史記『鴻門の会』をやさしく解説|現代語訳・書き下し文・句法のポイント

史記 鴻門の会 天下を分けた宴 漢文

はじめに ―「鴻門の会」ってどんな話?

「鴻門の会(こうもんのかい)」は、中国の歴史書『史記(しき)』に出てくる、とても有名な場面です。のちに漢(かん)の初代皇帝となる劉邦(りゅうほう)=沛公(はいこう)と、その最大のライバル項羽(こうう)=項王(こうおう)が、鴻門という場所での酒宴(しゅえん)で顔を合わせます。

表向きは仲直りの宴ですが、その裏では「沛公を殺すか、殺さないか」という、命がけのかけ引きが進んでいました。剣の舞にかこつけて沛公を斬ろうとする者あり、それを身体を張って守る者あり……。たった一回の食事会が、後の天下の行方(ゆくえ)を左右した、という意味で「一宴、天下を定む」とも言われる名場面です。

ここでは、教科書でよく採録される「沛公が項王に弁明する場面」から「范増(はんぞう)が玉玦(ぎょっけつ)を挙げて合図し、項荘(こうそう)が剣の舞をする場面」までを取り上げます。原文(白文)は長いので、この範囲に絞ってご紹介します。

登場人物をおさえよう

先に人物を整理しておくと、本文がぐっと読みやすくなります。

  • 沛公(はいこう)=劉邦。のちの漢の高祖(こうそ)。この場面では、項羽より一足先に秦(しん)の都へ入ってしまい、にらまれている立場。
  • 項王(こうおう)=項羽。圧倒的な軍事力を持つ実力者。沛公を疑って怒っているが、情にもろい一面がある。
  • 范増(はんぞう)=項羽の参謀(さんぼう)。「亜父(あほ)」(父に次ぐ人、の意)と呼ばれるほど信頼される軍師。今のうちに沛公を殺すべきだと主張する。
  • 項伯(こうはく)=項羽の叔父(おじ)。実は沛公側の張良(ちょうりょう)と親しく、ひそかに沛公をかばう。
  • 項荘(こうそう)=項羽の一族の若者。范増の命令で、剣の舞を口実に沛公を斬ろうとする。
  • 張良(ちょうりょう)=沛公の名参謀。

白文(原文)

ここで扱うのは、『史記』巻七「項羽本紀(こううほんぎ)」の、沛公が鴻門にやって来る場面からです。読みやすいように、内容のまとまりごとに区切っています。

① 沛公、項王に弁明する

沛公旦日従百余騎、来見項王、至鴻門、謝曰、「臣与将軍、戮力而攻秦。将軍戦河北、臣戦河南。然不自意、能先入関破秦、得復見将軍於此。今者有小人之言、令将軍与臣有郤。」

項王曰、「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」

② 宴の席次と、范増の合図

項王即日因留沛公与飲。項王・項伯東嚮坐、亜父南嚮坐。―亜父者、范増也。―沛公北嚮坐、張良西嚮侍。

范増数目項王、挙所佩玉玦以示之者三。項王黙然不応。

③ 范増、項荘に命じる / 項荘の剣の舞

范増起、出召項荘、謂曰、「君王為人不忍。若入前為寿、寿畢、請以剣舞、因撃沛公於坐、殺之。不者、若属皆且為所虜。」

荘則入為寿。寿畢曰、「君王与沛公飲、軍中無以為楽。請以剣舞。」項王曰、「諾。」項荘抜剣起舞。項伯亦抜剣起舞、常以身翼蔽沛公。荘不得撃。

書き下し文

白文を、昔の日本語の読み方(訓読)になおしたものが「書き下し文」です。声に出して読むと、リズムがつかめます。

① 沛公、項王に弁明する

沛公旦日(たんじつ)百余騎を従へ、来たりて項王に見(まみ)えんとし、鴻門に至り、謝して曰はく、「臣(しん)将軍と力を戮(あは)せて秦を攻む。将軍は河北(かほく)に戦ひ、臣は河南(かなん)に戦ふ。然れども自ら意(おも)はざりき、能(よ)く先に関(かん)に入りて秦を破り、復(ま)た将軍に此(ここ)に見(まみ)ゆるを得んとは。今者(いま)小人(しょうじん)の言有りて、将軍をして臣と郤(げき)有らしむ。」と。

