1. はじめに
春の夜、旅先の洛陽(らくよう)の町に、どこからともなく笛(ふえ)の音が流れてきます。その音色のなかに、別れの曲『折楊柳(せつようりゅう)』を聞きとった作者・李白(りはく)は、ふるさとを恋しく思う気持ちがこみ上げてきます。たった四句二十八字(七言絶句)に、旅人の切ない望郷(ぼうきょう)の思いをみごとに描いた名作です。
聞こえてくる笛の音という『音』をきっかけに、心の中の『ふるさとへの思い』が広がっていく流れが読みどころです。最後の句『何人か故園の情を起こさざらん』は反語(はんご)で、『誰だってふるさとを思わずにはいられない』という強い気持ちを表しています。
2. 白文・書き下し文
【白文】
誰家玉笛暗飛声
散入春風満洛城
此夜曲中聞折柳
何人不起故園情
【書き下し文】
誰(た)が家(いえ)の玉笛(ぎょくてき)ぞ暗(あん)に声を飛(と)ばす
散(さん)じて春風(しゅんぷう)に入(い)りて洛城(らくじょう)に満(み)つ
此(こ)の夜(よ)曲中(きょくちゅう)折柳(せつりゅう)を聞く
何人(なんぴと)か故園(こえん)の情(じょう)を起(おこ)さざらん
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【第一句】
どこの家から流れてくる笛の音だろうか、暗闇の中をどこからともなく響かせている。
【第二句】
その音は春風に乗って散り広がり、洛陽の町じゅうに満ちわたる。
【第三句】
この夜、その曲の中に、別れの曲『折楊柳(せつようりゅう)』を聞いた。
【第四句】
この調べを聞いて、いったい誰がふるさとを思う気持ちを起こさずにいられようか(いや、誰もが思わずにはいられない)。
4. 重要語句
- 玉笛(ぎょくてき)…玉で飾った立派な笛。笛をほめて言う美しい言い方(美称)。
- 暗(あん)に…暗闇の中をどこからともなく。発信元が見えないまま音が届く様子。
- 飛声(声を飛ばす)…笛の音を遠くまで響かせる、ということ。
- 散入(散じて入る)…音が散り広がって(春風の中に)入りこむこと。
- 春風(しゅんぷう)…春の風。笛の音を町じゅうに運ぶ役割をする。
- 洛城(らくじょう)…洛陽(らくよう)の町。今の中国・河南省洛陽市。当時の大都市。
- 曲中(きょくちゅう)…(聞こえてくる)曲の中に。
- 折柳(せつりゅう)…『折楊柳(せつようりゅう)』という別れの曲。旅立つ人に柳の枝を折って贈る習慣にちなむ、送別の名曲。
- 何人(なんぴと)か…いったい誰が。下の「ざらん」と呼応して反語をつくる。
- 故園(こえん)…ふるさと。生まれ育った土地。
- 故園の情(じょう)…ふるさとを恋しく思う気持ち、望郷の念。
5. 句法・読解のポイント
- 詩の形式は七言絶句(しちごんぜっく)…一句が七字、全部で四句から成る漢詩。起句・承句・転句・結句の四句構成で、たった二十八字に旅人の思いを凝縮している。
- 押韻(おういん)は第一・二・四句末…句末の『声(セイ)』『城(ジョウ)』『情(ジョウ)』が韻をふむ(下平声・庚韻)。七言詩では原則として第一句末も韻をふむ。声に出して読むとリズムと響きの美しさが感じられる。
- 結句の『何人か〜起こさざらん』は反語(はんご)…『何人か(誰が)…ざらん(…しないだろうか)』の形で、『誰一人として故郷を思わない者はいない=みんなが思う』という意味を強調する。漢文では最頻出の句法で、ここが最大の読解・出題ポイント。
- 『不』+『〜ん(推量)』で二重否定的に強める反語…『不起(起こさず)』を反語の枠に入れることで、否定の否定→強い肯定の気持ちになる。書き下しでは『起こさざらん』と読む点に注意。
