1. はじめに ― 「忠度の都落ち」ってどんな場面?
『平家物語』巻七。平家一門が都を落ちる混乱の中、歌人でもある薩摩守忠度(さつまのかみただのり)がただ一人引き返し、和歌の師・藤原俊成に自作の歌の巻き物を託す場面です。「勅撰集に一首でも入れていただければ、草の陰(あの世)でもうれしい」——武人と歌人、二つの顔を持つ男の最期の願いが胸を打つ、教科書の大定番です。
2. 原文(核心部分)
薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん、侍五騎、童一人、わが身ともに七騎取つて返し、五条の三位俊成卿の宿所におはして見給へば、門戸を閉ぢて開かず。「忠度。」と名のり給へば、「落人帰り来たり。」とて、その内騒ぎ合へり。
「……撰集のあるべき由承り候ひしかば、生涯の面目に、一首なりとも御恩をかうぶらうど存じて候ひしに、やがて世の乱れ出で来て、その沙汰なく候ふ条、ただ一身の嘆きと存じ候ふ。世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらん。これに候ふ巻き物のうちに、さりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩をかうぶりて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ。」
……その後、世静まつて、千載集を撰ぜられけるに、……勅勘の人なれば、名字をばあらはされず、「故郷の花」といふ題にて詠まれたりける歌一首ぞ、「読み人知らず」と入れられける。
さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
薩摩守忠度は、どこから引き返されたのだろうか、侍五騎と童一人、自身を合わせて七騎で引き返し、五条の三位俊成卿の屋敷へいらっしゃったが、門は閉じて開かない。「忠度です」と名のりなさると、屋敷の中は「落人が帰ってきた」と騒ぎ合った。
(対面して忠度は言う)「……勅撰集が編まれると承りましたので、生涯の名誉にと、一首なりとも御恩にあずかりたいと存じておりましたのに、まもなく世が乱れてその話もなくなってしまいましたことは、ただただ我が身ひとつの嘆きでございます。世が静まりましたなら、きっと勅撰のご命令がございましょう。ここにございます巻き物の中に、ふさわしい歌がございましたら、一首だけでも御恩をいただいて、草葉の陰(あの世)ででもうれしいと存じられたなら、遠いあの世からあなた様をお守りいたしましょう」
その後、世が静まって俊成卿が『千載和歌集』を編まれたとき、忠度は朝敵となった身(勅勘の人)なので名前は出されず、「故郷の花」という題で詠まれた一首が「読み人知らず」として入れられた。
志賀の旧都はすっかり荒れてしまったが、長等山の山桜だけは昔のままに美しく咲いていることだ。
4. 重要語句・文法のポイント
覚えておきたい語句
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| おはす | いらっしゃる(尊敬) |
| のたまふ | おっしゃる(尊敬) |
| 年ごろ | 長年 |
| おろかなり | いいかげんだ・なおざりだ |
| 由(よし) | 〜ということ・旨 |
| 面目(めんぼく) | 名誉 |
| 沙汰 | 決定・指示・うわさ |
| さりぬべし | ふさわしい・適当だ |
| 勅勘 | 天皇のおとがめ |
| いとど | ますます |
文法・表現のポイント
①「いづくよりや帰られたりけん」——「や」(疑問)+過去推量「けん(けむ)」。語り手の推測です。「られ」は尊敬。
②「候ふ」の連発——忠度の言葉は丁寧語「候ふ」だらけ。師・俊成への深い敬意を表します。
③「ながら」の掛詞——歌の「昔ながら」は「昔のまま」の意に、志賀の長等(ながら)山を掛けた技巧。テストの大定番です。
④「読み人知らず」の理由——忠度が朝敵(勅勘の人)だったため、名を出せなかった。文学史と物語の内容が直結する設問ポイントです。
5. 主題・あらすじ・背景
主題
滅びゆく一門の武将が、最後に託したのは刀ではなく歌だった——戦乱の世における歌道への執念と、師弟の情。「うらめしかりしことどもなり」という語り手の結びには、名を残せなかった歌人への同情がにじみます。
背景
俊成は『千載和歌集』の撰者。忠度の「さざ波や」の歌は実際に「読み人知らず」として収められています。平家滅亡後も歌だけが残った、という事実が物語の哀切を裏打ちします。
確認クイズ(3問)
Q1. 歌の「昔ながらの山桜かな」の「ながら」に掛けられている地名は?
