『堤中納言物語』は平安時代後期に成立したと考えられる、十編ほどの短編からなる物語集です。その中の一編「虫めづる姫君」は、毛虫(烏毛虫)をはじめとする虫を心から愛で、当時の女性のたしなみであったお歯黒や眉づくりを「わざとらしい」と嫌い、ものの本当の姿(本地)を見きわめることこそ趣深いと説く、たいへん風変わりな姫君を描きます。係り結び・形容詞ク活用シク活用・敬語・「めづ」など重要古語が頻出する定番教材です。次の文章を読み、後の問いに答えよ。
本文
蝶愛づる姫君の住みたまふかたはらに、按察使の大納言の御女、心にくく〔①〕なべてならぬさまに、親たちかしづきたまふこと限りなし。
この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やと〔②〕めづるこそ、〔③〕はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、〔④〕心ばへをかしけれ」とて、烏毛虫の、心深きさましたるこそ〔⑤〕心にくけれ、とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせて、まぼりたまふ。
若き人々は、〔⑥〕おぢ惑ひければ、男の童の、ものおぢせず、いふかひなきを〔⑦〕召し寄せて、箱の虫どもを取らせ、名を問ひ聞き、いま新しきには名をつけて、〔⑧〕興じ〔⑨〕給ふ。
「人はすべて、つくろふところあるはわろし」とて、〔⑩〕眉さらに抜きたまはず、歯黒め、「さらにうるさし、きたなし」とて、つけたまはず。
(注)按察使=地方行政を監督する官。心にくし=奥ゆかしい。本地=物事の本来の姿・本質。耳はさみ=額髪を耳にはさむこと。まぼる=じっと見つめる。いふかひなき=身分の低い、取るに足りない。歯黒め=お歯黒。歯を黒く染める当時の化粧。
設問
- 傍線部〔①〕「なべてならぬ」を現代語訳せよ。
- 「この姫君ののたまふこと」の「のたまふ」を、敬語の種類を明らかにして現代語訳せよ。
- 傍線部〔②〕「めづる」の終止形を答え、その意味を記せ。
- 傍線部〔②〕を含む一文「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ」を、姫君の価値観がわかるように現代語訳せよ。
- 傍線部〔③〕「はかなくあやしけれ」について、次の問いに答えよ。
- (a)「はかなく」の終止形(基本形)と活用の種類を答えよ。
- (b) この「けれ」が已然形になっているのはなぜか、文法的に説明せよ。
- 傍線部〔④〕「心ばへをかしけれ」を現代語訳せよ。
- 傍線部〔④〕「をかし」と傍線部の外にある「あやし(あやしけれ)」「わろし」は、いずれも物事に対する評価を表す形容詞である。このうち、姫君がプラスの評価(よいと思う気持ち)を込めて用いている語をすべて選び、記号で答えよ。
- ア あやし イ をかし ウ 心にくし エ わろし
- 姫君が虫を集めさせ、毛虫を「心深きさましたる」と評価するのは、姫君のどのような考え方に基づくか。本文中の「まことあり、本地たづねたる」という語句を踏まえて、三十字程度で説明せよ。
- 傍線部〔⑤〕「心にくけれ」の終止形を答え、ここでの意味として最も適切なものを次から選べ。
- ア 憎らしい イ 奥ゆかしく心ひかれる ウ おそろしい エ つまらない
- 傍線部〔⑥〕「おぢ惑ひければ」について、(a)「おぢ」の終止形(基本形)を答え、(b) 全体を現代語訳せよ。
- 傍線部〔⑦〕「召し寄せて」の「召し」は、誰の動作に対する敬語か。また敬語の種類(尊敬・謙譲・丁寧)を答えよ。
- 傍線部〔⑧〕「興じ」、傍線部〔⑨〕「給ふ」について、(a)「給ふ」の文法的な種類(敬語の種類)を答え、(b) 誰に対する敬意か答えよ。
- 傍線部〔⑩〕「眉さらに抜きたまはず」を現代語訳せよ。なお「さらに……ず」の意味を踏まえること。
- 姫君が「眉さらに抜きたまはず」「歯黒めつけたまはず」とあるのは、姫君が何を「つくろふところ(とりつくろい・人工的なかざり)」として嫌っているからか。簡潔に説明せよ。
- 本文中で、姫君の世話をする「若き人々(侍女たち)」は虫に対してどのような反応を示したか。本文の語句を用いて答えよ。
- 姫君が虫の世話をさせるために呼び寄せたのはどのような者か。本文中から十字以内で抜き出せ。
- 「とめづるこそ……あやしけれ」「本地たづねたるこそ……をかしけれ」「心深きさましたるこそ心にくけれ」に共通して見られる古文の文法現象を何というか、名称を答えよ。
- 本文の内容と合致するものを次から一つ選べ。
- ア 姫君は蝶を愛し、毛虫を気味悪がっていた。
- イ 姫君はお歯黒や眉づくりなどの化粧を、わざとらしいものとして嫌った。
- ウ 侍女たちは姫君と同じように、進んで毛虫の世話をした。
- エ 姫君は世間並みの、ごくありふれた様子の女性であった。
- 『堤中納言物語』はどのような性格の作品か。最も適切なものを次から選べ。
