1. はじめに
『徒然草』第五十三段、通称「これも仁和寺の法師」です。仁和寺の僧が宴会で酔った勢いに任せ、そばにあった足鼎(あしがなえ=三本足の金属製の器)を頭にすっぽりかぶって踊り出したところ、今度はそれが抜けなくなって大さわぎになる、という失敗談(しっぱいだん)です。前の段「仁和寺にある法師(石清水の話)」に続く“仁和寺の法師シリーズ”で、作者・兼好法師が人間のおろかさ・調子に乗ることのこわさをユーモラスに描いています。
注意したいのは、タイトルにある「児(ちご)のかいもちひ」という言葉です。「かいもちひ(ぼたもち)」が出てくる有名な話は『宇治拾遺物語』の「児のそら寝」で、これは別の作品です。ここで扱うのは、あくまで『徒然草』の足鼎(あしがなえ)をかぶった法師の話なので、取りちがえないようにしましょう。笑い話のようでいて、結末は耳や鼻が欠けるという少し痛々しい展開になるのも読みどころです。
2. 原文
【前半(足鼎をかぶって抜けなくなる)】
これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名残とて、おのおの遊ぶ事ありけるに、酔ひて興に入るあまり、傍らなる足鼎を取りて、頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。
【中盤(抜けず大さわぎになる)】
しばしかなでて後、抜かむとするに、おほかた抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせむとまどひけり。とかくすれば、頸のまはり欠けて、血垂り、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らむとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、かなはで、すべき様なくて、三足なる角の上に、帷子をうちかけて、手を引き杖をつかせて、京なる医師のがりゐて行きける、道すがら、人のあやしみ見る事限りなし。
【後半(医師でも治らず、力ずくで抜く)】
医師のもとにさし入りて、向かひゐたりけむ有様、さこそ異様なりけめ。ものを言ふも、くぐもり声に響きて聞こえず。「かかる事は文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらむとも覚えず。かかるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ。ただ力を立てて引き給へ」とて、藁のしべを、まはりにさし入れて、金を隔てて、頸もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【前半】
これもまた仁和寺の法師の話だが、稚児が(出家して)法師になろうとするその名残(別れの記念)といって、めいめいが遊んだ事があったときに、(一人の法師が)酔って興に乗りすぎたあまり、そばにあった足鼎(三本足の器)を取って、頭にかぶったところ、(鼻のあたりが)つかえるようになるのを、鼻を押しつぶして平らにして顔を(無理やり)さし入れて、踊り出たので、その場にいた人々はみな、おもしろがる事この上ない。
【中盤】
しばらく舞ったあとで、(足鼎を)抜こうとするけれども、まったく抜けない。酒宴の楽しい気分もすっかりさめて、どうしたらよいだろうかと(みな)うろたえ騒いだ。あれこれするうちに、首のまわりが(こすれて)傷つき、血が垂れ、ただもう腫れに腫れあがって、息もつまったので、(足鼎を)打ち割ろうとするが、簡単には割れず、(音が頭に)響いて耐えられなかったので、どうしようもなく、なすすべもなくて、三本足が角のように突き出た上に布をうちかけ、手を引き杖をつかせて、京の医者のところへ連れて行ったが、道中、人があやしんで見る事この上ない。
【後半】
医者のところに入って、(医者と)向かい合って座っていたであろう様子は、さぞかし異様であっただろう。ものを言っても、(足鼎の中で)こもった声に響いて聞こえない。(医者が)「こういう例は医書にも書かれておらず、言い伝えられた治療法もない」と言うので、また仁和寺へ帰って、親しい者や年老いた母などが、枕もとに寄り集まって泣き悲しむけれども、(本人は)それを聞いているとも思えない。そうしているうちに、ある人が言うには、「たとえ耳や鼻が切れてなくなっても、命だけはどうして助からないことがあろうか(きっと助かる)。ただ力を込めて引きなさい」と言って、藁のしべ(しん)をまわりにさし入れて、足鼎との間にすき間を作って、首もちぎれるほどに引いたところ、耳や鼻が欠けてなくなりながらも(足鼎は)抜けた。(こうして)危ういところで命だけは助かって、長い間病みついていた。
4. 重要語句
- 仁和寺(にんなじ)…京都にある真言宗の大きな寺。第五十二段から続けて舞台になっている。
- 童(わらは/ちご)…寺で雑用などをしながら育てられる少年。やがて出家して僧になることが多い。
- 名残(なごり)…別れにあたっての記念。ここでは「童が法師になる前の、別れのしるしの遊び」。
- 興に入る(きょうにいる)…おもしろがる、面白さに夢中になる。
- 足鼎(あしがなへ)…三本足のついた金属製の器(かなえ)。本来は物を煮るための道具。
- かづく…(頭から)かぶる。「被く」。
- おし平む(おしひらむ)…押しつぶして平らにする。
- 満座(まんざ)…その場にいる人全員。座の全員。
- おほかた~ず…まったく~ない、いっこうに~ない(下に打消を伴う)。
- くぐもり声…(口や物の中で)こもって、はっきり聞こえない声。
