『無名抄(むみょうしょう)』は、鎌倉時代初期に鴨長明(かものちょうめい)が著した歌論書です。なかでも「深草の里」の章は、長明が師の俊恵(しゅんえ)から聞いた話として、当時の歌壇の第一人者藤原俊成(としなり/しゅんぜい)が自身の代表歌(おもて歌)として「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」を挙げた逸話を伝えます。直接「身にしみて」と言い切ることの是非をめぐり、歌の余情・幽玄、言外ににじむ「面影」「景気(けしき)」をどう表すかという中世和歌の美意識が論じられる、定期テスト頻出の文章です。伝聞・推定の助動詞「なり」の識別、係り結び、引用の構造がよく問われます。次の文章を読み、後の問いに答えよ。
本文
俊恵いはく、「五条三位入道のもとにまうでたりし〔①〕ついでに、『御詠(ぎょえい)の中には、いづれをかすぐれたりとおぼす。よその人さまざまに定め侍れど、それをば用ゐ侍るべからず〔②〕。まさしく承らむ』と聞こえしかば、
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり〔③〕深草の里
を、『これをなむ、身にとりておもて歌〔④〕と思ひ給ふる』と言はれしを、俊恵またいはく、「世にあまねく人の申し侍るは、
面影に花の姿を先立てて幾重越え来ぬ〔⑤〕峰の白雲
これをすぐれたるやうに申し侍るは、いかに」と聞こゆれば、「いさ、よそにはさもや定め侍るらむ、知り給へず〔⑥〕。なほ、みづからは、先の歌には言ひ比ぶべからず」とぞ侍りし。
とこそ言はれしか。これをうちうちに申ししは〔⑦〕、かの歌は、「身にしみて」といふ腰の句のいみじう無念におぼゆる〔⑧〕なり。これほどになりぬる歌は、景気〔⑨〕を言ひ流して、ただそらにそらなるものか、げにいかにと、たどり知られて、すべていはむかたなく〔⑩〕、すぐれてめでたきなり。すべて、ことに深く心にくく見ゆる〔⑪〕歌は、まことしく言ひ表したるところは少なくて、おのづから余りて心にくくあらまほしきなり。
【注】五条三位入道=藤原俊成。出家後の呼び名。/俊恵=鴨長明の和歌の師。源俊頼の子。/おもて歌=代表作として人前に出して恥ずかしくない歌。/腰の句=和歌の第三句。/景気=景色・風情、また歌の趣・余情。/心にくし=奥ゆかしい、上品で深みがある。
設問
- 傍線部〔①〕「五条三位入道のもとにまうでたりし」を現代語訳せよ。また、ここで用いられている敬語「まうで」の種類(尊敬・謙譲・丁寧)と、誰の誰に対する敬意かを答えよ。
- 次の文学史の問いに答えよ。
- (1) 『無名抄』の作者名を漢字で答えよ。
- (2) この作者が著した、和歌の家集や随筆として知られる作品を一つ答えよ(例:随筆作品)。
- (3) 『無名抄』のジャンル(書物の種類)を、漢字三字で答えよ。
- (4) 本文に登場する「五条三位入道」(藤原俊成)が撰者を務めた勅撰和歌集の名を答えよ。
- 傍線部〔②〕「用ゐ侍るべからず」を現代語訳せよ。
- 本文中の和歌「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」を、現代語訳せよ。
- 俊恵は、なぜ「身にしみて」という句(腰の句)を「いみじう無念」だと評したのか。その理由を、本文に基づき四十字程度で説明せよ。
- この文章で重んじられている、言葉に表しきらず余情によって深い趣を生む和歌の美的理念を、漢字二字で答えよ。また、その理念を本文で象徴的に表す、第三句「身にしみて」に対する評価の語(傍線部〔⑧〕付近)を本文から抜き出せ。
- 傍線部〔③〕「鶉鳴くなり」の「なり」について答えよ。
