1. はじめに
『宇治川の先陣』は、軍記物語『平家物語』巻第九にある有名な場面です。木曽義仲をうつために源義経の軍が都へせまり、宇治川を前にしたとき、義経の家来である佐々木四郎高綱(ささきしろうたかつな)と梶原源太景季(かじわらげんだかげすえ)の二人が、敵陣への「一番乗り(=先陣)」をめぐって争います。激しく流れる宇治川を、名馬にまたがってわたっていく緊張感あふれる名場面です。
読みどころは、佐々木高綱が「馬の腹帯(はらおび)がゆるんでいますよ」と声をかけて梶原をだまし、そのすきに先に川へとびこむ「はかりごと(計略)」の場面です。武士にとって先陣がどれほどの名誉だったか、また勝つためには相手をだますことも辞さない武士の心がよく表れています。最後の高綱の堂々とした名乗りも見せ場です。
2. 原文
【二騎の登場】
平等院の丑寅、橘の小島が崎より、武者二騎、ひつ駆けひつ駆け出で来たり。一騎は梶原源太景季、一騎は佐々木四郎高綱なり。
【腹帯のはかりごと】
佐々木四郎、「この川は西国一の大河ぞや。腹帯の伸びて見えさうは。締め給へ。」と言ひければ、梶原さもあるらんとや思ひけん、左右の鐙を踏みすかし、手綱を馬のゆがみに捨て、腹帯を解いてぞ締めたりける。
【佐々木、先に川へ】
そのまに佐々木はつつと馳せ抜いて、川へざつとぞうち入れたる。梶原たばかられぬとや思ひけむ、やがて続いてうち入れたり。
【大綱を打ち切る】
佐々木太刀を抜き、馬の足にかかりける大綱どもをば、ふつふつと打ち切り打ち切り、生食といふ世一の馬には乗つたりけり。宇治川早しといへども、一文字にざつと渡いて、向かへの岸にぞ打ち上がる。
【梶原は流される】
梶原が乗つたりける磨墨は、川中より篦撓形に押しなされて、はるかの下よりうち上げたり。
【高綱の名乗り】
佐々木鐙踏ん張り立ち上がり、大音声をあげて名のりけるは、「宇多天皇より九代の後胤、佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。我と思はん人々は、高綱に組めや。」とて、をめいて駆くる。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【二騎の登場】
平等院の北東、橘の小島が崎の方から、武者が二騎、馬を走らせ走らせして出てきた。一騎は梶原源太景季、もう一騎は佐々木四郎高綱である。
【腹帯のはかりごと】
佐々木四郎が(梶原に向かって)、「この川は西国一の大河ですぞ。(あなたの馬の)腹帯がゆるんで見えますよ。お締めなさい。」と言ったので、梶原はなるほどそうかもしれないと思ったのだろうか、左右のあぶみを踏んで体を浮かせ、手綱を馬のたてがみに投げかけて、腹帯を解いて締め直した。
【佐々木、先に川へ】
そのすきに、佐々木はさっと(梶原を)追い抜いて、川へざぶっと乗り入れた。梶原は、だまされたと思ったのだろうか、すぐに続いて川へ乗り入れた。
【大綱を打ち切る】
佐々木は太刀を抜いて、馬の足にからみついた大綱を、つぎつぎとぷつぷつと打ち切り打ち切りして進み、生食という天下一の名馬に乗っていた。宇治川の流れは速かったが、まっすぐに一気にざっと渡って、向こう岸へ駆け上がった。
【梶原は流される】
梶原が乗っていた磨墨は、川の中ほどから(弓の矢竹をためたような)斜めの弧をえがいて押し流され、ずっと下流の方から(やっと)岸へ上がった。
【高綱の名乗り】
佐々木はあぶみを踏ん張って立ち上がり、大きな声をあげて名乗ったことには、「宇多天皇から九代目の子孫、佐々木三郎秀義の四男、佐々木四郎高綱、これが宇治川の先陣(一番乗り)であるぞ。我こそはと思う者は、高綱と組み合え(勝負しろ)。」と言って、大声でわめきながら(敵陣へ)駆けていく。
4. 重要語句
- 丑寅(うしとら)…北東の方角。十二支で方角を表したもの。
- ひつ駆けひつ駆け…馬を激しく走らせるさま。「ひた駆けに駆け」が変化した表現で、勢いよく駆けてくる様子。
- 腹帯(はらおび)…鞍(くら)を馬の体に固定するために、馬の腹に回してしめるひも。ゆるむと鞍がずれて落馬する。
