陶淵明『帰去来辞』『桃花源記』をやさしく解説|官を捨て田園に帰った詩人の世界

漢文

この記事でわかること

この記事のテーマは、ひとことで言うと「“もう帰ろう”——出世をやめて自然に生きた詩人の代表作2編」です。中国・東晋(とうしん)の詩人陶淵明(とうえんめい)が書いた二つの名作、『帰去来辞(ききょらいのじ)』『桃花源記(とうかげんき)』を、白文・書き下し文・現代語訳つきでやさしく読んでいきます。

  • 陶淵明はどんな人か(東晋〜宋の田園詩人、「五柳先生」)
  • 『帰去来辞』——役人を辞めて故郷へ帰る決意の名文。「帰りなんいざ」の意味
  • 『桃花源記』——漁師が迷い込む理想郷の物語。「桃源郷」ということばの由来
  • 句法・重要語チェック(已矣乎・胡為・奚/再読文字・反語)

漢詩というと唐の李白や杜甫が有名ですが、その200年ほど前に、田園のくらしを静かにうたった大詩人がいました。それが陶淵明です。教科書にもよく出てくる二編を、ゆっくり味わってみましょう。

1. 陶淵明とは——田園に帰った「五柳先生」

陶淵明(365年〜427年)は、東晋から宋(南朝)にかけてを生きた詩人です。名(本名)は潜(せん)字(あざな=通称)は淵明(えんめい)と伝えられ(一説に元亮〈げんりょう〉とも)、ふつうは「陶淵明」と呼ばれて親しまれています。中国文学では「田園詩人」の代表とされ、都会の出世競争ではなく、田畑を耕し酒を楽しむ素朴なくらしを詩にうたいました。

陶淵明は何度か役人になりましたが、性格に合わず、たびたび辞めています。最後に就いたのが彭沢(ほうたく)の県令(県の長官)でした。ところが、上役(じょうやく)にこびへつらわなければならないことに嫌気がさし、わずか80日あまりで官を辞めて故郷に帰ります。このときの心境をうたったのが、次に読む『帰去来辞』です。

陶淵明は自分のことを書いた短い文章『五柳先生伝(ごりゅうせんせいでん)』も残しています。家のそばに柳の木が五本あったことから「五柳先生」と名のった、という設定で、「読書を好むが細かい解釈にはこだわらない」「酒を愛する」「貧しくても気にしない」といった、飾らない人物像が描かれています。出世や名声よりも、心の自由を大切にした人——それが陶淵明です。

2. 『帰去来辞』——「帰りなんいざ」、田園へ帰る決意

『帰去来辞』は、役人を辞めて故郷の田園に帰る決意と喜びをうたった作品です。タイトルの「帰去来」は「さあ、帰ろう」という意味のことば。「来」は深い意味を持たず、語調をととのえる添え字(そえじ)です。

「辞」というジャンルと押韻について

作品名の最後にある「辞」とは、漢文の文章の種類(ジャンル)の一つです。ふつうの散文(さんぶん=ふつうの文章)よりもリズムと感情を重んじた、詩に近い韻文(いんぶん)で、もとは中国南方の『楚辞(そじ)』という古い詩集の流れをくむ形です。句の終わりで同じひびきの字をそろえる「押韻(おういん)」を用いて、声に出して読むと音楽のように整うのが特徴です。『帰去来辞』にも、本文の前に事情を説明する短い序文(じょぶん)がついています。

冒頭——白文・返り点・書き下し・現代語訳

もっとも有名な書き出しを、四つの形で並べてみます。漢文は、①返り点のない「白文」→②返り点つき→③書き下し文→④現代語訳の順に見ると、読み方の流れがわかります。

①白文

歸去來兮、田園將蕪胡不歸。

②返り点つき(読む順を示す印)

歸‐去‐來兮、田園將(レ)蕪胡不(レ)歸。

※「將」は再読文字で「まさに〜(せ)んとす」、「不」は下から返って読む否定の字です。

③書き下し文

帰りなんいざ。田園 将(まさ)に蕪(あ)れなんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。

④現代語訳

さあ、帰ろう。故郷の田畑は、今にも荒れ果てようとしている。どうして帰らずにいられようか(いや、帰ろう)。

この「帰りなんいざ」という訳が、『帰去来辞』のいちばんの聞きどころです。「帰りん」の「な」は強い意志・決意を表し、「いざ」は「さあ」という呼びかけ。あわせて「さあ、帰ってしまおう」という、強くふみ出す気持ちになります。