- (1) この「なり」は何の助動詞か。意味(伝聞・推定/断定/存在 など)を答えよ。
- (2) そのように判断できる理由を、直前の語の活用形に着目して説明せよ。
- 傍線部〔④〕「おもて歌」とはどのような歌か。注を参考に、十五字以内で説明せよ。
- 和歌「面影に花の姿を先立てて幾重越え来ぬ峰の白雲」は、どのような情景・心情を詠んだ歌か。簡潔に説明せよ。
- 傍線部〔⑤〕「幾重越え来ぬ」の「ぬ」の文法的説明として正しいものを次から選べ。
- ア 打消の助動詞「ず」の連体形 イ 完了の助動詞「ぬ」の終止形 ウ 完了の助動詞「ぬ」の連用形 エ ナ変動詞の活用語尾
- 傍線部〔⑥〕「いさ、よそにはさもや定め侍るらむ、知り給へず」を現代語訳せよ。
- 傍線部〔⑥〕の「いさ」の意味として最も適当なものを次から選べ。
- ア さあ、どうだか(よくわからない) イ いやだ ウ いざ(さあ行こう) エ 少しも
- 傍線部〔⑥〕の「定め侍るらむ」の「らむ」の文法的意味を答えよ。
- 傍線部〔⑦〕「これをうちうちに申ししは」とあるが、「これ」が指す内容を本文に即して説明せよ。また、この部分以降は誰が誰に語った言葉か、語り手を明らかにせよ。
- 傍線部〔⑨〕「景気」の本文中での意味として最も適当なものを次から選べ。
- ア 経済の動向 イ 景色・情景、また歌のおもむき ウ 人の気分 エ 天気のよしあし
- 傍線部〔⑩〕「いはむかたなく」を現代語訳せよ。また「いはむかたなし」の「む」の文法的意味を答えよ。
- 傍線部〔⑪〕「ことに深く心にくく見ゆる」の「心にくし」の本文中での意味を答えよ。
- 傍線部〔⑧〕「おぼゆる」、傍線部⑪の直前にある「心にくく見ゆる」について、それぞれ終止形を答えよ。さらに〔⑧〕「おぼゆる」が連体形になっている文法上の理由を説明せよ。
- 本文の末尾「まことしく言ひ表したるところは少なくて、おのづから余りて心にくくあらまほしきなり」とは、優れた歌をどのようなものだと述べているか。俊恵(長明)の歌論として、四十字程度で説明せよ。
- 傍線部〔①〕の「し」は助動詞である。
- (1) この「し」の終止形(基本形)を答えよ。
- (2) この助動詞の意味(文法的意味)を答えよ。
- 傍線部〔②〕の「べから(べし)」の文法的意味として最も適当なものを次から選べ。
- ア 推量 イ 意志 ウ 可能 エ 当然 オ 命令
- 和歌「夕されば…」の「夕されば」の意味(現代語訳)を答えよ。また「されば」の「さる」の意味を説明せよ。
- 傍線部〔④〕の歌(深草の里の歌)と傍線部〔⑤〕の歌(面影の歌)について、俊成自身と世間の人々はそれぞれどちらを優れていると評価しているか。本文に即して説明せよ。
▼ 解答・解説を見る
問1 訳:「五条三位入道(=俊成)のもとに参上した」。「まうで」は謙譲語(「参る・参上する」の意の「まうづ」)。話し手である俊恵から、訪問先である俊成(五条三位入道)に対する敬意を表す。
問2 (1) 鴨長明(かものちょうめい)。 (2) 『方丈記』(随筆)。 (3) 歌論書(広く「歌論」とも)。 (4) 『千載和歌集(千載集)』(藤原俊成が単独で撰した勅撰和歌集)。
問3 「(それを)採用するわけにはいきません/用いるべきではありません」。世間の人々の評価は当てにせず、俊成本人の判断を直接聞きたい、という文脈。
問4 訳:「夕方になると、野辺を吹く秋風が身にしみて感じられ、(そのなかで)鶉が鳴いているのが聞こえる、この深草の里では。」秋の夕暮れのもの寂しい情趣を詠む。
問5 (例)「歌の余情を直接『身にしみて』と言葉に出して説明してしまい、言外に感じさせる奥ゆかしさ(幽玄)を損なっているから。」(約四十字)