- さもあるらん…なるほどそうであろう。もっともだ。「さも(そのように)+あり+らん(らむ=現在推量・当然の推量)」。梶原が佐々木の言葉を真に受けて納得したことを表す。
- たばかる…だます。計略にかける。「たばかられぬ」=だまされた。
- 大綱(おほづな)…敵が川を渡らせないために、川底に張りわたした太いつな。
- 生食(いけずき)…佐々木高綱が源頼朝から賜った天下一の名馬の名。「磨墨(するすみ)」と並ぶ名馬。
- 篦撓形(のためがた)…矢の篦(の/矢竹)をためて曲げたような弧の形。馬が流されて斜めの曲線をえがくさまをたとえた語。
- 鐙(あぶみ)…馬に乗るとき足をかける馬具。「鐙踏ん張り」で体を支えて立ち上がる。
- 後胤(こういん)…子孫。末裔(まつえい)。名乗りで自分の家柄の高さを示す語。
- 先陣(せんぢん)…戦場で敵陣に一番乗りすること。武士にとって最高の名誉とされた。
- 大音声(だいおんじやう)…とても大きな声。名乗りや号令を戦場じゅうに響かせるときに用いる。
5. 文法・読解のポイント
- 係り結び「ぞ〜(連体形)」…「川へざつとぞうち入れたる」の「ぞ」は強調の係助詞で、結びは連体形「たる」。「向かへの岸にぞ打ち上がる」も同じく「ぞ」の結びで連体形「上がる」。係り結びは定期テスト・入試で頻出。
- 「〜けむ(けん)」=過去推量…「梶原さもあるらんとや思ひけん」「梶原たばかられぬとや思ひけむ」の「けむ/けん」は過去推量の助動詞。「(梶原は)〜と思ったのだろうか」と、語り手が梶原の心の中を推し量っている。「とや〜けむ」の形に注意。なお「さもあるらん」の「らん(らむ)」は現在推量(当然の推量)で、二つの推量が重なっている点もおさえたい。
- 完了・存続の「たり」「ぬ」…「締めたりける」「乗つたりけり」「打ち上げたり」の「たり」は完了・存続。「たばかられぬ」の「ぬ」は完了の助動詞(連体形ではなく終止形ではない点に注意し、ここは「だまされてしまった」の意で完了)。
- 尊敬語「給へ」の方向…「締め給へ」の「給へ」は尊敬の補助動詞(四段・命令形)。佐々木が梶原に対して敬意を表す形だが、内容は相手をだます計略であり、ていねいな言葉づかいの裏に本心を隠している点が読みどころ。敬意の方向は『佐々木→梶原』。
- 受身の助動詞「る」…「たばかられぬ」「押しなされて」の「られ・れ」は受身。梶原が『だまされた』『(川に)押し流された』と、梶原が動作を受ける側であることを示す。佐々木の能動的な行動と対比される。
- 反復・強意の連用中止「打ち切り打ち切り」…同じ動詞を重ねる「打ち切り打ち切り」「ひつ駆けひつ駆け」は、動作のくり返しと勢い・臨場感を表す軍記物語特有のリズミカルな表現。声に出して読むと戦場の緊迫感が伝わる。
- 名乗りの「〜ぞや」と呼びかけ…「宇治川の先陣ぞや」の「ぞや」は強い断定・主張。「我と思はん人々は、高綱に組めや」の「ん(む)」は意志・婉曲、「組め」は命令形、「や」は呼びかけ。自分の家柄と武勲を堂々と宣言する武士の名乗りの型。
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:木曽義仲をうつため、源義経の軍が宇治川の対岸にせまった。水かさを増した急流を前に、義経の家来である佐々木四郎高綱と梶原源太景季は、ともに「先陣(敵陣への一番乗り)」をねらって馬を走らせる。先んじていた梶原に追いついた佐々木は、「この川は西国一の大河だ。馬の腹帯がゆるんで見えますよ、お締めなさい」と声をかける。梶原がそれを真に受けて腹帯を締め直しているそのすきに、佐々木はさっと追い抜いて川へ乗り入れた。だまされたと気づいた梶原もすぐ続くが、佐々木は川底に張られた大綱を太刀で次々と切りながら、天下一の名馬「生食(いけずき)」にまたがって、急流をまっすぐ一気に渡りきる。一方、梶原の馬「磨墨(するすみ)」は流れに押されて斜めに流され、はるか下流からやっと岸へ上がった。先陣を取った佐々木は岸であぶみを踏ん張って立ち上がり、「宇多天皇から九代の子孫、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや」と大音声で名乗りをあげ、敵陣へと駆けていった。
