1. はじめに
『史記』は前漢の歴史家・司馬遷が書いた中国最初の本格的な通史です。その中の「列伝」の最初に置かれているのが、この『伯夷列伝(はくいれつでん)』。伯夷・叔斉という二人の兄弟が、自分の信じる「正しさ(仁・義)」を最後まで守り通し、ついには首陽山で餓死してしまう、という有名な話です。
そして司馬遷は、この善人二人の悲しい最期と、悪人がのうのうと長生きする現実をくらべて、「天道は是か非か(天のおこないは正しいのか、正しくないのか)」という、深く重い問いを投げかけます。歴史を書きながら自分自身も理不尽な刑(宮刑)を受けた司馬遷の、心の叫びがこめられた名文として、高校漢文で必ず学ぶ定番です。
2. 白文・書き下し文
【白文(伝記の部分)】
伯夷・叔斉、孤竹君之二子也。父欲立叔斉。及父卒、叔斉譲伯夷。伯夷曰、父命也、遂逃去。叔斉亦不肯立而逃之。国人立其中子。
於是伯夷・叔斉聞西伯昌善養老、盍往帰焉。及至、西伯卒。武王載木主、号為文王、東伐紂。伯夷・叔斉叩馬而諫曰、父死不葬、爰及干戈、可謂孝乎。以臣弑君、可謂仁乎。左右欲兵之。太公曰、此義人也。扶而去之。
武王已平殷乱、天下宗周。而伯夷・叔斉恥之、義不食周粟、隠於首陽山、采薇而食之。及餓且死、作歌。其辞曰、登彼西山兮、采其薇矣。以暴易暴兮、不知其非矣。神農・虞・夏忽焉没兮、我安適帰矣。于嗟徂兮、命之衰矣。遂餓死於首陽山。
【白文(天道是邪非邪の部分)】
或曰、天道無親、常与善人。若伯夷・叔斉、可謂善人者非邪。積仁絜行如此而餓死。且七十子之徒、仲尼独薦顔淵為好学。然回也屢空、糟糠不厭、而卒蚤夭。天之報施善人、其何如哉。盗蹠日殺不辜、肝人之肉、暴戻恣睢、聚党数千人、横行天下、竟以寿終。是遵何徳哉。此其尤大彰明較著者也。……余甚惑焉。儻所謂天道、是邪非邪。
【書き下し文(伝記の部分)】
伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は、孤竹君(こうちくくん)の二子なり。父、叔斉を立てんと欲す。父の卒(しゅっ)するに及びて、叔斉、伯夷に譲る。伯夷曰はく、「父の命なり」と、遂に逃げ去る。叔斉も亦た立つを肯(がへ)んぜずして之を逃る。国人、其の中子(ちゅうし)を立つ。
是(ここ)に於いて伯夷・叔斉、西伯昌(せいはくしょう)善く老を養ふと聞き、盍(なん)ぞ往きて帰せざらん。至るに及びて、西伯卒す。武王、木主(ぼくしゅ)を載せ、号して文王と為し、東のかた紂(ちゅう)を伐つ。伯夷・叔斉、馬を叩(ひか)へて諫めて曰はく、「父死して葬らず、爰(ここ)に干戈(かんか)に及ぶ、孝と謂ふべけんや。臣を以て君を弑す、仁と謂ふべけんや」と。左右、之を兵(へい)せんと欲す。太公曰はく、「此れ義人なり」と。扶(たす)けて之を去らしむ。
武王、已(すで)に殷(いん)の乱を平らげ、天下、周を宗(そう)とす。而(しか)れども伯夷・叔斉、之を恥ぢ、義として周の粟(ぞく)を食(は)まず、首陽山(しゅようざん)に隠れ、薇(び)を采(と)りて之を食らふ。餓ゑて且(まさ)に死せんとするに及びて、歌を作る。其の辞に曰はく、「彼の西山に登り、其の薇を采る。暴を以て暴に易(か)へ、其の非を知らず。神農・虞・夏、忽焉(こつえん)として没す、我れ安(いづ)くにか適帰(てきき)せん。于嗟(ああ)徂(ゆ)かん、命の衰へたるかな」と。遂に首陽山に餓死す。