問6 美的理念:幽玄(余情・余韻でもよい)。第三句への評価の語:無念(「いみじう無念」)。「身にしみて」と言い切ったために、言外の余情がそがれて「無念」だと評している。
問7 (1) 伝聞・推定の助動詞「なり」。ここでは鶉の鳴き声を耳で聞いて述べる推定(〜が聞こえる・〜ているようだ)の意。 (2) 直前の「鳴く」が終止形であることから、断定の「なり」(体言・連体形接続)ではなく、終止形接続の伝聞・推定の「なり」と判断できる。
問8 (例)「人前に出して恥ずかしくない自信作・代表歌。」(十五字以内)
問9 (例)満開の桜の美しい姿を心に思い描き(面影に立て)、その面影に誘われていくつもの峰を越えて来た、その行く手の峰にかかる白雲よ、という歌。実景よりも心に浮かぶ「面影」の美を主題とし、華やかで余情に富む。
問10 イ。完了(強意)の助動詞「ぬ」の終止形。なお「来(き)ぬ」の「き」はカ変「来(く)」の連用形で、これに完了「ぬ」が付く。打消「ず」の連体形「ぬ」なら直前は未然形「来(こ)」となるため区別できる。
問11 訳:「さあ、(私には)どうだか。世間ではそのように評価しているのでしょうか、(私には)わかりません。」自分の代表歌は深草の里の歌だ、という前段を承けて、世評には深入りせずやんわりかわす俊成の言葉。
問12 ア。「いさ」は下に打消や不確かな言い方を伴い、「さあ(どうだか)・さあ知らない」と、判断を保留する語。
問13 現在推量(〜ているのだろう)。目に見えない他所での世評を推し量る用法。
問14 「これ」=「身にしみて」という第三句(腰の句)を直接的に言い表したこと、すなわち深草の里の歌の表現上の難点を指す。この「これをうちうちに申ししは…」以降は、俊恵が(弟子の長明に)内輪の本音として語った批評であり、語り手は俊恵(それを記録するのが鴨長明)。
問15 イ。ここでの「景気」は景色・情景、転じて歌のかもし出すおもむき・余情を指す。
問16 訳:「何とも言いようがなく(すばらしい)。」「いはむかたなし」=言いようがない。「む」は婉曲(〜ような)/仮定の用法で、「言おうとする方法もない」の意。
問17 「心にくし」=奥ゆかしい・上品で深みがある。直接的でなく、心ひかれるような趣の深さをいう。
問18 「おぼゆる」の終止形はおぼゆ、「見ゆる」の終止形は見ゆ。〔⑧〕が連体形「おぼゆる」になっているのは、直後に断定の助動詞「なり」が付いており、「なり」が連体形接続であるため(「無念におぼゆるなり」)。
問19 (例)「はっきり言い表した部分は少なく、言葉の外に自然とにじみ出る余情によって、奥ゆかしい趣をたたえているのが優れた歌だ、ということ。」(約四十字)
問20 (1) き。 (2) 過去(自分が直接体験した過去)。連体形「し」が直後の体言的内容「ついで」にかかる。俊恵が実際に俊成のもとを訪れた経験を回想している。
問21 エ(当然)。打消「ず」を伴い「〜べきではない・〜わけにはいかない」と訳す当然・適当の用法。
問22 「夕されば」=「夕方になると」。「さる」は「(時が)来る・なる・移り近づく」の意の動詞で、「夕さる」で「夕方になる」。已然形+「ば」で順接の確定条件(〜すると)を表す。
問23 俊成自身は「夕されば…深草の里」の歌を自分の代表歌(おもて歌)として最も優れているとし、面影の歌とは「言ひ比ぶべからず(比べものにならない)」と述べる。一方世間の人々は「面影に花の姿を…」の歌を優れていると評価している。両者の評価は分かれている。
※この問題は誰でも古典塾オリジナルです。本文は古典作品(著作権の対象外)から正確に引用しています。
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