- ~がり…~のところへ、~のもとへ。「医師のがり」=医者のところへ。
- からき命(からきいのち)…やっとのことで助かった命。危ういところでつないだ命。
5. 文法・読解のポイント
- 助動詞「けり」(過去・詠嘆)…「遊ぶ事ありけるに」「抜けにけり」「病みゐたりけり」など、過去の出来事を語る「けり」が多用される。説話を伝え聞いた形で語る文体の特徴。
- 完了の助動詞「ぬ」+「けり」=「にけり」…「抜けにけり」は『抜けてしまった』。完了「ぬ」の連用形『に』+過去『けり』で、動作の完了を強調する。
- 反語の「など(か)~む(らむ)」…「命ばかりはなどか生きざらむ」は『命だけはどうして助からないことがあろうか、いや助かる』という反語。打消『ざら』+推量『む』に注意。
- 打消を伴う「おほかた~ず」…「おほかた抜かれず」で『まったく抜けない』。下に打消『ず』を伴って『まったく~ない』の意になる呼応の副詞。
- 接尾語「~がり」(場所を示す)…「医師のがり」=『医者のもとへ・ところへ』。人を表す語について『~のところへ』の意を作る。
- 尊敬・命令表現「給へ」…「ただ力を立てて引き給へ」の『給へ』は尊敬の補助動詞の命令形で『お引きなさい』。ある人が法師を救おうと助言する場面。
- 係助詞・推量の呼応…「さこそ異様なりけめ」は副詞『さ』+係助詞『こそ』+過去推量『けめ(けむの已然形)』で、『さぞかし異様であっただろう』と結ぶ。係り結びにも注意。
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:仁和寺の法師たちが、稚児が出家する別れの記念に宴会を開いた。一人の法師が酔った勢いで、そばにあった足鼎(三本足の器)を頭にかぶり、鼻を押しつぶして無理やり顔を入れて踊り出すと、その場は大うけした。ところがいざ抜こうとすると足鼎はまったく抜けず、首は傷ついて腫れあがり、息もつまる始末。割ろうとしても割れない。仕方なく京の医者に連れて行くが、医者も「こんな例は医書にもなく治療法もない」と匙を投げる。仁和寺に戻って母らが泣き悲しむ中、ある人の「耳鼻が欠けても命は助かる。力ずくで引け」という助言で、藁を差し入れて首がちぎれそうなほど引っぱると、耳や鼻が欠けながらも足鼎はやっと抜けた。法師はかろうじて命を取りとめ、その後長く病みついた。
主題:調子に乗って度を越した行いをすると、思わぬ大きな災い(わざわい)を招く、という人間のおろかさへの戒め。笑い話として描きながら、酒の席での軽はずみな行動が取り返しのつかない結果を生むさまを、作者・兼好は皮肉まじりに見つめている。前段「仁和寺にある法師」とあわせて、人のうかつさ・浅はかさを描く話として読まれる。
背景:『徒然草』は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、兼好法師(吉田兼好・卜部兼好)が書いたとされる随筆で、『枕草子』『方丈記』とともに日本三大随筆の一つに数えられる。短い章段(だん)を集めた形式で、人生観・無常観・教訓・見聞した出来事・笑い話などがいきいきと記される。第五十二段「仁和寺にある法師(石清水を拝みに行った話)」、第五十三段「これも仁和寺の法師(足鼎の話)」と、仁和寺の僧の失敗談が続けて並んでおり、いずれも「ちょっとした油断やうかつさが失敗を生む」という、兼好の人間観察が表れた段として有名である。中学・高校の教科書で「仁和寺にある法師」とセットで扱われることが多い。
確認クイズ(3問)
法師が頭にかぶって抜けなくなった「足鼎(あしがなへ)」とは、どんな物ですか。
三本足のついた金属製の器(かなえ)で、本来は物を煮るための道具です。
「酔ひて興に入るあまり」とは、どういう意味ですか。
酒に酔って、おもしろさに夢中になりすぎたあまり、という意味です。これが失敗の原因になりました。
この話を通して作者・兼好が伝えたかった教訓は何ですか。
調子に乗って度を越したことをすると、思いがけない大きな災いを招く、という人間のおろかさへの戒めです。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- タイトルの「児(ちご)のかいもちひ」につられて、『宇治拾遺物語』の「児のそら寝(ぼたもちの話)」と混同してしまう。これは別作品で、本段は『徒然草』の足鼎の話。
- 「足鼎(あしがなへ)」を読めなかったり、何の道具か答えられなかったりする。三本足の金属製の器、と説明できるようにしておく。
- 「おほかた抜かれず」「など(か)~ざらむ」など、打消や反語の表現の意味を取りちがえる。「など生きざらむ」=「どうして生きないことがあろうか(きっと生きる)」という反語に注意。
- 「医師のがり」の『がり』を『~のところへ』と訳せず、つまずく。
- 結末を『笑い話でめでたしめでたし』と誤解する。実際は耳鼻が欠け、長く病むという痛い結末で、作者の戒めにつながる点を押さえる。
8. まとめ
・『徒然草』第五十三段「これも仁和寺の法師」は、酔った法師が足鼎を頭にかぶって抜けなくなる失敗談。
・前段「仁和寺にある法師」に続く“仁和寺の法師シリーズ”で、人間のうかつさ・調子に乗ることへの戒めを描く。
・タイトルの「児のかいもちひ」に惑わされず、『宇治拾遺物語』の「児のそら寝」とは別作品だと区別する。
・笑い話のようでいて、耳鼻が欠け長く病むという痛い結末。度を越した行いが大きな災いを招くという主題を押さえる。
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