ア 志賀 イ 長等山 ウ 比叡山
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正解:イ 解説:「昔のまま」の意味に、志賀の長等山を掛けた掛詞です。
Q2. 忠度の歌が「読み人知らず」とされた理由は?
ア 作者がわからなかったから イ 朝敵となった人だったから ウ 歌が未完成だったから
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正解:イ 解説:勅勘の人(朝敵)なので名字を出せなかった、と本文にあります。
Q3. 忠度が俊成に託したものは?
ア 太刀 イ 百余首を書き集めた巻き物 ウ 鎧
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正解:イ 解説:日ごろ詠みためた秀歌百余首の巻き物を、鎧の引き合わせから取り出して託しました。
6. 場面をくわしく ― 忠度が引き返した理由
寿永二年(一一八三年)、木曽義仲の軍に攻められた平家一門は、安徳天皇とともに都を捨てて西国へと落ちのびます。これが「都落ち」です。一門の多くが先を急ぐなか、薩摩守忠度はただ一人、馬の首をめぐらして都へ引き返しました。命をねらわれる落人の身でありながら、なぜ危険をおかしてまで戻ったのか。それは、長年師事してきた歌の師・藤原俊成に、自分の歌をまとめた巻き物を託すためでした。武器でも財宝でもなく「歌」のために命がけで戻る——ここに、武人でありながら歌人でもあった忠度の人物像が鮮やかに表れています。
俊成の屋敷の門は固く閉ざされ、「忠度です」と名のっても、中の人々は「落人が帰ってきたぞ」と大騒ぎになります。すでに平家は朝敵(朝廷の敵)とされていたため、忠度に会うことは俊成にとっても危険なことでした。それでも俊成は門を開けさせて忠度を招き入れます。この一連のやりとりからは、世が乱れても変わらない師弟のきずなが読み取れます。なお、忠度が引き連れていたのは「侍五騎・童一人・自身」を合わせた七騎で、わずかな供回りであったことが、落人の心細さと覚悟をいっそう際立たせています。
7. 巻き物に込められた願い ― 「草の陰」とは何か
忠度が俊成に手渡したのは、日ごろ詠みためた秀歌百余首を書き集めた巻き物でした。彼の願いはただ一つ、「いつか勅撰和歌集(天皇の命令で編まれる歌集)が作られるとき、この中から一首でも選んでほしい」というものです。勅撰集に歌が入ることは、歌人にとって最高の名誉でした。忠度はそれを「生涯の面目(一生の名誉)」と表現しています。
特に重要なのが「草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ」という一節です。「草の陰」とは「草葉の陰」、つまり死後の世界・あの世を指します。忠度は「たとえ自分が死んでしまっても、あの世で一首入集の知らせを聞いてうれしいと思えたなら、遠いあの世からあなた様をお守りしましょう」と語っているのです。すでに自分の死を覚悟したうえで、なお歌の名を後世に残そうとする——この一言に、滅びゆく者の悲愴な美しさが凝縮されています。入試でも「草の陰」が何を指すかは頻出の問いです。
8. 和歌「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」を味わう
この場面のクライマックスは、のちに『千載和歌集』へ「読み人知らず」として収められた一首です。原文と現代語訳を並べて確かめましょう。
- 原文 さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
- 現代語訳 (近江の)志賀の旧都はすっかり荒れ果ててしまったが、長等山の山桜だけは昔のままに美しく咲いていることだ。
「さざ波や」は「志賀」「長等」などにかかる枕詞で、特別な意味はありません。歌の眼目は結句の「昔ながらの山桜」にあります。この「ながら」は、「昔のまま(=昔ながら)」という意味と、志賀の地にある長等(ながら)山という地名とを重ねた掛詞です。たった三文字に二つの意味を響かせる技巧が、テストで最もよく問われます。