項王曰はく、「此れ沛公の左司馬(さしば)曹無傷(そうむしょう)之を言へり。然らずんば、籍(せき)何を以(もっ)てか此(ここ)に至らん。」と。

② 宴の席次と、范増の合図

項王即日(そくじつ)因(よ)りて沛公を留めて与(とも)に飲む。項王・項伯は東嚮(とうきょう)して坐し、亜父(あほ)は南嚮(なんきょう)して坐す。―亜父とは范増なり。―沛公は北嚮(ほっきょう)して坐し、張良は西嚮(せいきょう)して侍(じ)す。

范増数(しばしば)項王に目し、佩(お)ぶる所の玉玦(ぎょっけつ)を挙げて以て之に示す者(こと)三たびす。項王黙然(もくぜん)として応ぜず。

③ 范増、項荘に命じる / 項荘の剣の舞

范増起ち、出でて項荘を召し、謂(い)ひて曰はく、「君王(くんおう)人と為(な)り忍びず。若(なんぢ)入りて前(すす)みて寿(じゅ)を為し、寿畢(をは)らば、請ふ剣を以て舞ひ、因りて沛公を坐に撃ちて、之を殺せ。不(しか)らずんば、若(なんぢ)が属(ぞく)皆且(まさ)に虜(とりこ)とする所と為らんとす。」と。

荘則ち入りて寿を為す。寿畢りて曰はく、「君王沛公と飲む、軍中(ぐんちゅう)以て楽しみを為す無し。請ふ剣を以て舞はん。」と。項王曰はく、「諾(だく)。」と。項荘剣を抜き起ちて舞ふ。項伯も亦(ま)た剣を抜き起ちて舞ひ、常に身を以て沛公を翼蔽(よくへい)す。荘撃つを得ず。

現代語訳(やさしく)

① 沛公、項王に弁明する

沛公は翌朝、百騎あまりの部下を引き連れて、項王にお目にかかろうとやって来ました。鴻門に着くと、おわびして言いました。

「私は将軍(=項王)とともに力を合わせて秦を攻めました。将軍は黄河の北で戦い、私は黄河の南で戦いました。けれども、自分でも思いもよりませんでした ―― この私が先に関(=函谷関〈かんこくかん〉のこと、秦の都への関所)に攻め入って秦を破り、こうしてふたたび将軍にお目にかかれようとは。それなのに今、つまらぬ者の告げ口があって、将軍と私の間に仲たがいを生じさせているのです。」

すると項王は言いました。「それは、お前(=沛公)の家臣の左司馬(軍の役職)である曹無傷が言ったことだ。そうでなければ、この私(=籍。項羽の本名)が、どうしてこんな(疑うような)事態になろうか。」

② 宴の席次と、范増の合図

項王はその日、そのまま沛公を引き留めて、いっしょに酒を飲みました。席順は、項王と項伯が東向き、亜父(=范増)が南向きに座ります。―「亜父」とは范増のことです。―沛公は北向きに座り、張良は西向きにひかえました。

范増は何度も項王に目くばせをし、自分が腰につけている玉玦(ぎょっけつ。半分が欠けた輪の形の玉〈たま〉)を持ち上げて、項王に三度も合図しました。けれども項王は、だまったままで応じませんでした。

※この「玉玦(けつ)」がポイントです。「玦(けつ)」は「決(けつ)」=「決断する・縁を切る」と同じ音。范増は玉玦を見せることで、「(沛公を斬ると)決断してください」と、無言で項王にうったえていたのです。

③ 范増、項荘に命じる / 項荘の剣の舞

範増は立ち上がり、(席を)出て項荘を呼び寄せ、言いました。「君王(=項王)は、人がら上、(むごいことが)できないお方だ。お前が中に入って進み出て、(さかずきをささげる)長寿の祝いをし、それが終わったら、『剣の舞をさせてください』と願い出ろ。そして、その場で沛公を斬って殺してしまえ。そうしなければ、お前たち一同は、皆これから(いずれ沛公方の)とりこにされてしまうぞ。」

項荘はそこで中に入り、長寿の祝いをしました。それが終わると言いました。「君王が沛公と酒を飲んでおられますが、軍中のこととて、楽しませる出し物がございません。どうか剣の舞をさせてください。」項王は「よろしい」と言いました。項荘は剣を抜いて立ち上がり、舞い始めました。すると項伯もまた剣を抜いて立ち上がって舞い、いつも自分の身体で(鳥が翼〈つばさ〉で包むように)沛公をかばいました。そのため、項荘は(沛公を)斬ることができませんでした。

