1. はじめに
『先帝身投げ(せんていみなげ)』は、軍記物語『平家物語』巻第十一の一節で、壇ノ浦(だんのうら)の戦いで平家が滅びる、いちばん有名で悲しい場面です。源氏の兵が次々と平家の船に乗り移ってくる中、安徳天皇(あんとくてんのう)の祖母である二位殿(にいどの)=平時子(たいらのときこ)が、まだ八歳の幼い天皇を抱いて海に身を投げます。
見どころは、おびえる幼帝に祖母がやさしく語りかける言葉です。「波の下にも都がございますよ」と慰めて入水するこの一文は、無常をテーマにする『平家物語』を象徴する名場面として、教科書でもよく取り上げられます。敬語の方向や、安徳天皇が東(伊勢大神宮)と西(念仏)を拝む意味をおさえて読むと、悲しみがいっそう深く伝わってきます。
2. 原文
【冒頭(源氏が乗り移る)】
源氏の兵ども、すでに平家の船に乗り移りければ、水手(かこ)・梶取(かんどり)ども、射殺され、斬り殺されて、船を直すに及ばず、船底に倒れ伏しにけり。
【二位殿、覚悟を決める】
二位殿はこの有様を御覧じて、日ごろ思しめしまうけたる事なれば、鈍色(にぶいろ)の二つ衣(ぎぬ)うち被(かづ)き、練袴(ねりばかま)の稜(そば)高くはさみ、神璽(しんじ)を脇にはさみ、宝剣を腰にさし、主上(しゅしょう)を抱き奉りて、「我が身は女なりとも、敵(かたき)の手にはかかるまじ。主上の御供に参るなり。御心ざし思ひ参らせ給はん人々は、急ぎ続き給へ」とて、船端(ふなばた)へ歩み出でられけり。
【安徳天皇の問い】
主上、今年は八歳にならせ給へども、御年のほどより、はるかにねびさせ給ひて、御かたちうつくしく、あたりも照り輝くばかりなり。御髪(みぐし)黒うゆらゆらとして、御背(おんせ)過ぎさせ給へり。あきれたる御様にて、「尼ぜ、われをばいづちへ具して行かむとするぞ」と仰せければ、
【二位殿の言葉】
二位殿、幼き君に向かひ奉り、涙をおさへて申されけるは、「君はいまだ知ろしめされさぶらはずや。前世(ぜんぜ)の十善戒行(じふぜんかいぎゃう)の御力によつて、今万乗(ばんじょう)の主(あるじ)とは生まれさせ給へども、悪縁にひかれて、御運すでに尽きさせ給ひぬ。まづ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇(おんいとま)申させ給ひ、その後、西に向かはせ給ひて、西方浄土の来迎(らいごう)にあづからむと思しめし、御念仏さぶらふべし。この国は粟散辺地(ぞくさんへんぢ)とて、心憂きさかひにてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき所へ具し参らせさぶらふぞ」と、泣く泣く申させ給ひければ、
【入水】
山鳩色(やまばといろ)の御衣(おんぞ)に、びんづら結はせ給ひて、御涙におぼれ、小さくうつくしき御手を合はせ、まづ東を伏し拝み、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後、西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがて抱き奉りて、「波の下にも都のさぶらふぞ」と慰め奉りて、千尋(ちひろ)の底へぞ入り給ふ。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【冒頭(源氏が乗り移る)】
源氏の兵たちが、もう平家の船に乗り移ってしまったので、(船をこぐ)水手や(かじをとる)梶取たちは、射殺され、斬り殺されて、船を立て直すこともできず、船底に倒れ伏してしまった。
【二位殿、覚悟を決める】
二位殿はこの有様を御覧になって、ふだんから(こうなったら)と覚悟していらっしゃったことなので、鈍い灰色の二枚重ねの衣を頭からかぶり、練絹の袴の裾を高くたくし上げてはさみ、神璽(=三種の神器の勾玉)を脇にはさみ、宝剣を腰にさし、安徳天皇を抱き申し上げて、「私の身は女であっても、敵の手にはかかるまい。天皇のお供に参るのだ。私を慕って思ってくださる人々は、急いで後に続きなさい」と言って、船端へ歩み出られた。
【安徳天皇の問い】