歌のテーマは「無常」です。都(人の営み)は時とともに荒れ果てていくのに、山桜(自然)は昔と変わらず咲き続ける。移ろいゆくものと変わらぬものを対比させることで、人の世のはかなさをしみじみと描き出しています。滅びゆく平家の運命と、忠度自身の境遇が、この一首に静かに重ね合わされている点もおさえておきましょう。
9. 結末と語り手の心 ― 「うらめしかりしことども」
その後、世が静まり、俊成は約束どおり『千載和歌集』を編みます。忠度の歌は確かに選ばれました。しかし忠度は「勅勘の人(朝敵)」であったため、名前を出すことが許されず、「故郷の花」という題のもとに「読み人知らず」として収められたのです。歌は残ったのに、作者の名は残せなかった——この事実こそが、この章段の最大の哀切です。
『平家物語』の語り手は、この結末を「うらめしかりしことどもなり(残念なことであった)」と結んでいます。忠度の歌人としての才を惜しみ、名を残せなかった不遇に同情する語り手の心が、ここににじみ出ています。歴史の勝者によって名を消された敗者へのまなざし——『平家物語』全体を貫く「もののあはれ」「無常観」が、この一文に集約されているといえるでしょう。
10. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 「都落ち」の主語……引き返したのは忠度一人です。「一門が引き返した」と誤読しないこと。一門は西へ落ちていく途中で、忠度だけが逆に都へ戻りました。
- 敬語の方向……「おはす」「給ふ」などの尊敬語は忠度や俊成への敬意、「候ふ」は忠度から俊成への丁寧な敬意です。誰から誰への敬意かを問う設問が多いので注意。
- 「草の陰」の意味……「あの世・死後の世界」。「草むらの陰」などと誤らないこと。
- 「ながら」の掛詞……「昔のまま」と地名「長等山」。記述で両方の意味を書けるようにしておく。
- 「読み人知らず」の理由……朝敵(勅勘の人)であったため名を出せなかった。文学史の知識(俊成=千載集の撰者)と結びつけて問われます。
11. ミニ練習問題(解答つき)
問1 「いづくよりや帰られたりけん」の「けん(けむ)」の文法的意味を答えなさい。
問2 忠度が俊成に託したものは何か、簡潔に答えなさい。
問3 「さざ波や」の歌に用いられている掛詞を指摘し、その二つの意味を説明しなさい。
問4 忠度の歌が『千載和歌集』に「読み人知らず」として入れられたのはなぜか、説明しなさい。
- 問1の答え 過去推量(過去の事柄についての推量)。「や」と呼応し、語り手が「どこから帰ってきたのだろうか」と推し量っている。
- 問2の答え 日ごろ詠みためた秀歌百余首を書き集めた巻き物。
- 問3の答え 「ながら」が掛詞。「昔のまま(昔ながら)」という意味と、志賀の地名「長等(ながら)山」という意味とを掛けている。
- 問4の答え 忠度が朝敵(勅勘の人)であったため、撰者の俊成は彼の名を出すことができなかったから。
12. よくある質問 Q&A
Q.「薩摩守(さつまのかみ)」とはどういう意味ですか。
A. 薩摩国(今の鹿児島県西部)の長官という官職名です。忠度がこの官職に就いていたため「薩摩守忠度」と呼ばれます。人名そのものではなく「官職+名」の形です。
Q. 藤原俊成とはどんな人ですか。
A. 平安末期から鎌倉初期の代表的な歌人で、勅撰和歌集『千載和歌集』の撰者を務めた人物です。忠度は若いころから俊成に和歌を学んでおり、二人は師弟の関係にありました。俊成の子が、有名な歌人・藤原定家です。
Q. なぜ忠度は危険をおかしてまで戻ったのですか。
A. 歌人として、勅撰集に自分の歌を残すことが何よりの願いだったからです。命の危険よりも、歌人としての名を後世に残すことを選んだ点に、忠度の生き方が表れています。
13. まとめ
- 『平家物語』巻七。都落ちの混乱のなか、薩摩守忠度がただ一人引き返し、師・藤原俊成に歌の巻き物を託す場面。
- 忠度の願いは「勅撰集に一首でも入れてほしい」。「草の陰(あの世)」でもうれしいと、死を覚悟したうえで歌の名を残そうとした。
- 後に『千載和歌集』へ歌は選ばれたが、朝敵ゆえ「読み人知らず」とされた。歌は残り、名は残らなかった哀切。
- 和歌「さざ波や〜」は「ながら」の掛詞と無常観がポイント。語り手の「うらめしかりしことども」に同情がにじむ。
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