続きの名句

そのあとも、辞める決意を後押しする名句が続きます。

白文:悟(レ)已往之不(レ)諫、知(レ)來者之可(レ)追。

書き下し:已往(いおう)の諫(いさ)められざるを悟り、来者(らいしゃ)の追ふべきを知る。

現代語訳:過ぎ去ったこと(=役人生活で間違えたこと)は、もう取り返しがつかないと悟った。これから先のことは、まだやり直せると気づいたのだ。

白文:覺(二)今是而昨非(一)

書き下し:今の是(ぜ)にして昨(さく)の非(ひ)なるを覚(さと)る。

現代語訳:今(帰ろうとする今)が正しく、昨日まで(役人だった日々)が間違いだったと、はっきり気づいた。

都会で心をすり減らしていた自分を悔やみつつ、これからの田園のくらしに希望を見いだす——その晴れやかな気持ちが、声に出して読むと伝わってきます。なお、作品の後半には「已矣乎(やんぬるかな)」=「もうおしまいだ、仕方ない」という嘆きのことばも出てきて、世俗の名誉をきっぱり手放す心境がうたわれます。

3. 『桃花源記』——「桃源郷」ということばの由来

『桃花源記』は、一人の漁師がぐうぜん理想郷に迷い込むという、短い物語ふうの文章です。「記」とはできごとを記録する形の散文のこと。さきほどの「辞」が詩に近い韻文だったのに対し、こちらはものがたり風のふつうの文章で、陶淵明が散文も達者だったことがわかります。

あらすじ

舞台は晋の太元(たいげん)年間武陵(ぶりょう)という土地に、漁を仕事にする一人の男がいました。ある日、谷川にそって舟をこいでいくうちに、どこまで来たか分からなくなり、ふと一面の桃の花の林に行き当たります。両岸が桃の花でうめつくされ、地面には花びらが舞い散る——その美しさに漁師はおどろき、林の奥へと進みます。

林がつきると山があり、小さな穴が開いていました。舟を捨てて穴をくぐると、目の前に広々とした別世界が開けます。そこには田畑や家がきちんと並び、人々がのどかに行き来し、おだやかに暮らしていました。村人たちは漁師を見ておどろき、家に招いて酒や食事でもてなします。

話を聞くと、村人の先祖は昔の戦乱(秦の時代の混乱)を逃れてこの地に来たのだといいます。そして外の世界から長く切りはなされていたため、漢という王朝があったことすら知らず、その後の魏・晋にいたってはなおさら知らなかったのです。漁師が外の歴史を語ると、村人はみな感心しました。

数日たって漁師が帰るとき、村人は「外の人にはここのことを話さないでください」と念をおします。ところが漁師は約束を破り、帰り道のあちこちに目印をつけておき、役所に届け出ました。太守(たいしゅ=土地の長官)はすぐに人をやって探させたのですが、つけたはずの目印をたどっても道に迷ってしまい、二度とあの村への道は見つかりませんでした。のちに南陽(なんよう)の劉子驥(りゅうしき)という高潔な人物も探そうとしましたが、果たせぬまま病死し、それきり訪ねる者はいなくなった——という結びです。

有名句の書き下しと訳

白文 書き下し文 現代語訳
土地平曠、屋舍儼然。 土地は平曠(へいこう)にして、屋舍(おくしゃ)儼然(げんぜん)たり。 土地は平らかで広々とし、家々はきちんと整っていた。
黃髮垂髫、並怡然自樂。 黃髮(こうはつ)垂髫(すいちょう)、並(なら)びに怡然(いぜん)として自(みづか)ら楽しむ。 老人も子どもも、みなにこやかに、それぞれの暮らしを楽しんでいた。
乃不知有漢、無論魏晉。 乃(すなは)ち漢(かん)有るを知らず、魏晉(ぎしん)を論ずる無し。 (村人は)漢という王朝があったことさえ知らず、その後の魏・晋についてはなおさら言うまでもなかった。

