「完璧(かんぺき)」という言葉は、いまでは「まったく欠点のないこと」という意味で毎日のように使われますね。じつはこの言葉、二千年以上前の中国の歴史書『史記(しき)』に出てくる、ある家臣のかしこい行動から生まれた故事成語です。
主人公は趙(ちょう)の国の家臣・藺相如(りんしょうじょ)。となりの強国・秦(しん)の王が、「町十五個と引きかえに、趙の国宝の宝玉(ほうぎょく)をゆずってほしい」と申し出てきた――でも、どう見てもその約束はあやしい。藺相如はたった一人で秦に乗りこみ、機転(きてん)をきかせて宝玉を一つも傷つけずに趙へ持ち帰ります。この記事では、その一番の見せ場を、白文・書き下し文・現代語訳・句法のポイントの順にやさしく解説します。
この記事で扱う範囲について
『史記』の「廉頗藺相如列伝(れんぱりんしょうじょれつでん)」は長い物語なので、ここでは教科書でもっともよく採られる「秦王、章台(しょうだい)に坐して相如を見る」から「秦も亦(また)城を以て趙に予(あた)へず、趙も亦終に璧を秦に予へず」までの、秦の宮殿での対決の場面(クライマックス)にしぼって取り上げます。物語の前半(宝玉を手に入れたいきさつや、使者を引き受ける場面)は省略しています。
白文(原文)
『史記』巻八十一・廉頗藺相如列伝より、対決の場面の原文です。
秦王坐章臺見相如。相如奉璧奏秦王。秦王大喜、傳以示美人及左右。左右皆呼萬歳。
相如視秦王無意償趙城、乃前曰、「璧有瑕。請指示王。」王授璧。相如因持璧卻立、倚柱、怒髮上沖冠、謂秦王曰、「大王欲得璧、使人發書至趙王。趙王悉召群臣議、皆曰、『秦貪、負其彊、以空言求璧、償城恐不可得。』議不欲予秦璧。臣以爲布衣之交尚不相欺、況大國乎。且以一璧之故逆彊秦之驩、不可。於是趙王乃齋戒五日、使臣奉璧、拜送書於庭。何者。嚴大國之威以修敬也。今臣至、大王見臣列觀、禮節甚倨。得璧、傳之美人、以戲弄臣。臣觀大王無意償趙王城邑、故臣復取璧。大王必欲急臣、臣頭今與璧倶碎於柱矣。」
相如持其璧睨柱、欲以撃柱。秦王恐其破璧、乃辭謝固請、召有司案圖、指從此以往十五都予趙。相如度秦王特以詐詳爲予趙城、實不可得、乃謂秦王曰、「和氏璧、天下所共傳寶也。趙王恐、不敢不獻。趙王送璧時、齋戒五日。今大王亦宜齋戒五日、設九賓於廷、臣乃敢上璧。」秦王度之、終不可彊奪、遂許齋五日、舍相如廣成傳。
相如度秦王雖齋、決負約不償城、乃使其從者衣褐、懷其璧、從徑道亡、歸璧於趙。
秦王齋五日後、乃設九賓禮於廷、引趙使者藺相如。相如至、謂秦王曰、「秦自繆公以來二十餘君、未嘗有堅明約束者也。臣誠恐見欺於王而負趙、故令人持璧歸、間至趙矣。且秦彊而趙弱、大王遣一介之使至趙、趙立奉璧來。今以秦之彊而先割十五都予趙、趙豈敢留璧而得罪於大王乎。臣知欺大王之罪當誅、臣請就湯鑊。唯大王與群臣孰計議之。」
秦王與群臣相視而嘻。左右或欲引相如去、秦王因曰、「今殺相如、終不能得璧也、而絶秦趙之驩。不如因而厚遇之、使歸趙。趙王豈以一璧之故欺秦邪。」卒廷見相如、畢禮而歸之。
相如既歸、趙王以爲賢大夫使不辱於諸侯、拜相如爲上大夫。秦亦不以城予趙、趙亦終不予秦璧。
書き下し文
秦王章台(しょうだい)に坐(ざ)して相如を見る。相如璧(へき)を奉(ほう)じて秦王に奏(すす)む。秦王大いに喜び、伝へて以(もっ)て美人(びじん)及び左右(さゆう)に示す。左右皆万歳(ばんざい)と呼ぶ。
