『土佐日記』は、紀貫之が書いた日本最初のかな日記です。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」という有名な一文で始まります。あらすじとテストのポイントをやさしく解説します。
土佐日記の基本データ

| 成立 | 平安時代前期(935年ごろ) |
|---|---|
| 作者 | 紀貫之(きのつらゆき)。『古今和歌集』の撰者でもある |
| ジャンル | 日記(かな文字による最初の日記文学) |
| 内容 | 土佐(高知)の国司の任期を終え、都へ帰る55日間の船旅の記録 |
ここがポイント:男が「女のふり」をして書いた

当時、日記は男性が漢文で書くものでした。紀貫之は女性が書いたという設定にして、かな文字で書きました。だから冒頭が「男もすなる日記を、女もしてみよう」となっています。これによって、感情をのびのびと表現できたのです。
有名な主題:亡き子をしのぶ
土佐で亡くした幼い娘を思う場面が、旅の各所でくり返し描かれます。とくに帰京の場面の悲しみが心を打ちます。子を失った親の悲しみが土佐日記の通奏低音です。
テストで問われる古文ポイント

- 冒頭の「すなる」=伝聞推定の「なり」、「するなり」=断定の「なり」。同じ「なり」でも意味が違うのが超頻出ポイント!
- 「してみむ」の「む」=意志(〜してみよう)。
- 和歌が随所に詠み込まれる。紀貫之は和歌の名手。
テスト直前チェック
- 作者=紀貫之、ジャンル=かな日記の祖、時代=平安前期
- 冒頭=「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」
- 「すなる(伝聞推定)」と「するなり(断定)」のなりの違いが頻出
- 主題=亡き子をしのぶ旅の記録
あらすじをもう少しくわしく:55日間の船旅
『土佐日記』は、土佐の国司(今でいう県知事のような役職)としての任期を終えた紀貫之が、土佐の国から都(京都)へと帰る旅を、出発から到着までほぼ毎日、日付つきで記録していく形をとっています。旅は陸路ではなく主に船を使った海の旅で、その期間はおよそ55日間におよびました。当時の船旅は風や波しだいで何日も足止めされることもあり、思うように進まないもどかしさや、海の上での不安、そして道中で出会う人々とのやりとりが、いきいきと書きとめられています。
この日記がただの旅行記でないのは、全体を通して土佐で亡くした幼い娘への思いが流れているからです。都へ帰る喜びの旅であるはずなのに、貫之(正確には「女性の書き手」という設定の語り手)の心は、いっしょに都へ帰ることのできなかった娘のことでいっぱいです。楽しい場面のすぐあとに、ふと娘を思い出して悲しくなる――そうした感情の起伏が、淡々とした日付の記録のなかに織りこまれている点が、この作品を文学として味わい深いものにしています。
そして旅の終わり、ようやく京都の自分の家にたどり着いた場面(「帰京」)では、留守のあいだに荒れはててしまった家のようすが描かれます。庭に植えたはずの松の木のそばに、新しく生えた小さな松を見て、貫之は、生まれた子(=娘)が帰ってこないことをあらためて思い知り、深い悲しみにつつまれます。喜びと悲しみが入りまじる結末は、多くの教科書で取り上げられる名場面です。
原文を読んでみよう:有名な冒頭
テストでも入試でも必ずといってよいほど問われるのが、次の冒頭部分です。短い一文ですが、見どころがぎゅっとつまっています。声に出して読みながら、意味を確かめてみましょう。
- 原文:男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
- 現代語訳:男も書くという(=書くと聞いている)日記というものを、女(である私)も書いてみようと思って書くのである。
ここでのポイントは、語り手が「女」を名のっている点です。実際の作者は男性の紀貫之ですが、文章の上では女性が書いているという設定になっています。そのため「女もしてみむ(女である私も書いてみよう)」という言い方になるのです。当時、日記は男性が漢文で書くのが当たり前でした。その「当たり前」を踏まえたうえで、あえて女性のふりをし、かな文字でやわらかく書く――この冒頭の一文だけで、作品全体のしかけが宣言されているわけです。