天皇は、今年は八歳におなりだったけれど、お年のわりにずっと大人びていらっしゃって、お姿は美しく、あたりも照り輝くほどである。御髪は黒くゆらゆらとして、お背中の下まで届いていらっしゃった。(天皇は)あっけにとられた御様子で、「尼ぜ(=おばあさま)、私をどこへ連れて行こうとするのか」とおっしゃったので、
【二位殿の言葉】
二位殿は、幼い天皇に向かい申し上げて、涙をこらえて申されたことには、「君はまだご存じでいらっしゃらないのですか。前世で十の善い戒めを守り行われたお力によって、今こうして天子としてお生まれになりましたが、悪い因縁に引かれて、御運はもう尽きておしまいになりました。まず東に向かわれて、伊勢大神宮にお別れを申し上げなさり、そのあと、西に向かわれて、極楽浄土からのお迎えにあずかろうとお思いになって、お念仏をお唱えなさいませ。この国は粟をまき散らしたような辺鄙な小さい国で、つらい所でございますから、極楽浄土という素晴らしい所へお連れ申し上げるのですよ」と、泣きながら申し上げなさったので、
【入水】
(天皇は)山鳩色のお召し物に、髪を左右に分けて結われて、お涙にむせびながら、小さくかわいらしいお手を合わせ、まず東を伏し拝んで、伊勢大神宮にお別れを申し上げなさり、そのあと、西に向かわれて、お念仏をお唱えになったので、二位殿はすぐに(天皇を)抱き申し上げて、「波の下にも都がございますよ」とお慰め申し上げて、千尋(=はかり知れないほど深い海)の底へとお入りになる。
4. 重要語句
- 二位殿(にいどの)…平時子。清盛の妻で、安徳天皇の祖母。従二位だったので「二位の尼」とも呼ばれる。
- 主上(しゅしょう)…天皇のこと。ここでは八歳の安徳天皇を指す。
- 日ごろ…ふだん。かねてから。「日ごろ思しめしまうけたる」で「前々から覚悟していた」の意。
- 思しめしまうく…前もって心の準備をなさる。「思しめす」は「思ふ」の尊敬語。
- 神璽(しんじ)…三種の神器の一つで、勾玉(まがたま)のこと。皇位のしるし。
- ねぶ…大人びる。年齢のわりに成長して見える。「ねびさせ給ひて」で「大人びていらっしゃって」。
- 尼ぜ(あまぜ)…尼君(あまぎみ)への親しみをこめた呼びかけ。ここでは祖母(二位殿)を「おばあさま」と呼ぶ言葉。
- いづち…どこ。どちらの方へ。「いづちへ」で「どこへ」。
- 万乗の主(ばんじょうのあるじ)…天子・天皇のこと。「万乗」は天子の位を表す言葉。
- 御運すでに尽きさせ給ひぬ…(天皇の)ご運勢はもう尽きておしまいになった。平家の滅亡を暗示する。
- 千尋(ちひろ)の底…はかり知れないほど深い海の底。「尋」は両手を広げた長さ。
- 粟散辺地(ぞくさんへんぢ)…粟粒をまき散らしたような小さく辺鄙な国。仏教の世界観で日本をこう表した、けんそんの言い方。
5. 文法・読解のポイント
- 敬語の方向(地の文の尊敬語)…「御覧じて」「思しめし」「抱き奉りて」「入り給ふ」など、地の文では安徳天皇・二位殿の動作に尊敬語が用いられ、作者から高貴な人物への敬意を表す。誰への敬意かを問われやすい。
- 二重敬語(最高敬語)…「ならせ給ふ」「申させ給ふ」「向かはせ給ふ」のように『せ給ふ』を重ねた最高敬語は、天皇など最高位の人物に用いる。安徳天皇の動作に集中している点に注目。
- 謙譲語の方向(会話文)…二位殿のせりふの「御供に参る」「具し参らせさぶらふ」の『参る』『参らす』は謙譲語で、二位殿から主上(安徳天皇)への敬意を表す。動作の受け手が誰かで方向を判断する。
- 係り結び…「千尋の底へぞ入り給ふ」は係助詞『ぞ』を受けて文末が連体形『給ふ』で結ばれる係り結び。強意を表す。
- 助動詞「ぬ」(完了・強意)…「御運すでに尽きさせ給ひぬ」の『ぬ』は完了の助動詞で『〜てしまった』の意。運がすでに尽き果てたという確定的な響きを生む。
- 「べし」(適当・命令)…「御念仏さぶらふべし」の『べし』は、ここでは『お唱えなさるのがよい/お唱えなさい』という適当・命令に近い意味。幼帝へのやさしい指示として読む。
- 呼びかけ・幼さの表現…「尼ぜ、われをばいづちへ具して行かむとするぞ」は、八歳の天皇が祖母を『尼ぜ(おばあさま)』と呼び、事態を理解できずに問う言葉。幼さと無邪気さが悲劇性を高める。