主題:武士にとって戦場での「先陣(一番乗り)」は、命をかけてでも手に入れたい最高の名誉であった。本章段は、その先陣をめぐる佐々木高綱と梶原景季の争いを通して、勝つためには相手をだます計略さえいとわない武士のしたたかさと、名馬を駆って急流を渡りきる勇壮さ、そして自らの家柄と功名を堂々と宣言する「名乗り」に表れた名誉の重さを描いている。表面はていねいな言葉、その裏には冷徹な計略という、人間心理の機微もあわせて味わいたい。
背景:『平家物語』は鎌倉時代に成立した軍記物語で、平家の栄華と滅亡を「諸行無常」の調べにのせて語る。この場面は巻第九にあり、時は寿永三年(元暦元年・1184年)正月。かつて平家を都から追い落とした木曽義仲が、その後、都で部下が乱暴を働いて人々の信を失い、後白河法皇に背いたため、源頼朝が弟の範頼・義経を派遣して義仲を討たせる、その合戦の冒頭にあたる。なお、この前段「生ずきの沙汰」では、梶原景季が頼朝に名馬「生食」を所望したが断られて「磨墨」を与えられ、後から佐々木高綱が「生食」をやすやすと賜ったという経緯が語られており、二人の馬と先陣争いには伏線がある。語り手が「思ひけむ」と二人の心中を推し量りながら語るのも、琵琶法師が語り伝えた軍記物語ならではの味わいである。
確認クイズ(3問)
佐々木高綱は、どんな言葉で梶原景季をだまして先陣を奪いましたか。
「この川は西国一の大河だ。馬の腹帯がゆるんで見えますよ、お締めなさい」と声をかけ、梶原が腹帯を締め直しているすきに先に川へ乗り入れて先陣を奪った。
佐々木高綱の馬と梶原景季の馬の名前をそれぞれ答えなさい。
佐々木高綱の馬は「生食(いけずき)」、梶原景季の馬は「磨墨(するすみ)」。どちらも源頼朝から賜った名馬。
「梶原さもあるらんとや思ひけん」の「けん(けむ)」は、どんな意味の助動詞ですか。
過去推量の助動詞。「(梶原は)なるほどそうかもしれないと思ったのだろうか」と、語り手が梶原の心中を推し量って述べている。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 『けむ(けん)』を過去(た)とだけ訳してしまう。ここは『〜と思ったのだろうか』という過去推量で、語り手が登場人物の心を推し量っている点が問われる。
- 佐々木の『締め給へ』を本当の親切と読み取ってしまう。実はこれは梶原をだます計略で、ていねいな敬語の裏に本心を隠していることをつかむのが読解のカギ。
- 二頭の馬の名前と乗り手を取り違える。『生食=佐々木高綱』『磨墨=梶原景季』。記述・選択問題でよく問われる。
- 係り結び『ぞ〜たる/ぞ〜上がる』の結びの活用形(連体形)を見落とす。文法問題で『ぞ』の結びを答えさせる出題が定番。
- 『たばかる』を『はかる(計画する)』とだけ覚えて、『だます』の意味を落とす。『たばかられぬ』=『だまされてしまった』と正しく訳せるように。
8. まとめ
・『宇治川の先陣』は『平家物語』巻第九の名場面で、佐々木高綱と梶原景季が宇治川で先陣(一番乗り)を争う話。
・高綱は『腹帯がゆるんでいますよ、締めなさい』と梶原をだまし、そのすきに先に川へ入って先陣を取る。ていねいな言葉の裏の計略がポイント。
・高綱の名馬『生食(いけずき)』は急流をまっすぐ渡りきり、梶原の『磨墨(するすみ)』は流されて下流に上がる、という対比で勝敗が描かれる。
・文法は『けむ(過去推量)』『係り結びぞ〜連体形』『尊敬語給へ』『たばかる=だます』が頻出。先陣=武士の最高の名誉という主題をおさえる。
👉 ほかの作品は 古文作品の解説一覧 から。
📝 力試し|この作品の 定期テスト対策問題(解答つき) で本番形式の練習ができます。
📗 参考書・問題集で対策するなら|塾長が古文・漢文の市販教材を目的別に正直レビューしています。目的別おすすめを見る →
[広告・PR]
動画で授業を受けたい人へ
誰でも古典塾は「読んで覚える」無料テキスト専門で、動画授業はありません。「文字だけだと入りにくい」「授業を聞いて理解したい」人は、動画授業のスタディサプリ(古文・漢文=岡本梨奈先生)が相棒になります。


コメント