つまずきやすいポイント:「なり」の識別を完全攻略
この記事でいちばん大切なのが「なり」の識別です。冒頭の一文には「なり」が二か所あり、それぞれ意味がちがいます。ここを取りちがえると現代語訳が大きくずれてしまうので、しくみをていねいに確認しましょう。
- すなるの「なる(なり)」=伝聞推定の助動詞。「〜するという」「〜するようだ」と訳します。人から聞いた話や、耳で聞こえてくることがらを表すときに使います。
- するなりの「なり」=断定の助動詞。「〜するのだ」「〜するのである」と訳します。書き手が「まさにこうするのだ」と言い切るときに使います。
同じ「なり」でも、なぜ意味がちがうとわかるのでしょうか。見分けの大きな手がかりは「なり」の直前の語の形(接続)です。伝聞推定の「なり」は、動詞などの終止形(ラ変型は連体形)につきます。一方、断定の「なり」は、体言(名詞)や活用語の連体形につきます。「す(為)」はサ変動詞で、終止形が「す」、連体形が「する」です。「すなる」は終止形「す」+「なる」なので伝聞推定、「するなり」は連体形「する」+「なり」なので断定、というわけです。
もう一つの覚え方として、意味で考える方法もあります。「男もすなる」は「男も書くと(人から)聞いている」という、自分以外のことを伝え聞く言い方なので伝聞。「するなり」は書き手自身が「(私が)書くのだ」と言い切る言い方なので断定。「接続(直前の形)」と「意味」の両方から確かめると、まちがいにくくなります。なお「なり」には、ほかにも形容動詞の活用語尾や四段動詞「成る」などまぎらわしいものがあるので、くわしくは「なり」の識別の解説ページもあわせて確認しておくと安心です。
重要語句・文法のポイント
- かな(仮名)……漢字をくずして生まれた、日本語の音を表す文字。ひらがな・かたかな。『土佐日記』はこのかな文字で書かれた最初の本格的な日記文学です。
- 国司(こくし)……朝廷から地方に派遣され、その国を治めた役人。紀貫之は土佐の国司として赴任し、その任期を終えて都へ帰る旅が本作の舞台です。
- 「む」……「してみむ」の「む」は、ここでは意志を表し「〜してみよう」と訳します。主語が一人称(私)のときの「む」は意志になりやすい、と覚えておくと便利です。推量の助動詞「む」の用法もあわせて確認しましょう。
- 「とて」……「〜と思って」「〜と言って」の意味。「してみむとて」で「書いてみようと思って」となります。
- 撰者(せんじゃ)……和歌などを選んで歌集にまとめる人。紀貫之は『古今和歌集』の撰者の中心人物で、当時を代表する和歌の名手でした。だからこそ『土佐日記』にも多くの和歌が詠みこまれています。
入試・定期テストではこう問われる
『土佐日記』は、文学史の知識問題としても、文法(とくに「なり」の識別)の問題としても出題される、とても「おいしい」教材です。問われ方のパターンを知っておくと、対策がぐっと立てやすくなります。
- 文学史……「日本最初のかな日記は何か」「その作者は誰か」を問う形。答えは『土佐日記』・紀貫之。『古今和歌集』の撰者であることもセットで問われます。
- 作者のしかけ……「作者は男性なのに、なぜ女性が書いた体裁にしたのか」を説明させる記述問題。「当時、日記は男性が漢文で書くものだったが、かな文字で自由に書くために女性に仮託した」と答えられるようにしておきましょう。
- 「なり」の識別……傍線部の「なり」が伝聞推定か断定かを答えさせ、さらにそう判断した理由(直前が終止形か連体形か)まで書かせる問題。最頻出です。
- 現代語訳・口語訳……冒頭の一文をそのまま現代語に直させる問題。「すなる=書くという」「するなり=書くのである」を正しく訳し分けられるかが採点のポイントになります。
ミニ練習問題(解答つき)
ここまでの内容を、問題を解きながら確認しましょう。まず自分で答えを考えてから、解答を読んでください。
問1 『土佐日記』の作者名を漢字で答えなさい。また、その人物が撰者となった和歌集の名前も答えなさい。