- 句の展開(起承転結)に注目…第一句で笛の音が聞こえ(起)、第二句で町に広がり(承)、第三句で別れの曲だと気づき(転)、第四句で望郷の思いへと結ぶ。『音』から『心』へと自然に流れる構成。
- 『暗』『散入』『満』の動きのある語…暗闇を飛ぶ声、春風に散り入り、町に満ちる――目には見えない音の広がりを、動詞を重ねて視覚的に描いている。
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:春の夜、旅の途中で立ち寄った洛陽の町。どこからともなく笛の音が暗闇に響いてくる。その音は春風に乗って散り広がり、町じゅうに満ちていく。聞こえてくる曲は、別れを歌った『折楊柳(せつようりゅう)』。その調べを耳にして、作者・李白はふるさとを恋しく思う気持ちを抑えられなくなる。そして、この音を聞けば誰だってふるさとを思わずにはいられないだろう、と結ぶ。耳に届いた笛の音が、心の奥にある望郷の思いを呼び覚ます一首である。
主題:旅先で聞いた笛の音、とりわけ別れの曲『折楊柳』をきっかけに湧き上がる、ふるさとを慕う心(望郷の念・郷愁)。見えない音の広がりと、人の心に共通する故郷への思いを重ねて描いている。
背景:作者は唐を代表する詩人・李白(701〜762)。この詩は開元二十年(732年)、李白が三十二歳ごろ、東都・洛陽に滞在していたときの作とされる。当時の洛陽は長安と並ぶ大都市で、各地から人が集まる町であった。旅の身であった李白が、春の夜に偶然耳にした笛の曲『折楊柳』――旅立つ人に柳の枝を折って贈り、別れを惜しむ習慣にちなむ送別の名曲――から、自身のふるさとへの思いをかき立てられて詠んだ一首である。
確認クイズ(3問)
この詩の形式は何か。漢字で答えなさい。
七言絶句(一句七字・全四句から成る)。
第三句の『折柳』とは、どんな曲のことか。簡単に説明しなさい。
『折楊柳(せつようりゅう)』という別れ(送別)の曲。旅立つ人に柳の枝を折って贈る習慣にちなむ。
結句『何人か故園の情を起こさざらん』は、どんな句法か。また、その意味を答えなさい。
反語。『誰一人として故郷を思わない者はいない=誰もがふるさとを思わずにはいられない』という強い肯定の意味を表す。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 『暗に声を飛ばす』の『暗』を『ひそかに』と訳しがちだが、ここは『暗闇の中をどこからともなく』の意味。場面が夜であることと結びつけて理解する。
- 『折柳』を文字どおり『柳を折る』と訳すと誤り。『折楊柳』という送別の曲名であることを押さえる(楽府題)。
- 結句の反語『何人か〜ざらん』を、ふつうの疑問『誰が起こすだろうか』と取ると正反対の意味になる。反語=強い肯定(みんなが起こす)と訳すのが定番の出題ポイント。
- 押韻を問われたとき、韻をふむ字(声・城・情)を抜き出せるようにしておく。七言詩は第一句末も韻をふむ点に注意。
- 『玉笛』の『玉』を実際の宝石と取らないこと。笛をほめて言う美称(立派な笛)である。
8. まとめ
・李白の七言絶句。春の夜、洛陽で聞いた笛の音から望郷(ぼうきょう)の念を詠んだ名作。
・聞こえてきた曲は別れの曲『折楊柳(折柳)』。送別にちなむ曲名で、文字どおり『柳を折る』ではない。
・結句『何人か故園の情を起こさざらん』は反語で、『誰もがふるさとを思わずにはいられない』という強い思いを表す=最大の読解・出題ポイント。
・押韻は第一・二・四句末の『声・城・情』。声に出すと音の響きの美しさが味わえる。
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