この記事でわかること 白居易(はくきょい/別名・白楽天)は、唐の時代を代表する詩人です。その代表作『長恨歌(ちょうごんか)』は、皇帝・玄宗(げんそう)と、絶世の美女・楊貴妃(ようきひ)の悲しい恋をうたった長い詩。じつはこの詩、日本の『源氏物語』にも大きな影響をあたえました。この記事では、白居易がどんな詩人か → 『長恨歌』はどんな物語か → 有名な句を書き下し文と現代語訳で味わう → 『源氏物語』とのつながり、という順でやさしく整理します。
ひとことで言えば、『長恨歌』は「皇帝と美女の悲恋をうたい、のちの日本文学(とくに源氏物語)にも影響をあたえた名詩」です。むずかしい漢字が多く見えますが、物語そのものは「愛し合った二人が引き裂かれ、いつまでも忘れられない」という、とてもシンプルな悲しい恋の話。安心して読み進めてください。
① 白居易(白楽天)とは──だれにでもわかる、やさしい詩をめざした人
白居易は、772年に生まれ、846年に亡くなった、唐の時代の詩人です。「白居易」が本名で、「楽天(らくてん)」は字(あざな=大人になってつける別名)。そのため、日本では昔から「白楽天(はくらくてん)」の呼び名でも親しまれてきました。
唐の詩(唐詩)には大きく時期があり、白居易はそのうち「中唐(ちゅうとう)」とよばれる、やや後の時代に活躍した人です。少し前の時代には、「詩仙」とよばれた李白(りはく)や、「詩聖」とよばれた杜甫(とほ)といった大詩人がいました。白居易はその次の世代にあたります。
白居易の詩のとくちょう──「平易(へいい)」=やさしくわかりやすい
白居易の詩のいちばんの特色は、言葉がやさしく、わかりやすいことです。むずかしい言いまわしをわざと避け、ふつうの人にも伝わる言葉で、人の気持ちや社会のようすをうたいました。だからこそ、彼の詩は中国だけでなく、海をこえて日本でも大人気になります。
その人気ぶりは、平安時代の貴族の知識として「白氏文集(はくしもんじゅう)」(白居易の作品集)が必読書になったほど。たとえば清少納言の『枕草子』には、白居易の詩を下敷きにした有名な場面があります。「香炉峰(こうろほう)の雪はどうでしょう」と問われた清少納言が、御簾(みす=すだれ)をさっと上げてみせる──あの『香炉峰の雪』の段は、まさに白居易の詩をふまえた当意即妙のやりとりでした。当サイトの枕草子『香炉峰の雪』をやさしく解説もあわせて読むと、白居易が平安の人々にどれほど身近だったかがよくわかります。
ここがポイント 白居易=「やさしく・わかりやすい詩を書いた中唐の人」「日本での人気が絶大」。この2つをおさえておけば十分です。
② 『長恨歌』の流れ──皇帝と美女の、引き裂かれた恋
『長恨歌』は、806年(中国の元号で元和元年)に書かれた、全120句のとても長い詩です。「長恨」とは「長く続く、いつまでも消えない恨み(=深い悲しみ・心残り)」という意味。タイトルそのものが、この詩のテーマを言いあらわしています。
主人公は、唐の皇帝玄宗(げんそう)と、その愛した楊貴妃(ようきひ)。物語はおおよそ次のように進みます。
- (1) 寵愛(ちょうあい)──玄宗は楊貴妃を深く愛し、政治をかえりみなくなるほど夢中になります。
- (2) 戦乱(安史の乱)──755年、安史(あんし)の乱という大きな反乱が起こり、都が危なくなります。玄宗は楊貴妃をつれて都を脱出します。
- (3) 死別──逃げる途中、馬嵬(ばかい)という土地で兵士たちが「乱の責任は楊貴妃にある」と訴え、皇帝はやむなく楊貴妃を死なせることになります。玄宗は愛する人を救えませんでした。