【書き下し文(天道是邪非邪の部分)】
或ひと曰はく、「天道に親(しん)無し、常に善人に与(くみ)す」と。伯夷・叔斉の若(ごと)きは、善人と謂ふべき者か非(あら)ずや。仁を積み行ひを絜(いさぎよ)くすること此くの如くにして餓死せり。且つ七十子の徒、仲尼(ちゅうじ)独り顔淵(がんえん)を薦めて好学と為す。然れども回(くわい)や屢(しばしば)空(むな)しく、糟糠(そうこう)すら厭(あ)かずして、卒(つひ)に蚤夭(そうよう)す。天の善人に報施(ほうし)する、其れ何如(いかん)ぞや。盗蹠(とうせき)は日に不辜(ふこ)を殺し、人の肉を肝(かん)にし、暴戻恣睢(ぼうれいしき)、党を聚(あつ)むること数千人、天下に横行するも、竟(つひ)に寿(じゅ)を以て終はる。是れ何の徳に遵(したが)へるや。此れ其の尤(もっと)も大いに彰明較著(しょうめいこうちょ)なる者なり。……余甚だ惑(まど)へり。儻(も)し所謂(いはゆる)天道は、是(ぜ)か非(ひ)か。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【現代語訳(伝記の部分)】
伯夷と叔斉は、孤竹国の君主の二人の子であった。父は(弟の)叔斉を跡継ぎに立てようと思っていた。父が亡くなると、叔斉は(兄の)伯夷に位を譲ろうとした。伯夷は「(おまえを立てよというのが)父の命令なのだ」と言って、とうとう国から逃げ去ってしまった。叔斉もまた位に就くことをよしとせず、逃げ出した。国の人々は、間の(三番目の)子を君主に立てた。
そこで伯夷・叔斉は、西伯昌(のちの周の文王)が老人を大切にすると聞き、「どうして行って身を寄せないことがあろうか(身を寄せよう)」と思った。ところが着いてみると、西伯はすでに亡くなっていた。(その子の)武王は、父の位牌を車に載せ、(父を)文王と名づけて、東方の(殷の暴君)紂王を討とうとした。伯夷・叔斉は武王の馬を引き止めていさめて言った、「父が死んで葬りもしないうちに、すぐ戦をなさる。これが孝と言えましょうか。臣下の身で主君(殷の紂王)を殺す。これが仁と言えましょうか」と。武王の家臣たちは二人を斬ろうとした。(しかし)軍師の太公望が「この人たちは義人だ」と言い、助けて立ち去らせた。
武王が殷の乱を平定すると、天下はみな周を盟主とあおいだ。しかし伯夷・叔斉はこれを恥とし、節義を守って周の穀物を食べようとせず、首陽山に隠れ、わらび(薇)を採って食べていた。飢えて今にも死のうとするとき、歌を作った。その歌に言う、「あの西山に登って、わらびを採る。(武王は殷の)暴虐を(自分の)暴虐で取りかえながら、それが間違いだと気づかない。神農・虞・夏の(聖王の世)はあっという間に消え去ってしまった、私はいったいどこへ身を寄せればよいのか。ああ、もう死んでゆこう。わが命運も尽き果てたことよ」と。こうして二人はとうとう首陽山で餓死した。
【現代語訳(天道是邪非邪の部分)】