相如、秦王の趙に城を償(つぐな)ふの意(い)無きを視て、乃(すなは)ち前(すす)みて曰(い)はく、「璧に瑕(きず)有り。請(こ)ふ王に指示せん。」と。王璧を授(さづ)く。相如因(よ)りて璧を持ちて卻立(きゃくりつ)し、柱に倚(よ)り、怒髪(どはつ)上(のぼ)りて冠(かんむり)を衝(つ)き、秦王に謂(い)ひて曰はく、「大王璧を得んと欲し、人をして書を発(はっ)して趙王に至らしむ。趙王悉(ことごと)く群臣を召して議せしに、皆曰はく、『秦は貪(むさぼ)り、其の彊(つよ)きを負(たの)み、空言(くうげん)を以て璧を求む。城を償ふこと恐らくは得べからず。』と。議(ぎ)秦に璧を予(あた)へんと欲せず。臣以為(おも)へらく、布衣(ふい)の交はりすら尚(な)ほ相(あひ)欺(あざむ)かず、況(いは)んや大国をや、と。且(か)つ一璧(いっぺき)の故(ゆゑ)を以て彊秦(きょうしん)の驩(かん)に逆(さか)らふは、不可なり。是(ここ)に於(お)いて趙王乃ち斎戒(さいかい)すること五日、臣をして璧を奉じ、書を庭(てい)に拝送(はいそう)せしむ。何者(なんとなれ)ば、大国の威を厳(おごそ)かにして以て敬(けい)を修(をさ)むればなり。今臣至るに、大王臣を列観(れっかん)に見て、礼節甚(はなは)だ倨(おご)れり。璧を得て、之(これ)を美人に伝へ、以て臣を戯弄(ぎろう)す。臣大王の趙王に城邑(じょうゆう)を償ふに意無きを観る。故に臣復(ま)た璧を取れり。大王必ず臣を急(きゅう)せんと欲せば、臣の頭(かうべ)今璧と倶(とも)に柱に砕けん。」と。
相如其の璧を持ちて柱を睨(にら)み、以て柱を撃たんと欲す。秦王其の璧を破らんことを恐れ、乃ち辞謝(じしゃ)して固く請(こ)ひ、有司(いうし)を召して図(づ)を案(あん)ぜしめ、此(ここ)より以往(いおう)十五都を指して趙に予へんとす。相如、秦王の特(た)だ詐(いつは)り詳(いつは)りて趙に城を予ふと為(な)して、実は得べからざるを度(はか)り、乃ち秦王に謂ひて曰はく、「和氏(かし)の璧は、天下の共に伝ふる宝なり。趙王恐れ、敢(あ)へて献ぜずんばあらず。趙王璧を送る時、斎戒すること五日なり。今大王も亦(また)宜(よろ)しく斎戒すること五日にして、九賓(きゅうひん)を廷(てい)に設(まう)くべし。臣乃ち敢へて璧を上(たてまつ)らん。」と。秦王之を度り、終(つひ)に彊(し)ひて奪ふべからずとし、遂(つひ)に斎すること五日を許し、相如を広成伝(こうせいでん)に舎(やど)らしむ。
相如、秦王斎すと雖(いへど)も、決して約に負(そむ)きて城を償はざらんことを度り、乃ち其の従者(じゅうしゃ)をして褐(かつ)を衣(き)、其の璧を懐(いだ)き、径道(けいどう)より亡(に)げ、璧を趙に帰(き)せしむ。
秦王斎すること五日の後、乃ち九賓の礼を廷に設け、趙の使者藺相如を引(ひ)く。相如至り、秦王に謂ひて曰はく、「秦は繆公(ぼくこう)より以来(このかた)二十余君、未だ嘗(かつ)て約束を堅明(けんめい)にする者有らざるなり。臣誠(まこと)に王に欺かれて趙に負かんことを恐る。故に人をして璧を持ちて帰らしめ、間(ひそ)かに趙に至れり。且つ秦は彊くして趙は弱し。大王一介(いっかい)の使(つかひ)を遣(つかは)して趙に至らば、趙立ちどころに璧を奉じて来(きた)らん。今秦の彊きを以てして先(ま)づ十五都を割(さ)きて趙に予へば、趙豈(あ)に敢へて璧を留めて大王に罪を得んや。臣大王を欺くの罪は誅(ちゅう)せらるべきを知る。臣請ふ湯鑊(とうかく)に就(つ)かん。唯(た)だ大王と群臣と孰(つらつ)ら之を計議せよ。」と。
秦王群臣と相(あひ)視て嘻(あ)す。左右或(ある)いは相如を引き去らんと欲す。秦王因りて曰はく、「今相如を殺すも、終に璧を得る能(あた)はざるなり。而(しか)して秦趙の驩を絶たん。如(し)かず、因りて之を厚遇(こうぐう)し、趙に帰らしむるに。趙王豈に一璧の故を以て秦を欺かんや。」と。卒(つひ)に廷に相如を見、礼を畢(を)へて之を帰す。