- (4) 帰京と嘆き──乱がおさまり都に戻った玄宗ですが、楊貴妃のいない宮殿で、季節がめぐるたびに彼女を思い出し、ひたすら嘆き悲しみます。
- (5) 魂をさがす──皇帝の悲しみを見かねて、ある道士(どうし=仙術を使う人)が、亡き楊貴妃の魂を天上の世界までさがしに行きます。そして二人がかつて交わした愛の誓いの言葉が、最後に語られます。
後半の(5)「道士が魂をさがす」部分は、史実ではなく詩の中で作られた幻想的な物語です。実際の歴史をふまえつつ、白居易が想像力をふくらませてうたい上げた──ここがこの詩の美しいところでもあります。
歴史の事実として確かなことは、(2)安史の乱が755年に起きたこと、(3)その混乱の中で楊貴妃が亡くなったこと、(4)玄宗が皇帝の位をしりぞいたこと(息子の粛宗に位をゆずり、太上皇=上皇となったこと)です。一方で、二人のやりとりの細かな場面や(5)の魂さがしは、詩としての創作部分。ここを混同しないようにしましょう。
③ 有名な句を味わう──白文・書き下し文・現代語訳
『長恨歌』は120句もある長い詩なので、ここでは教科書や参考書でよく取り上げられる代表的な3か所だけを、白文(はくぶん=もとの漢文)・書き下し文・現代語訳の3点セットで味わいます。全文を読むより、有名な「ここぞ」という句にしぼった方が、この詩の魅力がつかみやすいからです。
(1) 詩の書き出し──「漢皇 色を重んじて……」
| 白文 | 漢皇重色思傾國 |
| 書き下し文 | 漢皇(かんこう)色を重んじて傾国(けいこく)を思ふ |
| 現代語訳 | 皇帝は美しい女性を何より大切にし、国を傾けるほどの絶世の美女を求めていた。 |
「漢皇」は直訳すると「漢の皇帝」ですが、これは前の時代にことよせた言い方で、実際には唐の玄宗皇帝を指しています。「傾国(けいこく)」とは「国をかたむける(ほろぼす)ほどの美女」のこと。詩はこの一句で、「皇帝が美女に夢中になり、やがて国が乱れていく」という物語全体の方向を、いきなり予感させます。
(2) 楊貴妃の美しさ──「ひとたびふり返ってほほえめば……」
| 白文 | 回眸一笑百媚生 |
| 書き下し文 | 眸(ひとみ)を回(めぐ)らして一笑(いっしょう)すれば百媚(ひゃくび)生じ |
| 現代語訳 | (楊貴妃が)ひとみをめぐらしてにっこり笑うと、あふれるほどの愛らしさ・なまめかしさが生まれ、 |
| 白文 | 六宮粉黛無顏色 |
| 書き下し文 | 六宮(りくきゅう)の粉黛(ふんたい)顔色(がんしょく)無し |
| 現代語訳 | 後宮にいる他の大勢の美女たちは、(彼女とくらべると)まるで色あせて見えてしまった。 |
「六宮の粉黛」は、宮中に仕える化粧をした女性たち(=他のきさきや女官たち)のこと。楊貴妃がひとたび笑うだけで、他の美女がみな色あせて見える──たった2句で、彼女の美しさがどれほど特別だったかが伝わってきます。むずかしい字が並びますが、言っていることは「とびきりの美人だった」というシンプルな称賛です。
(3) 詩のしめくくり──「比翼の鳥」「連理の枝」
この詩でもっとも有名なのが、二人が交わした愛の誓いをうたう最後の場面です。
| 白文 | 在天願作比翼鳥 |
| 書き下し文 | 天に在(あ)りては願はくは比翼(ひよく)の鳥と作(な)り |
| 現代語訳 | 天上に生まれ変わるならば、どうか「比翼の鳥」になりたい。 |
| 白文 | 在地願爲連理枝 |
| 書き下し文 | 地に在りては願はくは連理(れんり)の枝と為(な)らん |
| 現代語訳 | 地上に生まれ変わるならば、どうか「連理の枝」になりたい。 |