ある人は言う、「天の道は身びいきをしない、いつでも善人の味方をするものだ」と。だが、伯夷・叔斉のような人こそ、善人と言うべき者ではないか。これほど仁徳を積み、行いを清くしながら、餓死してしまった。また孔子の七十人の高弟のうち、孔子はただ顔淵だけを「学問好き」だとほめた。それなのに顔淵はしばしば貧窮し、酒かすや米ぬかのような粗末な食事すら十分に食べられず、若くして死んでしまった。天が善人に報いるというのは、いったいどういうことなのか。一方、(大盗賊の)盗蹠は、毎日罪のない人を殺し、人の肉を切りさき、残虐で勝手放題、数千人もの仲間を集めて天下を荒らしまわったのに、結局は天寿をまっとうして死んだ。これはいったいどんな徳に従った報いなのか。これこそ、(天道のあやしさが)最もはっきりと際立った例である。……私はまったく当惑してしまう。いったい、世に言う「天の道」とは、正しいのか、正しくないのか。
4. 重要語句
- 孤竹君…孤竹国の君主。伯夷・叔斉の父。
- 卒(しゅっ)す…(身分の高い人が)亡くなる。死ぬ。
- 肯(がへ)んぜず…承知しない。よしとしない。
- 盍(なん)ぞ~ざる…どうして~しないのか(いや、しよう)。再読文字。「往き帰せん」の意。
- 木主…位牌(いはい)。死者の霊をまつる札。
- 叩(ひか)ふ…(馬の手綱を)引き止める。
- 干戈(かんか)…盾とほこ。転じて戦争・武力のこと。
- 周の粟(ぞく)を食(は)まず…周の俸禄・穀物を受けない。節義を貫く態度を表す有名な句。
- 薇(び)…わらび(または、ぜんまい)。山菜。
- 天道に親(しん)無し…天の道はえこひいきをしない。『老子』七十九章による言葉。
- 屢(しばしば)空(むな)し…たびたび(米びつが)空になる=しょっちゅう貧乏である。顔淵の清貧を表す。
- 不辜(ふこ)…罪のない人。「辜」は罪。
- 儻(も)し…もし。「ひょっとして~だろうか」と疑念をこめて訳すこともある。
5. 句法・読解のポイント
- 再読文字「盍(なんぞ~ざる)」…「盍往帰焉」は「盍ぞ往きて帰せざらん」と読み、「どうして行って身を寄せないのか(いや、寄せよう)」という勧誘・反語的な意味。一字を二度読む再読文字の代表例。
- 反語「~と謂ふべけんや」…「可謂孝乎」「可謂仁乎」は「孝(仁)と謂ふべけんや」と読み、「孝(仁)と言えようか、いや言えない」という反語。形の上では疑問だが、強い否定を表すのがポイント。
- 再読文字「且(まさに~せんとす)」…「餓且死」は「餓ゑて且に死せんとす」と読み、「今にも死のうとする」という意味。「将」と同じ近接未来を表す再読文字。
- 疑問・反語の助字「邪・乎・哉」…末尾の「是邪非邪」は「是か非か」と読む疑問。文中の「非邪(あらずや)」「何如哉(いかんぞや)」「是遵何徳哉(何の徳に遵へるや)」など、句末の「邪・乎・哉」が疑問・反語を作る点が頻出。
- 「不食周粟」の意味と読み…「義不食周粟」は「義として周の粟を食まず」。節義を守って周の俸禄を受けないという、伯夷・叔斉の生き方を象徴する句。「粟」は俸禄・穀物の意で、ここが主題に直結する。
- 采薇歌の対比表現…「以暴易暴兮(暴を以て暴に易ふ)」は、武王の武力討伐を「暴虐を暴虐で取りかえるだけ」と批判する句。「兮」は詩のリズムを整える助字で読まない。聖王の世(神農・虞・夏)と乱れた現世を対比する。
- 「天道無親、常与善人」の典拠…冒頭の通念は『老子』七十九章の引用。司馬遷はこの「善人が報われる」という前提を提示したうえで、伯夷・顔淵(善人が不遇)と盗蹠(悪人が長寿)の具体例を並べ、最後に反証して「天道是邪非邪」と覆す論の運びになっている。