相如既に帰り、趙王以て賢大夫(けんたいふ)の使ひして諸侯(しょこう)に辱(はづか)しめられずと為し、相如を拝して上大夫(じょうたいふ)と為す。秦も亦城を以て趙に予へず、趙も亦終に璧を秦に予へず。
現代語訳(やさしく)
秦王は章台(離宮の高殿)に座って相如と会った。相如は宝玉をささげ持って秦王に差し出した。秦王は大喜びで、宝玉を次々に手渡して側室たちや家来たちに見せ、家来たちはみな「万歳」と叫んだ。
相如は、秦王に趙へ町を渡す気がまったくないことを見てとると、すっと進み出て言った。「その玉には傷があります。どうか王にお教えしましょう。」王は宝玉を相如に手渡した。相如はそこで宝玉を手にしたまま後ずさりし、柱に寄りかかって、怒りで髪の毛が逆立って冠を突き上げるほどの形相(ぎょうそう)で、秦王に言った。
「大王は宝玉を手に入れたいと思い、使者に手紙を持たせて趙王のもとへ送ってこられました。趙王が家来をすべて集めて相談したところ、みな『秦は欲が深く、強さを頼みにして、口先だけで宝玉を求めている。約束の町は、たぶん手に入らないだろう』と言い、宝玉を秦に渡したくないという意見でした。しかし私(相如)はこう考えたのです――身分の低い庶民どうしの付き合いでさえだましあわないのに、まして大国(の秦)がそんなことをするはずがない、と。それに、たった一つの宝玉のために強国・秦の機嫌を損ねるのはよくありません。そこで趙王は五日間の物忌み(斎戒)をして身を清め、私に宝玉をささげ持たせ、宮廷で手紙をうやうやしく見送って差し出させたのです。なぜそこまでしたかといえば、大国の威厳をうやまい、礼をつくすためです。ところが今、私がこちらに来てみると、大王は私をふつうの御殿でお会いになり、その態度はたいへん横柄(おうへい)。宝玉を受け取ると側室に手渡して、私をばかにしておもちゃのように扱われました。私は、大王に趙王へ町を渡す気がまったくないと見ました。だから宝玉を取り返したのです。もし大王が無理やり私から奪おうとなさるなら、私の頭は今この宝玉もろとも柱に砕け散るでしょう。」
相如は宝玉を手にして柱をにらみつけ、今にも柱に打ちつけようとした。秦王は宝玉が割れてしまうのを恐れ、わびを言ってしきりに思いとどまるよう頼み、役人を呼んで地図を調べさせ、「ここからあそこまでの十五の町を趙に与えよう」と指し示した。だが相如は、秦王がただ口先だけで趙に町を与えるふりをしているだけで、本当には手に入らないと見抜き、秦王に言った。「和氏の璧は、天下の人々がともに伝える宝です。趙王は(秦を)恐れ、献上しないわけにはいきませんでした。趙王がこの宝玉を送り出すときには、五日間の物忌みをなさいました。今、大王もぜひ五日間の物忌みをして、宮廷に九賓の礼(最高の格式の儀式)をととのえてください。そうすれば私もはじめて宝玉を差し上げましょう。」秦王は考えて、結局むりやり奪うことはできないと判断し、ついに五日間の物忌みを承知して、相如を広成伝(迎賓館)に泊まらせた。
相如は、秦王が物忌みをしても、けっきょく約束を破って町を渡さないだろうと見抜き、自分の従者にみすぼらしい着物を着せ、宝玉をふところに抱えさせて、抜け道から逃げ帰らせ、宝玉を趙へ持ち帰らせた。
