諸子百家のうち、戦国時代に活躍した法家の韓非子(紀元前3世紀ごろ)は、君主が国を治めるには「法(成文化された決まり)」「術(臣下を見抜き使いこなす方法)」「勢(君主の権力・地位)」の三つが必要だと説き、功績には必ず賞を、罪には必ず罰を与える「信賞必罰」を重んじました。一方、墨子(墨家、孔子よりやや後の人)は、自他の区別なくすべての人を等しく愛する「兼愛」を唱え、戦争を最大の害悪として侵略戦争に反対する「非攻」を主張しました。両者はともに、儒家の説く血縁中心の「仁」や家族的な徳治に対し、別の角度から乱世の治め方を示した思想です。次の文章・資料を読み、後の問いに答えよ。
本文
① 〔韓非子・二柄篇〕(白文)
(書き下し)明主の其の臣を導制する所の者は、二柄のみ。二柄とは、刑徳なり。何をか刑徳と謂ふ。曰く、殺戮、之を刑と謂ひ、慶賞、之を徳と謂ふ。
※「二柄」とは君主が臣下を統御するための二つの取っ手、すなわち「刑(処罰)」と「徳(恩賞)」のこと。君主はこの賞罰の権限を自分の手で握っていなければならない、と韓非子は説く。これが「信賞必罰」の根拠であり、法家の中心思想である。
② 〔法・術・勢の説明〕
韓非子の政治思想は、次の三つの要素から成る。
・法…身分にかかわらず万人に等しく適用される、公開された成文の決まり。これを「法は貴きに阿(おもね)らず」という言葉が示す。
・術…君主が臣下の能力や本心を見抜き、適材適所に用い、不正を防ぐための(人には見せない)統治の技術。
・勢…君主がもつ権力・地位・威光。たとえ凡庸な君主でも、この「勢」があれば臣下を従わせられるとする。
これらを支えるのが、功績には必ず賞を、罪には必ず罰を与える「信賞必罰」である。③ 〔墨子・兼愛上篇〕(白文)
(書き下し)人の家を視ること其の家のごとくんば、誰か乱さん。人の身を視ること其の身のごとくんば、誰か賊(そこな)はん。故に天下兼ねて相愛すれば則ち治まり、交(こもごも)相悪めば則ち乱る。
※墨子は、世の乱れの原因は人が互いに愛し合わないこと(自他を区別する「別愛」)にあると考えた。他人の家・他人の身を自分のものと同じように大切にすれば、争いも盗みも起こらない。このように自他を区別せずすべてを等しく愛することを「兼愛」という。
④ 〔非攻の趣旨〕
墨子は、一人を殺せば罪に問われるのに、他国を攻めて多くの人を殺す侵略戦争が「義」として称賛されるのは矛盾だと批判した。戦争は人命・財貨をいたずらに損なう最大の害悪であるとして、侵略戦争を否定する。これが「非攻」である。「兼愛」(すべての人を等しく愛する)を実践すれば、おのずと他国を攻めることはなくなる、という関係にある。
設問
- 本文①の傍線部①「二柄」とは具体的に何と何を指すか、本文中の語(漢字)二字でそれぞれ答えよ。
- 本文①の「明主之所導制其臣者、二柄而已矣」を書き下し文に改めよ。
- 本文①の「而已矣」の読み(ひらがな)と意味を答えよ。
- 本文①の「殺戮之謂刑、慶賞之謂徳」を現代語訳せよ。
- 本文①「殺戮之謂刑」の「之」の働きとして最も適切なものを次から選べ。
- ア 主語「殺戮が」を示す イ 「殺戮を」と目的語を前に出して強調する働き ウ 「行く」という動詞 エ 「これ」と前を指す指示語
- 韓非子が君主の統治に必要とした三つの要素「法・術・勢」について、次の各説明にあてはまるものを「法・術・勢」から一つずつ選べ。
- (ア) 身分にかかわらず万人に等しく適用される、公開された成文の決まり。
- (イ) 君主がもつ権力・地位・威光。
- (ウ) 臣下の能力や本心を見抜き、不正を防ぐための、表に出さない統治の技術。
- 墨子が説く「兼愛」と「非攻」は、どのような関係にあるか。両者のつながりを一文で説明せよ。
- 儒家(孔子)の説く「仁」と、墨子の説く「兼愛」は、愛のあり方の点でどのように異なるか説明せよ。