問2 冒頭「男もすなる日記」の「すなる」の「なり(なる)」は、伝聞推定・断定のどちらか。理由もそえて答えなさい。
問3 「女もしてみむとてするなり」を現代語訳しなさい。
- 問1の解答……作者は紀貫之。撰者となった和歌集は『古今和歌集』。
- 問2の解答……伝聞推定。「なる(なり)」の直前が、サ変動詞「す」の終止形「す」であるため。意味のうえでも「男も書くと(人から)聞いている」という伝え聞く言い方になっている。
- 問3の解答……「女(である私)も書いてみようと思って書くのである。」(「してみむ」の「む」を意志「〜してみよう」と訳し、文末「するなり」を断定「〜するのである」と訳すのがポイント。)
よくある質問(Q&A)
Q1.なぜ男性の紀貫之が「女もしてみむ」と女性のふりをしたのですか。
A.当時、男性の日記は漢文で書くのが正式とされていました。漢文はかたくるしく、こまやかな感情を自由に表すのには向きません。そこで貫之は、女性が書いたという設定にすることで、やわらかいかな文字を使い、悲しみや旅情をのびのびと表現しようとしたのだと考えられています。
Q2.『土佐日記』は何時代の、いつごろの作品ですか。
A.平安時代の前期、935年ごろに成立したとされます。これは『古今和歌集』が成立してから少しのちのことで、かな文字による表現がしだいに広がっていく時期にあたります。
Q3.「すなる」と「するなり」をすばやく見分けるコツはありますか。
A.「なり」の直前の形に注目するのが確実です。終止形(サ変なら「す」)についていれば伝聞推定、連体形(サ変なら「する」)や名詞についていれば断定です。「す+なる=伝聞推定」「する+なり=断定」とセットで暗記してしまうのがおすすめです。
Q4.『土佐日記』は古文の学習でどれくらい重要ですか。
A.文学史の定番中の定番であり、冒頭文は文法(なりの識別)の格好の素材でもあります。短い範囲で「文学史+文法+現代語訳」をまとめて問えるため、定期テストでも入試でもくり返し登場します。冒頭文と作者・ジャンルだけでも、確実におさえておく価値が高い作品です。
まとめ
最後に、ここだけは絶対におさえておきたいポイントをまとめます。テスト直前にこの段落を読み返すだけでも、得点に直結します。
- 作者・ジャンル・時代……紀貫之/日本最初のかな日記/平安時代前期(935年ごろ)。紀貫之は『古今和歌集』の撰者でもある。
- 作者のしかけ……男性なのに女性が書いた体裁。かな文字で感情を自由に書くための工夫。
- 冒頭文……「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」を暗記。
- +1点(合否を分ける)……「すなる=伝聞推定(終止形につく)」「するなり=断定(連体形につく)」の訳し分け。理由まで答えられるようにしておく。

土佐日記は紀貫之・かな日記の祖・女性のふりという3点と、冒頭の「なり」の識別(伝聞推定/断定)をおさえれば十分です。この日記がきっかけで、のちの女流日記・随筆が花開きました。
📝 確認クイズ
読んだあとの腕だめし。「▶ 答えと解説」を開く前に、まず自分で考えてみましょう。
Q1. 『土佐日記』の作者は誰ですか。
- ア.紀貫之
- イ.清少納言
- ウ.鴨長明
▶ 答えと解説
✅ ア.紀貫之
作者は紀貫之で、『古今和歌集』の撰者でもあります。
Q2. 『土佐日記』の説明として正しいものは次のどれですか。
- ア.日本最初の物語
- イ.日本最初の漢詩集
- ウ.日本最初のかな日記
▶ 答えと解説
✅ ウ.日本最初のかな日記
紀貫之が女性のふりをして、かな文字で書いた最初の日記文学です。
Q3. 冒頭の「男もすなる日記」の「すなる」の「なり」は、どの意味ですか。
- ア.断定
- イ.伝聞推定
- ウ.打消
▶ 答えと解説
✅ イ.伝聞推定
「すなる」の「なり」は伝聞推定、「するなり」の「なり」は断定で、意味が違うのが頻出ポイントです。
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