秦王は五日間の物忌みを終えたあと、宮廷に九賓の礼をととのえ、趙の使者・藺相如を招き入れた。相如は進み出て秦王に言った。「秦は繆公(ぼくこう)以来、二十人あまりの君主がおられますが、まだ一度も約束をきちんと守った方はおられません。私は本当に、王にだまされて趙を裏切る結果になることを恐れました。ですから人に宝玉を持たせて帰らせ、こっそりともう趙に届いております。それに秦は強く趙は弱い。大王がたった一人の使者を趙に遣わせば、趙はすぐに宝玉をささげて差し出すでしょう。今、強い秦のほうから先に十五の町を割いて趙に与えれば、趙はどうして宝玉を手元に留めて大王に対して罪をおかしたりするでしょうか(けっしてしません)。私は大王をだました罪が死刑にあたることは承知しています。どうか私を煮殺しの刑(湯鑊)に処してください。ただ、大王と家来の方々とで、どうかよくよくご相談ください。」
秦王は家来たちと顔を見合わせて、あきれた声をもらした。側近の中には相如を引っぱって連れ去ろうとする者もいた。すると秦王は言った。「今ここで相如を殺しても、けっきょく宝玉は手に入らず、かえって秦と趙の友好を断ち切ることになる。それよりは、ここは相如を手厚くもてなして、趙へ帰してやるのがよい。趙王が、まさか宝玉ひとつのために秦をだますようなことをするはずがあるまい。」結局、宮廷で相如に会い、礼をすべて終えてから、彼を帰国させた。
相如が帰国すると、趙王は「立派な家臣が、使者として諸侯(他国)に恥をかかされずに役目を果たした」と評価し、相如を上大夫(高い位の家臣)に取り立てた。そして秦はとうとう町を趙に与えず、趙のほうもとうとう宝玉を秦に渡さなかった。
重要語句・句法のポイント
この場面には、入試でもよく問われる句法がたくさん出てきます。すでに習った句法を思い出しながら確認しましょう。
使役(〜しむ/〜せしむ)
「人をして書を発して趙王に至らしむ」「臣をして璧を奉ぜ(中略)しむ」「其の従者をして褐を衣(中略)しむ」など、「使(しム)」+AヲシテB(セ)しムの形がくり返し出てきます。「AにBさせる」という意味です。原文では「使人発書」「使臣奉璧」「使其従者衣褐」のように、使A+動詞の形になっています。誰が・誰に・何をさせたのかを正確につかむのがポイントです。
反語(〜んや/豈に〜んや)
相如のセリフの山場で反語が二度使われます。
- 「趙豈に敢へて璧を留めて大王に罪を得んや」(趙豈敢留璧而得罪於大王乎)=「趙がどうして宝玉を留めて大王に罪をおかしたりするだろうか、いや、けっしてしない」
- 「趙王豈に一璧の故を以て秦を欺かんや」(趙王豈以一璧之故欺秦邪)=「趙王がどうして宝玉ひとつのために秦をだますだろうか、いや、だましはしない」
「豈(あ)に〜んや」は反語の代表的な形で、文末の「乎」「邪(や)」が疑問・反語の助字です。形は疑問文でも、意味は「強い否定」になる点に注意しましょう。
抑揚(〜すら なほ〜、いはんや〜をや)
「布衣の交はりすら尚ほ相欺かず、況んや大国をや」(布衣之交尚不相欺、況大國乎)。これは「Aすら なホB、いはンヤCをや」という抑揚(よくよう)の形です。「AでさえBなのだから、まして(程度の重い)Cはなおさらだ」と、軽いものを引き合いに出して重いものを強調します。ここでは「庶民どうしでさえだましあわないのだから、まして大国ならなおさらだますはずがない」という主張です。
二重否定(〜ずんばあらず)
「敢へて献ぜずんばあらず」(不敢不獻)。「不〜不…」の形で、「〜しないわけにはいかない=必ず〜する」という強い肯定を表します。「献上しないわけにはいかなかった=献上せざるをえなかった」という意味です。
当然・適当(宜しく〜べし)
「大王も亦宜しく斎戒すること五日にすべし」(大王亦宜齋戒五日)。「宜シク〜ベシ」は再読文字「宜」を使った句法で、「〜するのがよい・当然〜すべきだ」という意味です。再読文字は一度目は副詞、二度目は「べし」と返って読む点を確認しましょう。