ここに出てくる二つの言葉が、とても大切です。
- 比翼(ひよく)の鳥……伝説上の鳥で、めすとおすがそれぞれ目も翼も一つずつしか持たず、二羽がぴったり寄りそって、はじめて飛べるといわれます。
- 連理(れんり)の枝……別々に生えた二本の木の枝が、途中で一つにつながり合ったもの。もとは別なのに、固く結びついて離れないようすをあらわします。
この二つを合わせた「比翼連理(ひよくれんり)」は、今でも「深く結ばれた男女の愛」をあらわす言葉として使われています。『長恨歌』が生んだ、いわば「永遠の愛の象徴」です。二人はもう現実では結ばれない。だからこそ、生まれ変わってでも一つになりたい──という切ない願いが、この句にこめられています。
④ 古文とのつながり──『源氏物語』は『長恨歌』を下敷きにしている
さて、ここからが日本の古文を学ぶ人にとっていちばん大事なところです。じつは『源氏物語』の冒頭、第一帖『桐壺(きりつぼ)』は、この『長恨歌』を下敷き(=お手本・元ネタ)にして書かれています。
『桐壺』では、帝(みかど)が身分の高くない女性(桐壺更衣=きりつぼのこうい)を深く愛しすぎて、まわりの反発をまねき、やがてその女性が病で亡くなってしまいます。「身分をこえて一人の女性を愛しぬく皇帝」「愛する人を失った深い嘆き」という構図は、まさに玄宗と楊貴妃の物語とそっくりです。
しかも『桐壺』の本文には、亡き更衣を思って嘆く帝が、絵に描かれた『長恨歌』を見て楊貴妃の物語をしのぶ場面がはっきり描かれています。作者の紫式部は、読者が『長恨歌』を知っていることを前提に、この悲恋の名詩を物語のすぐ後ろに重ねて見せているのです。
つまり、『長恨歌』を知っていると、『源氏物語』の冒頭の悲しみがぐっと深く読めるということ。漢文(唐詩)と古文(物語)が、こんなふうにつながっているのは、古典を学ぶ大きな楽しみの一つです。くわしくは当サイトの源氏物語『桐壺(光源氏の誕生)』をやさしく解説とあわせて読んでみてください。「ああ、ここが長恨歌とつながっているのか」と、二つの作品が頭の中でつながる瞬間を、ぜひ味わってほしいと思います。
まとめ──一つの悲恋が、海をこえて文学を育てた
- 白居易(白楽天)は、772〜846年に生きた中唐の詩人。やさしくわかりやすい詩風で、日本でも絶大な人気をほこった。
- 代表作『長恨歌』(806年)は、皇帝玄宗と美女楊貴妃の悲恋をうたった全120句の長編詩。寵愛 → 安史の乱(755年)での死別 → 嘆き → 道士による魂さがし、という流れ。後半の魂さがしは詩の中の幻想的な創作。
- 有名句は、書き出しの「漢皇 色を重んじて傾国を思ふ」、楊貴妃の美をうたう「眸を回らして一笑すれば……」、そしてしめくくりの「比翼の鳥」「連理の枝」。ここから「比翼連理」という言葉が生まれた。
- この詩は、日本の『源氏物語』冒頭『桐壺』の下敷きになっており、平安文学に深く影響をあたえた。
むずかしい漢字に最初はおどろくかもしれませんが、『長恨歌』が語っているのは「引き裂かれてもなお忘れられない、ひとつの恋」というシンプルで普遍的な物語です。有名な句だけでも書き下し文と現代語訳をたどってみれば、千二百年以上前の詩が、いまの私たちの胸にもちゃんと届くはず。そしてその余韻は、海をこえて『源氏物語』へと受け継がれていきました。一つの詩がこれほど長く、広く愛されてきたこと自体が、白居易のすごさを物語っています。
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