造物者の無尽蔵なり」について、「之」が指すものを本文中から二つ抜き出し、この一節で蘇軾が述べようとした人生観(この賦の主題)を説明せよ。

解答・解説

問1の解答

(1)きぼう(2)どうしょう(3)しゅゆ(4)りふ。既望は陰暦十六日(望=十五日の翌日)。洞簫は縦笛、須臾はごくわずかな時間、嫠婦は未亡人(やもめ)の意。難読語はテスト頻出。

問2の解答

訳:ふわふわと(風に舞うように)俗世を離れて一人立ち、羽が生えて仙人となって天に昇っていくかのようだ。「ごとし」は比況の助動詞で「〜のようだ」の意。舟遊びの陶酔感・超俗の境地を比喩で表す。

問3の解答

客が吹く「洞簫(縦笛)」の音を形容したもの。恨むよう・慕うよう・泣くよう・訴えるようだ、と四つの比況を重ね、悲しく哀切で心に迫る、もの寂しい音色であることを表す。

問4の解答

訳:(その笛の音は)深い谷底に潜む蛟(みずち)を舞わせ、独り舟の未亡人を泣かせる。「(人・物)ヲシテ〜しむ」ではなく「使はしめ/泣かしむ」=使役の助動詞「しむ」を用いた使役表現。笛の音の力の強さを誇張して示す。

問5の解答

訳:(曹操は)もともと一時代の英雄である。しかし今はいったいどこにいるのか(いや、どこにもいない)。「安くにか〜や」は反語(疑問形を借りて強く否定する)。英雄も死ねば跡形もない、という無常観を導く。

問6の解答

(1)いずれも人間の存在のはかなさ・ちっぽけさのたとえ。蜉蝣(かげろう)=命の短さ、(大海に浮かぶ)一粟=広大な天地の中でのちっぽけさ。(2)永遠の天地・長江に対し、人の一生はあまりに短く小さいと嘆く心情。直後の「吾が生の須臾なるを哀しみ、長江の無窮なるを羨む」に通じる。

問7の解答

「其の変ぜざる者よりして之を観れば(変わらないという視点から見れば)」という観点。水は流れ去っても水そのものは尽きず、月は満ち欠けしても増減しないように、変化しない側面から見れば万物も自分も永遠であり、なくなることはない、と説く。無常を嘆く客を慰める論理。

問8の解答

「之」が指すのは「江上の清風」と「山間の明月」。いくら取っても禁じられず、いくら使っても尽きない自然の風物は、造物主(天)が万人に与えた無尽蔵の恵みである。人生ははかなくとも、自然の美を友と共に味わい楽しめばよい、という達観・超越の境地がこの賦の主題。

👉 本文の現代語訳・語句・文法のくわしい解説は 解説記事 で確認できます。

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