『平家物語』巻第十一の「先帝身投(せんていみなげ)」は、寿永四年(一一八五年)の壇ノ浦の合戦で平家一門が滅亡する場面を描いた、軍記物語屈指の名場面です。源氏の攻勢に追い詰められ、もはやこれまでと悟った二位殿(清盛の妻・時子)が、まだ幼い安徳天皇を抱き、神器とともに海へ身を投げます。定期テストでは、二位殿から天皇への敬意を表す敬語、「浪の下にも都の候ふぞ」という慰めの言葉の解釈、滅びゆく者の無常をとらえた心情説明が頻出です。次の文章を読み、後の問いに答えよ。
本文
二位殿はこの有様を御覧じて、日ごろおぼしめしまうけたる事なれば、にぶ色の二つ衣うちかづき、練袴のそばたかくはさみ、神璽を脇にはさみ、宝剣を腰にさし、主上を抱き奉つて、〔①〕「我が身は女なりとも、敵の手にはかかるまじ。君の御供に参るなり。御心ざし思ひ参らせ給はん人々は、急ぎ続き給へ。」とて、舟ばたへ歩み出でられけり。
主上今年は〔②〕八歳にならせ給へども、御としのほどよりはるかにねびさせ給ひて、御かたちうつくしく、あたりも照り輝くばかりなり。御ぐし黒うゆらゆらとして、御せなか過ぎさせ給へり。あきれたる御さまにて、〔③〕「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかんとするぞ。」と仰せければ、二位殿、幼き君に向かひ奉り、涙ををさへて申されけるは、〔④〕「君はいまだ知ろしめされさぶらはずや。先世の十善戒行の御力によつて、今万乗の主とは生まれさせ給へども、悪縁にひかれて、御運すでに尽きさせ給ひぬ。まづ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、西方浄土の来迎にあづからんとおぼしめし、御念仏候ふべし。この国は粟散辺地とて、心憂きさかひにてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき所へ具し参らせ候ふぞ。」と、泣く泣く申させ給ひければ、〔⑤〕山鳩色の御衣にびんづら結はせ給ひて、御涙におぼれ、ちひさくうつくしき御手を合はせ、まづ東をふしをがみ、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがて抱き奉り、〔⑥〕「浪の下にも都の候ふぞ。」と慰め奉つて、〔⑦〕千尋の底へぞ入り給ふ。
(注)二位殿=平清盛の妻、時子。安徳天皇の祖母にあたる。/神璽(しんじ)・宝剣=三種の神器のうちの二つ。/万乗の主=天子・天皇のこと。/粟散辺地(ぞくさんへんじ)=粟粒を散らしたような小さな辺境の地。仏教で日本をさしていう語。/びんづら=少年の髪型。/千尋(ちひろ)=非常に深いこと。
設問
- 傍線部①「我が身は女なりとも、敵の手にはかかるまじ。」を現代語訳せよ。
- 傍線部①の「まじ」の文法的意味を答えよ。
- 傍線部②「八歳にならせ給へ」の「せ給へ」について、次の小問に答えよ。
- 「せ」「給へ」はそれぞれ何という敬語の種類か答えよ。
- この敬語は、作者から誰に対する敬意を表しているか答えよ。
- 本文中の「あきれたる御さまにて」の「あきれたる」の意味として最も適当なものを次から選べ。
- ア あきれて腹を立てている様子
- イ 驚きあきれて笑っている様子
- ウ わけがわからずぼんやりしている様子
- エ すっかり感心している様子
- 傍線部③「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかんとするぞ。」を現代語訳せよ。
- 傍線部③は、誰が誰に対して言った言葉か答えよ。
- 傍線部③の「ん(む)」の文法的意味を答えよ。
- 傍線部④の中の「申させ給ひ」「おぼしめし」は、それぞれ二位殿から誰への敬意を表しているか答えよ。
- 傍線部④「悪縁にひかれて、御運すでに尽きさせ給ひぬ。」とあるが、これは安徳天皇のどのような状況を述べたものか、簡潔に説明せよ。
- 傍線部④の「尽きさせ給ひぬ」の「ぬ」を文法的に説明せよ(助動詞の終止形か、活用の種類と意味を含めて答えよ)。
- 傍線部④で二位殿が安徳天皇に「東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ」と勧めたのはなぜか。当時の天皇と伊勢大神宮の関係をふまえて説明せよ。
- 傍線部⑤「山鳩色の御衣にびんづら結はせ給ひて」の主語は誰か答えよ。
- 傍線部⑥「浪の下にも都の候ふぞ。」を現代語訳せよ。
- 傍線部⑥の「候ふ」は敬語であるが、その敬語の種類を答えよ。
- 傍線部⑥で二位殿が「浪の下にも都の候ふぞ。」と言ったのはなぜか。幼い安徳天皇に対する二位殿の心情にふれて説明せよ。
- 傍線部⑥の「都」とは、ここでは具体的に何をさしているか。本文中の語を用いて答えよ。
- 傍線部⑦「千尋の底へぞ入り給ふ。」を現代語訳せよ。
- 傍線部⑦の「ぞ」は係助詞である。これに呼応して結びとなっている語を本文中から抜き出し、その活用形を答えよ。
- この場面に描かれた安徳天皇の姿は、読者にどのような印象を与えるか。「幼さ」と「気品」という二つの観点から簡潔に説明せよ。
- 『平家物語』について、次の小問に答えよ。