重要語句・句法のポイント

この場面には、漢文でよく問われる句法(くほう)がぎゅっと詰まっています。既に習った形を思い出しながら確認しましょう。

1. 使役(しえき)「令 A B」=「AをしてBせしむ」

令将軍与臣有郤(将軍をして臣と郤〈げき〉有らしむ)。「令」は使役を表す代表的な字で、「AにBさせる」の意味。「将軍を、私と仲たがいさせる」と訳します。
※「郤(げき)」=すきま・仲たがい。ここでの「小人(しょうじん)」は身分ではなく「つまらない人物・告げ口する者」の意味です。

2. 反語(はんご)「何以〜」=「何を以てか〜ん(や)」

籍何以至此(籍〈せき〉何を以てか此に至ら)。形は問いかけですが、答えは決まっていて「どうして〜だろうか、いや〜ない」と強く否定する言い方です。「(曹無傷の告げ口がなければ)どうしてこんな疑いを抱くだろうか、いや抱きはしない」という気持ちです。文末が「〜ん」と結ばれている点に注目しましょう。

3. 再読文字(さいどくもじ)「且」=「まさに〜んとす」

若属皆且為所虜(若〈なんぢ〉が属皆且に虜とする所と為らんとす)。「且」は一字を二回読む再読文字で、「今にも〜しようとする・〜しそうだ」と、差し迫った様子を表します。「お前たちは皆、今にもとりこにされてしまいそうだ」。

4. 受身(うけみ)「為 A 所 B」=「AのBする所と為る」

同じ為所虜(虜とする所と為る)が受身の形です。「為〜所…」で「〜に…される」。ここでは「(敵に)とりこにされる」。3の再読文字「且」と組み合わさって、「今にも、とりこにされてしまうだろう」となります。

5. その他のおさえどころ

  • 戮力(力を戮〈あ〉はす)=力を合わせる。「戮」をここでは「あはす」と読みます。
  • 不自意(自ら意〈おも〉はざりき)=自分でも思いもしなかった。「自ら」が動詞の前に来る形。
  • 所佩玉玦(佩〈お〉ぶる所の玉玦)=身につけている玉玦。「所+動詞」で「〜するもの」。
  • 以示之者三(以て之に示す者〈こと〉三たびす)=合図することを三度くり返した。数を後ろに置いて「三度」を強調する形。
  • 翼蔽す(よくへいす)=鳥が翼で包みかばうように、身を寄せて守る。項伯のとっさの行動を表す印象的な言葉です。
  • 諾(だく)=「承知した・よろしい」という返事の言葉。

背景・主題・故事成語

なぜ二人は対立していたの?

秦の始皇帝(しこうてい)の死後、各地で反乱が起き、項羽と劉邦は協力して秦を倒そうとしていました。ところが、「先に秦の都(関中〈かんちゅう〉)に入った者が、そこの王になる」という約束があったのに、軍事力で劣るはずの劉邦が一足先に都へ入ってしまいます。そこへ「劉邦は関中の王になるつもりだ」という曹無傷の告げ口が届き、項羽は激怒。劉邦を攻め滅ぼそうとしました。その緊張のなかで開かれたのが、この鴻門の宴だったのです。

この場面の主題 ―「決断できる者」と「できない者」

范増は、天下を取るにはここで劉邦を消すしかないと見抜き、何度も合図を送ります。しかし項羽は、情にもろく、また自分の力を過信していたためか、決断できません。一方の劉邦は、低い姿勢でていねいに弁明し、危機を切り抜けます。「決断すべき時に決断できるかどうか」が二人の運命を分けていく ―― その分かれ目が、ここに凝縮されています。のちに天下を取るのは、この場を生きのびた劉邦のほうでした。

この場面から生まれた言葉

  • 項荘、剣を舞わす(項荘舞剣〈こうそうぶけん〉、意は沛公に在り)……表向きは「余興の剣の舞」を装いながら、本当の狙い(=沛公の暗殺)は別にある、という意味。「もっともらしい口実の裏に、別のねらいが隠されている」ことのたとえとして、現在でも使われます。まさにこの項荘の剣の舞が語源です。
  • 鴻門の会(鴻門之会)……それ自体が、「敵対する者どうしが顔を合わせる、緊張をはらんだ会談」のたとえとして使われることがあります。

このあと物語は、劉邦の家臣・樊噲(はんかい)が宴に乱入する有名な場面へと続いていきます。「決断できなかった項羽」が、後にどんな結末を迎えるのか ―― そこまで知ると、この一場面の重みがいっそう深く感じられるはずです。

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