願望・自分の希望(請ふ〜ん)
「請ふ王に指示せん」(請指示王)、「臣請ふ湯鑊に就かん」(臣請就湯鑊)。「請フ〜ン」は「どうか〜させてください/〜したいと思います」と、自分の側の希望・申し出を述べる言い方です。この物語のもとになった有名なセリフ「臣請ふ璧を完(まっと)うして趙に帰らん」(私にこの宝玉を無事に趙へ持ち帰らせてください)も、この形です。
比較・選択(〜に如かず)
「如かず、因りて之を厚遇し、趙に帰らしむるに」(不如因而厚遇之、使歸趙)。「AB(スル)ニ如カず」で「AはBするのに及ばない=Bするほうがよい・いっそBしたほうがよい」という意味です。ここでは「殺すよりも、手厚くもてなして帰すほうがよい」という秦王の判断を表しています。
覚えておきたい語
- 璧(へき)…平たく中央に穴のあいた、輪の形の宝玉。ここでは趙の国宝「和氏の璧」。
- 瑕(きず)…玉のきず。相如はこれを口実に宝玉を取り戻しました。
- 斎戒(さいかい)…大切な儀式の前に、心身を清めて慎むこと。相如は時間かせぎにこれを要求しました。
- 九賓(きゅうひん)…最高の格式をもつ外交儀礼。相如はわざと高いハードルを出して、宝玉を逃がす時間をつくりました。
- 湯鑊(とうかく)…罪人を煮る大きな釜。「就湯鑊(湯鑊に就く)」で「処刑される覚悟だ」という意味になります。
- 怒髪上りて冠を衝く(怒髪上沖冠)…激しい怒りで髪が逆立ち冠を突き上げるほどだ、という様子。今も「怒髪天を衝く」という言葉で残っています。
背景・主題・故事成語
舞台は中国の戦国時代。西の強国・秦が勢いを増し、東の趙をはじめ各国がその圧力におびえていた時代です。秦王は「町十五個と引きかえに和氏の璧をゆずれ」と言ってきますが、これは形だけの取引で、本当は宝玉だけ奪い取るつもりでした。趙にとっては、断れば攻める口実を与え、応じれば宝玉をだまし取られるという、苦しい二択(にたく)だったのです。
この難局に名乗りを上げたのが藺相如です。彼はただ命がけだっただけではありません。相手の態度から本心を読みとり、「玉に傷がある」と嘘をついて宝玉を取り戻し、わざと物忌みや九賓の礼を要求して時間をかせぎ、その間にこっそり宝玉を趙へ逃がす――という、勇気と冷静な知恵の両方でピンチを切り抜けました。最後に秦王が相如を殺さなかったのも、「ここで殺しても損なだけだ」と計算させた相如の読み勝ちといえます。この物語が伝えるのは、力で押してくる相手に対しても、知恵と覚悟があれば渡り合えるということでしょう。
故事成語「完璧」
この話から生まれた故事成語が「完璧(かんぺき)」です。もとになったのは、相如が使者を引き受けるときに述べた「璧を完うして趙に帰る(完璧帰趙)」という言葉。「完」は「傷つけず無事に・まっとうする」、「璧」は宝玉のことで、もともとは「預かった大切なものを、傷一つつけずに無事に持ち帰る」という意味でした。
そこから転じて、今では「少しの欠点もなく、完全であること」を「完璧」と言うようになりました。ふだん何気なく使っているこの言葉の裏に、たった一人で強国に立ち向かった家臣の、命がけの知恵の物語があったのですね。あわせて「怒髪(天を)衝く」も、この場面に由来する有名な言い回しです。
なお、この藺相如はのちに、武将・廉頗(れんぱ)との対立を国のために我慢し、最後は二人が固い友情で結ばれる「刎頸(ふんけい)の交わり」の物語へと続いていきます。そちらもあわせて読むと、藺相如という人物の大きさがいっそうよく分かります。
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