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:壇ノ浦の戦いの終盤、源氏の兵が平家の船に乗り移り、船を動かす水手・梶取も討たれて、平家方はもはや戦えなくなる。安徳天皇の祖母・二位殿(平時子)は、かねての覚悟どおり、三種の神器の神璽と宝剣を身につけ、八歳の安徳天皇を抱いて船端へ歩み出る。「敵の手にはかからない、天皇のお供に参る」と言うのである。事態がのみこめない幼い天皇が「どこへ連れて行くの」と問うと、二位殿は涙をこらえ、「あなたは前世の善い行いの力で天子に生まれたが、悪い因縁で運が尽きてしまった。東の伊勢大神宮にお別れを申し上げ、西に向かって念仏を唱えなさい。極楽という素晴らしい所へお連れするのですよ」と諭す。天皇は小さな手を合わせ、東を伏し拝み、西に向かって念仏を唱える。すると二位殿はその身を抱き、「波の下にも都がございますよ」と慰めて、深い海の底へと身を投げるのだった。
主題:権勢をきわめた平家の滅亡を、幼い天皇の入水という最も痛ましい形で描き、栄える者も必ず滅びるという「無常」を強く印象づける。同時に、敵の手にかかる屈辱を避けて死を選ぶ覚悟、孫を思う祖母の深い情愛、そして念仏や極楽浄土への往生という仏教的な救いへの願いが重ねられ、悲劇に静かな祈りの色をそえている。
背景:『平家物語』は鎌倉時代に成立した軍記物語で、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まり、平家一門の栄華と滅亡を無常観のもとに描く。この場面は寿永四年(元暦二年・1185年)、長門国(現在の山口県)壇ノ浦での源平最後の合戦を背景とする。源氏の追撃に追いつめられた平家は海上で敗れ、安徳天皇とともに三種の神器も海に沈んだ(宝剣はついに見つからなかったと伝えられる)。安徳天皇は清盛の孫にあたり、平家は天皇を擁することで権威を保っていた。その幼帝の死は、平家の正統性そのものの終わりを意味した。物語は琵琶法師によって語り継がれ、滅びゆく者への鎮魂の文学として広く愛された。
確認クイズ(3問)
幼い安徳天皇を抱いて海に身を投げたのは誰で、安徳天皇とどういう関係ですか。
二位殿(平時子)。清盛の妻であり、安徳天皇の祖母(おばあさん)にあたる。
「波の下にも都のさぶらふぞ」とは、どういう意味で、二位殿はなぜこう言ったのですか。
「海の波の下にも都がございますよ」という意味。これから一緒に沈む海の底を、おそろしい場所ではなく安らげる都(極楽浄土)だと言って、おびえる幼い天皇を慰めるため。
安徳天皇が東と西に向かってしたことは、それぞれ何ですか。
まず東に向かって伊勢大神宮にお別れ(御暇)を申し上げ、次に西に向かって(西方の極楽浄土へ往生するため)念仏を唱えた。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 「主上」「二位殿」「君」が誰を指すかを取り違える。主上=安徳天皇、二位殿=祖母の平時子、二位殿のせりふ中の「君」も安徳天皇を指す。
- 「ねびさせ給ひて」の『ねぶ』を知らず意味が取れない。『大人びる』の意で、八歳なのに大人びて立派だった、という文脈をおさえる。
- 敬語の方向を問われる。地の文の尊敬語は作者から安徳天皇・二位殿への敬意、会話文の謙譲語『申す』『参る』は二位殿から天皇への敬意、と方向を整理する。
- 東=伊勢大神宮への暇乞い、西=念仏(西方浄土)という、東西の向きと行為の対応がよく問われる。
- 「千尋の底へぞ入り給ふ」の係助詞『ぞ』による係り結びで、文末が連体形『入り給ふ』になっている点を見落とす。
8. まとめ
・『先帝身投げ』は『平家物語』巻第十一、壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が滅びる場面。祖母・二位殿が八歳の安徳天皇を抱いて入水する。
・二位殿は神璽と宝剣(三種の神器)を身につけ、『敵の手にはかからない』と覚悟を示してから海へ身を投げる。
・安徳天皇は東に伊勢大神宮を拝み、西に向かって念仏を唱える。『波の下にも都のさぶらふぞ』は無常を象徴する名句。
・敬語(尊敬・謙譲)の方向と、係り結び(ぞ〜入り給ふ)など、その作品で実際に問われる文法を意識して読む。
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