- ア 一人の主人公の生涯を描いた長編物語 イ 複数の短編からなる物語集 ウ 和歌を中心とした歌物語 エ 作者の日々を記した日記文学
- 「虫めづる姫君」のように、一つの作品の中に「蝶めづる姫君」という対照的な人物が冒頭に置かれている。作者がこの二人を対比的に描くことで、「虫めづる姫君」のどのような点を際立たせていると考えられるか。あなたの考えを一文で書け。
- 次の古語の本文中での意味を答えよ。
- (a) かしづく
- (b) あやし
- (c) をかし
- (d) わろし
- 姫君の人物像を、本文全体を踏まえて四十字程度でまとめよ。
▼ 解答・解説を見る
問1 並ひととおりでない/普通とは違って格別な(さま)。「なべて」は「総じて・普通」の意の副詞で、「なべてならず」で「普通でない・並々でない」。
問2 (例)この姫君がおっしゃることには。「のたまふ」は「言ふ」の尊敬語で「おっしゃる」と訳す。
問3 終止形「めづ(愛づ)」。意味=かわいがる・賞美する・心ひかれて愛する。ダ行下二段活用。
問4 (例)世間の人々が、花よ蝶よともてはやし愛するのは、浅はかでつまらないことだ。…姫君は、表面的な美しさを愛する世間の風潮を「はかなくあやし」と否定的にとらえている。
問5 (a) 終止形「はかなし」。形容詞ク活用。 (b) 直前に係助詞「こそ」があり、その結びとして文末(ここでは形容詞の活用語尾)が已然形になっている。いわゆる係り結びの法則による(こそ→已然形)。
問6 心の趣・心ばえが趣深い(風情がある)。「心ばへ」=心の趣・性質、「をかし」=趣がある・心ひかれる。
問7 イ・ウ。「をかし(趣深い)」「心にくし(奥ゆかしい)」は姫君がよいと評価して用いている。「あやし(つまらない)」「わろし(よくない)」はマイナスの評価。
問8 (例)物事は本来の真の姿を見きわめてこそ趣深いと考えるから。…姫君は見た目の美しさより「まこと(真実)」「本地(本来の姿)」を重んじ、変態する毛虫にこそ生命の本質を見て心ひかれている。
問9 終止形「心にくし」。意味=イ 奥ゆかしく心ひかれる。「心にくし」は、奥ゆかしい・心がひかれて慕わしい、の意。「憎い」という現代語とは異なるので注意。
問10 (a) 終止形「おづ(怖づ)」。おそれる・こわがるの意のダ行上二段動詞。 (b)(例)(侍女たちは虫を)こわがってうろたえたので。「おぢ惑ふ」=おそれてうろたえる。
問11 姫君の動作に対する敬語。敬語の種類=尊敬語。「召し寄す」の「召し」は「呼ぶ」の尊敬語で、身分の高い姫君が(童を)お呼び寄せになる動作を高めている。
問12 (a) 尊敬語(補助動詞「給ふ」、ハ行四段)。 (b) 動作の主体である姫君に対する敬意。「興じ給ふ」=(姫君が)おもしろがりなさる。
問13 (例)眉をまったくお抜きにならない。「さらに……ず」は「まったく(少しも)……ない」と訳す陳述(呼応)の副詞。「たまは(給は)ず」は尊敬の補助動詞+打消で「お……にならない」。
問14 (例)お歯黒や眉づくりといった、自然のままの姿に手を加えてとりつくろう人工的な化粧を、わざとらしく見苦しいものとして嫌っている。「人はすべて、つくろふところあるはわろし」という考えに基づく。
問15 (例)侍女たちは虫を「おぢ惑ひ」、すなわちこわがってうろたえた。姫君とは正反対に、虫を気味悪がっている。
問16 「男の童」(または「ものおぢせ/いふかひなき(者)」も可。設問の十字以内としては「男の童」が最適)。身分が低く、虫をこわがらない少年を呼び寄せた。
問17 係り結び(係り結びの法則)。係助詞「こそ」を受けて、結びの語が已然形(あやしけれ・をかしけれ・心にくけれ)になっている。
問18 イ。姫君はお歯黒や眉づくりを「うるさし、きたなし」「つくろふところあるはわろし」として嫌った。ア・エは内容と逆(毛虫を愛し、並々でない人物)。ウは侍女が虫をこわがった点と矛盾。
問19 イ 複数の短編からなる物語集。『堤中納言物語』は十編ほどの短編を集めた、現存最古級の短編物語集とされる。
問20 (例)蝶を愛する「ふつうの」姫君と対比することで、世間の美意識にとらわれず物事の本質を見ようとする「虫めづる姫君」の個性・型破りさが際立っている。
問21 (a) かしづく=大切に育てる・後見して大事に世話をする。 (b) あやし=不思議だ/ここでは「(道理に合わず)つまらない・妙だ」。 (c) をかし=趣がある・心ひかれる。 (d) わろし=よくない・好ましくない(「悪し(あし)」ほど強くない)。
問22 (例)世間の美意識に従わず、毛虫など虫を愛し、化粧を嫌って自然のままの本当の姿を尊び、物事の本質を見きわめようとする、型破りで好奇心の強い姫君。
※この問題は誰でも古典塾オリジナルです。本文は古典作品(著作権の対象外)から正確に引用しています。
🔗 解説で復習する・ほかのテストを探す


コメント