- 本文③の「視人身若其身、誰賊」を書き下し文に改めよ。
- 本文③の「天下兼相愛則治、交相悪則乱」を現代語訳せよ。
- 本文④で述べられる「非攻」とはどのような主張か。三十字以内で説明せよ。
- 墨子が「非攻」を主張する根拠として挙げた、一人を殺すことと他国を攻めることとの間にある「矛盾」とはどのようなものか、説明せよ。
- 諸子百家について述べた次の文のうち、内容が正しいものをすべて選べ。
- ア 韓非子は、君主が賞罰の権限を臣下に委ねるべきだと説いた。
- イ 墨子は、侵略戦争を最大の害悪として「非攻」を唱えた。
- ウ 「兼愛」は、自分の家族をとりわけ重んじる差別的な愛を説いたものである。
- エ 法家の思想は、のちに秦の統一国家を支える理論的な柱の一つとなった。
- 本文①で説かれているように、功績には必ず賞を与え、罪には必ず罰を与える政治のあり方を表す四字の語を答えよ。
- 韓非子の説く「法」の特徴として、身分の高い者にも例外なく適用されるという性格がある。このことを、儒家の徳治と対比しながら一文で説明せよ。
- 韓非子のように、道徳ではなく「法」によって国家を治めるべきだと説いた、諸子百家の中の学派を何というか。漢字二字で答えよ。
- 墨子が唱えた、自他を区別せずすべての人を等しく愛するという思想を何というか。漢字二字で答えよ。
- 墨子が、世の中が乱れる根本の原因はどこにあると考えたか。本文③をふまえて簡潔に説明せよ。
- 墨子を祖とする学派を何というか。漢字二字で答えよ。
- 「無為自然」を説き、人為的な制度や道徳を退けた道家の思想は、法によって人を厳しく統制しようとする韓非子の思想とは対照的である。この道家の代表的な思想家を一人答えよ。
- 次の語句の意味として最も適切なものを、後のア〜エから一つずつ選べ。
- (1) 慶賞
- (2) 賊(そこなふ)
ア 恩賞・ほうび イ 害する・傷つける ウ 喜び祝う宴 エ 盗賊を捕らえる
- 韓非子は、ある思想家の弟子として学びながら、性悪説を一つの背景として法家の思想を大成した。その師にあたる、儒家でありながら性悪説を唱えた人物は誰か。
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問1 刑(処罰)と徳(恩賞)/(解説)「二柄」=二つの取っ手の意で、臣下を操るための手段をたとえる。直後に「二柄者、刑徳也」とある。「徳」はここでは道徳の意ではなく「恩賞を与えること」を指す点に注意。
問2 明主の其の臣を導制する所の者は、二柄のみ/(解説)「所導制其臣者」は「其の臣を導制する所の者」と読む。「而已矣」は「のみ」と読み、強い限定を表す。意味は「すぐれた君主が臣下を導き統御するための手段は、二つの取っ手だけである」。
問3 読み…のみ 意味…〜だけだ、〜にすぎない(強い限定)/(解説)「而已(のみ)」をさらに強めた句末表現。「二柄而已矣」で「二つの取っ手だけである」となる。
問4 (罪人を)殺すこと、これを刑といい、(功ある者を)祝い賞すること、これを徳という。/(解説)「殺戮之謂刑」は「殺戮、之を刑と謂ふ」。「A之謂B」で「A、これをBという」の形。「慶賞」は功績をたたえて与える恩賞。
問5 イ/(解説)「殺戮之謂刑」は本来「謂殺戮(為)刑」の語順で、目的語「殺戮」を動詞「謂」の前に出し、「之」で受け直して強調した形。「A之謂B」=「A、これをBという」。エの指示語の用法と紛らわしいが、ここでは前に出した目的語を承ける働き。
問6 (ア) 法 (イ) 勢 (ウ) 術/(解説)法は公開された成文のきまり、術は表に出さない人事・監督の技術、勢は君主の地位・権力。韓非子はこの三者を結合して統治論を組み立てた。
問7 (例)すべての人を等しく愛する「兼愛」を実践すれば、他国の人々をも自国の人と同じように大切にすることになり、おのずと他国を攻める侵略戦争(=攻)はなくなるという関係にある。/(解説)「兼愛」が原理で、「非攻」はその具体的な帰結・実践面にあたる。