- 『平家物語』はジャンルとしては何という種類の物語に分類されるか答えよ。
- 『平家物語』全体を貫く、仏教的なものの見方を表す思想を漢字三字で答えよ。
- 『平家物語』を琵琶に合わせて語り伝えた、盲目の芸能者を何と呼ぶか答えよ。
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問1 (訳)私の身は女であっても、敵の手にはかかるまい。/解説:「なりとも」は逆接の仮定(…であっても)。「まじ」は打消意志「…まい・…するつもりはない」。敵に捕らえられて辱めを受けまいとする二位殿の決意を表す。
問2 打消意志(…まい・…しないつもりだ)。/解説:主語が一人称「我が身」であることから、打消推量ではなく打消意志ととる。
問3 ・「せ」=尊敬の助動詞、「給へ」=尊敬の補助動詞(いずれも尊敬語)。・作者から安徳天皇(主上)への敬意。/解説:「せ給ふ」は二重敬語(最高敬語)で、天皇など最高位の人物に用いる。
問4 ウ/解説:「あきる」はここでは「驚きあきれる・ぼんやりする」の意で、幼帝が状況をのみこめずぼうっとしている様子を表す。現代語の「あきれる(あきれ返る)」とは意味が異なる古今異義語。
問5 (訳)尼御前よ、私をどこへ連れていこうとするのか。/解説:「尼ぜ」は「尼御前」で二位殿への呼びかけ。「いづち」=どこ。「具す」=連れていく。「ん(む)」=意志。
問6 安徳天皇が二位殿(祖母)に対して言った言葉。/解説:幼い天皇が事情をのみこめないまま尋ねる、いたいけな問いかけである。
問7 意志(…(し)ようと)。/解説:「具してゆかんとする」で、主語の動作の意図を表す。直後に「とする」が続く点も意志ととる手がかり。
問8 ・「申させ給ひ」=(二位殿が天皇に)伊勢大神宮へお別れを申し上げなさるよう勧める言葉で、動作の主体である安徳天皇への敬意。・「おぼしめし」=同じく安徳天皇への敬意。/解説:いずれも二位殿の発話の中で、天皇の動作を高めている。
問9 前世の善行によって天皇として生まれたものの、悪い因縁に引かれて天皇としての運命がもはや尽き果て、平家とともに滅びる定めとなった、という状況。/解説:仏教の因果(前世の十善の力で天子に生まれた)と無常(運が尽きる)を対比的に述べている。
問10 完了の助動詞「ぬ」の終止形。ナ行下二段型に活用する完了の助動詞で、ここでは「尽きてしまった」と動作の完了を表す。/解説:直前が連用形「給ひ」であることからも完了「ぬ」と判断できる(打消「ず」の連体形なら下に体言が続く)。
問11 天皇は伊勢神宮にまつられる天照大神の子孫とされ、皇室の祖先神にあたる。そのため、死を前にしてまず東(伊勢の方角)を伏し拝み、祖先神である伊勢大神宮に別れを告げさせようとした。/解説:その後に西(西方浄土)を向いて念仏する流れと対応している。
問12 安徳天皇(主上)。/解説:山鳩色の御衣・びんづらは幼帝の装いで、「結はせ給ひて」の最高敬語からも主語が天皇とわかる。
問13 (訳)波の下にも都がございますよ。/解説:「候ふ」は「あり」の丁寧語で「ございます」。死後の世界にも都(安住の地)があると言って幼帝をなだめる言葉。
問14 丁寧語(「あり・をり」の丁寧語「候ふ」)。/解説:聞き手である安徳天皇に対する敬意を表し、ここでは話し手(二位殿)の丁寧な気持ちを示す。
問15 死を恐れる幼い天皇を、これから入水するのだとは言えず、波の下にも都という安らかな世界があるのだと教えることで、おびえる天皇を安心させ、ともに死出の旅へ向かおうとする、いとおしくも哀切な祖母の心情から出た言葉である。/解説:直前の浄土往生を願う言葉と重ね、悲劇を慰めの言葉で包む点に名場面の哀れがある。
問16 西方浄土(極楽浄土)。/解説:「極楽浄土とてめでたき所」をさし、海の底すなわち死後に往く理想の世界を「都」と言いかえている。
問17 (訳)(はるかに深い)海の底へお入りになる。/解説:「千尋の底」=非常に深い海の底。「給ふ」は尊敬の補助動詞で、二位殿(および天皇)への敬意。
問18 結びの語=「給ふ」、活用形=連体形。/解説:係助詞「ぞ」を受けて、文末が終止形ではなく連体形「給ふ」で結ばれている(係り結びの法則)。
問19 まだ八歳という幼さでありながら、年齢よりも大人びて美しく、あたりが照り輝くほど気品にあふれた姿として描かれている。その幼さと高貴さゆえに、入水の悲劇がいっそう痛ましく感じられる。/解説:「御としのほどよりはるかにねびさせ給ひて」が大人びた気品、「尼ぜ、われをば…」の問いが幼さを示す。
問20 ・軍記物語。・無常(無常観)。・琵琶法師。/解説:『平家物語』は鎌倉時代成立の軍記物語で、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」に始まる無常観が全編を貫く。琵琶法師による平曲(語り)として広まった。
※この問題は誰でも古典塾オリジナルです。本文は古典作品(著作権の対象外)から正確に引用しています。
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