※「黃髮」は白髪が黄ばんだ老人、「垂髫」は髪を垂らした子どものことで、老いも若きもという意味です。「無論」は「言うまでもない・なおさらだ」という言い回しです。

「桃源郷」の語源

この物語に出てくる、桃の花の林の奥にあった、戦乱を知らない平和な村。これがもとになって、「桃源郷(とうげんきょう)」ということばが生まれました。今でも「俗世間から離れた、争いのない理想の地」のたとえとして使われます。「ここはまるで桃源郷だ」と言えば、うっとりするほど平和で美しい場所という意味になります。約1600年前の陶淵明の文章が、現代の日本語にまで生きているのです。

4. 句法・重要語チェック

『帰去来辞』『桃花源記』には、漢文でよく問われる句法(言い回しのルール)が出てきます。とくに大切なものを整理しておきましょう。

(1) 疑問・反語の「胡(なんぞ)」「奚(なんぞ)」

「胡(こ)」「奚(けい)」は、どちらも訓読では「なんぞ」と読み、「どうして〜か」とたずねる字です。多くは反語(はんご)——形は質問でも、答えは決まっていて、「どうして〜だろうか、いや〜ない(〜する)」と強く言いきる用法になります。

  • 胡(なん)ぞ帰らざる=「どうして帰らないのか(いや、帰ろう)」(『帰去来辞』)
  • 奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として独り悲しまん=「どうしてくよくよと一人で悲しむことがあろうか(いや、悲しむ必要はない)」(『帰去来辞』)

「胡為(なんすれぞ)」も同じ仲間で、「どうして〜か」とたずねる言い方です。

(2) 詠嘆(えいたん)の「已矣乎(やんぬるかな)」

『帰去来辞』後半に出てくる「已矣乎」は、「やんぬるかな」と読み、「ああ、もうおしまいだ/もう仕方がない」という、あきらめと決意の入りまじった嘆きのことばです。「乎(か/かな)」は感動・詠嘆を表す字で、文の終わりについて気持ちを強めます。

(3) 再読文字「将(まさに〜んとす)」

「田園将(まさ)に蕪(あ)れなんとす」の「将」は再読文字(さいどくもじ)です。再読文字とは、一つの字を二度読む特別な字のこと。「将」は「まさに〜(せ)んとす」と読み、「今にも〜しようとしている・〜するところだ」という意味になります。

  • 将に蕪れなんとす=「今にも荒れ果てようとしている」

再読文字には、ほかに「未(いまだ〜ず)」「当(まさに〜べし)」「須(すべからく〜べし)」などがあります。返り点を打つときは、一度目はふつうに上から、二度目は下から返って読むのがポイントです。

重要語まとめ

読み 意味
胡 ・ 奚 なんぞ どうして〜か(多くは反語「いや〜ない」)
胡為 なんすれぞ どうして〜か
已矣乎 やんぬるかな ああ、もうおしまいだ(詠嘆・あきらめ)
まさに〜んとす 今にも〜しようとする(再読文字)
無論 ろんずるなし 言うまでもない・なおさらだ
儼然 げんぜん きちんと整っているようす

まとめ

最後に、今日のポイントをふり返りましょう。

  • 陶淵明は東晋〜宋の田園詩人。出世をきらい、自然と酒を愛した「五柳先生」。名は潜、字は淵明。
  • 『帰去来辞』は、役人を辞めて故郷に帰る決意の名文。「帰りなんいざ(さあ、帰ろう)」が聞きどころ。「辞」は詩に近い韻文で、押韻が使われる。
  • 『桃花源記』は、漁師が理想郷に迷い込む物語ふうの散文。ここから「桃源郷」ということばが生まれた。
  • 句法では、反語の「胡・奚(なんぞ)」、詠嘆の「已矣乎(やんぬるかな)」、再読文字の「将(まさに〜んとす)」をおさえておくと、テストでも強い。

唐の華やかな漢詩とはひと味ちがう、静かで素朴な陶淵明の世界。声に出して書き下し文を読むと、「帰りなんいざ」の決意や、桃の花の林の美しさが、きっと心に残るはずです。

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この記事を書いた人

中本 裕太(現役の古典講師)

国語科の教員免許を持つ現役の古典講師。個別指導塾フィット塾長。「誰でも古典塾」で古文・漢文の解説と約8,000問のドリルを無料公開しています。くわしいプロフィール

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