問8 (例)儒家の「仁」が、まず肉親への愛から始めて段階的に他者へ及ぼす、親疎・遠近による差を認める愛(差等のある愛)であるのに対し、墨子の「兼愛」は自他や親疎の区別をいっさい設けず、すべての人を等しく愛する点で異なる。/(解説)儒家=差別愛(差等のある愛)、墨家=兼愛(無差別・平等な愛)と対比される。
問9 人の身を視ること其の身のごとくんば、誰か賊はん/(解説)「視A若B」は「Aを視ることBのごとし」。「若其身」は「其の身のごとくんば」と仮定で読む。「誰賊」は反語で「誰がそこなおうか、いや、そこなわない」。
問10 天下の人々が分け隔てなく互いに愛し合えば(世は)治まり、互いに憎み合えば(世は)乱れる。/(解説)「兼相愛」=自他の区別なく互いに愛すること。「交相悪」=かわるがわる互いに憎み合うこと。「則」は「〜すれば(then)」。
問11 (例)侵略戦争を最大の害悪として否定する主張。(19字)/(解説)「非攻」は他国への侵略戦争に反対する考え。自衛は否定していない点に注意。
問12 (例)一人を殺せば罪人として罰せられるのに、戦争で他国を攻めて多くの人を殺すと、かえって「義」として称賛される。殺人の規模が大きいほど称えられるのは、是非の判断として明らかに矛盾している、というもの。/(解説)墨子は殺人の罪の大小という一貫した基準から、侵略戦争の不当性を論じた。
問13 イ・エ/(解説)ア…誤り。韓非子は賞罰の権限を臣下に渡してはならない(自分で握るべきだ)と説いた(本文①参照)。ウ…誤り。「兼愛」は差別をしない平等な愛で、身内だけを重んじる愛ではない。イ…正しい(非攻)。エ…正しい。法家の思想は李斯らを通じて秦の統一国家を支えた。
問14 信賞必罰/(解説)功績には必ず賞を、罪には必ず罰を与えること。賞罰を厳格・公正に行うことで臣下を統御するという、法家の中心となる考え方。
問15 (例)儒家が君主の徳によって人民を感化する徳治を理想とするのに対し、韓非子の「法」は身分の高い者にも例外なく等しく適用され、君主の徳ではなく公開されたきまりによって国を治めようとする点に特徴がある。/(解説)「法は貴きに阿らず(法律は身分の高い者にもおもねらない)」という法家の立場をおさえる。
問16 法家/(解説)道徳ではなく法・術・勢による統治を説いた学派。韓非子のほか、商鞅・申不害・李斯らがこの流れに属する。
問17 兼愛/(解説)「兼」は「あわせて・分け隔てなく」の意。自分も他人も等しく愛する博愛思想で、家族や身分による愛の差をつける儒家の立場と対立する。
問18 (例)人々が互いに愛し合わず、自分や自分の身内だけを愛して他人を区別する「別愛」の心にある。本文に「交相悪めば則ち乱る」とあるように、自他を分け隔てる心が争いや盗みを生むと考えた。/(解説)墨子は乱の原因を「不相愛」に求めた。
問19 墨家/(解説)墨子(墨翟)を祖とする学派。固い組織と規律をもち、戦国時代には儒家と並ぶ二大学派とされた。
問20 老子(または荘子)/(解説)「無為自然」を説いた道家の代表者。人為的な制度・道徳・法を退ける道家の立場は、法による厳格な統制を説く法家と対照的である。
問21 (1) ア(恩賞・ほうび) (2) イ(害する・傷つける)/(解説)「慶賞」は功をたたえて与えるほうび。「賊(そこなふ)」は他人や物を傷つけ損なうこと。
問22 荀子/(解説)性悪説を唱えた戦国末の儒家。韓非子と李斯はその門下で学んだとされ、荀子の性悪説は人を法で律する法家思想の一つの背景となった。
※この問題は誰でも古典塾オリジナルです。本文の引用は古典(著作権の対象外)から正確に行っています。
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