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:伯夷・叔斉は孤竹国の王子の兄弟。父が弟の叔斉を後継ぎにしようとしたが、父の死後、叔斉は兄を立てようとし、伯夷も父の命に背けないとして、二人とも国を捨てて去った。やがて周の文王の評判を慕って行くが、すでに文王は亡く、子の武王が父の位牌を掲げて殷の紂王を討とうとしていた。二人は「父の葬儀も済まぬうちに戦をするのは不孝、臣下が主君を討つのは不仁だ」といさめるが聞き入れられず、武王が殷を滅ぼして天下が周になると、「周の穀物は食べない」と節義を貫いて首陽山に隠れ、わらびを採って暮らし、采薇の歌を残して餓死した。司馬遷は、これほどの善人が餓死し、顔淵のような賢人も若死にし、逆に大悪人の盗蹠が天寿を全うした事実をあげ、「天道は是か非か」と、天の正しさそのものを問いかけて結ぶ。
主題:節義(仁・義)を命がけで守り通した伯夷・叔斉の生き方をたたえつつ、善人が報われず悪人が栄えるという現実を突きつけ、「天道は本当に正しいのか」という天への根源的な疑問・抗議を投げかけること。理不尽な世の中で、人はいかに正しく生きるべきかを読者に問う。
背景:『史記』は前漢の司馬遷(しばせん、前145頃~前86頃)が、伝説の黄帝から武帝の時代までを記した中国最初の紀伝体の通史。「本紀」「世家」「列伝」などからなり、『伯夷列伝』は七十巻ある「列伝」の冒頭に置かれている。司馬遷自身、友人の将軍・李陵をかばって武帝の怒りを買い、宮刑(去勢の刑)という屈辱的な刑を受けた。それでも『史記』を完成させたという経歴があり、「善人が報われない」という伯夷列伝の問いには、理不尽な刑を受けた司馬遷自身の無念や、天への憤りが重ねられていると読まれる。なお「天道無親、常与善人」の句は『老子』に由来し、司馬遷はその通念にあえて疑問を突きつけている。
確認クイズ(3問)
伯夷・叔斉は、なぜ周の穀物を食べず首陽山にこもって餓死したのですか。
臣下である武王が主君の殷の紂王を討って天下を奪うやり方を不仁・不義と考え、その周の世話になるのを潔しとせず、自分たちの信じる節義を最後まで守ろうとしたから。
司馬遷が顔淵(善人なのに若死に)と盗蹠(悪人なのに長寿)の例を並べて言いたかったことは何ですか。
「天は善人の味方だ」という通念に反して、実際には善人が報われず悪人が栄えることがある、という矛盾を示し、「天道は本当に正しいのか(天道是か非か)」という疑問を投げかけること。
「父死不葬、爰及干戈、可謂孝乎」の「可謂孝乎」はどんな意味の表現ですか。
「孝と謂ふべけんや」と読む反語で、「(これが)孝と言えようか、いや言えない」と強く否定する意味。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 再読文字「盍(なんぞ~ざる)」「且(まさに~せんとす)」の読みと意味の両方を、書き下しとセットで問われやすい。
- 「可謂孝乎/可謂仁乎」を単なる疑問と取り違えやすいが、反語(強い否定)であることを答えさせる問題が定番。
- 「義不食周粟」が伯夷・叔斉の生き方(節義を守る)を象徴する句として、主題と結びつけて問われる。
- 結びの「天道是邪非邪」が、誰の・どんな気持ちの問いかけか(司馬遷の天への疑問・抗議)を説明させる記述問題が出る。
- 顔淵・盗蹠が「善人なのに不遇/悪人なのに長寿」という対比の具体例だと正しく押さえられないと、論の流れを読み違える。
8. まとめ
・伯夷・叔斉は仁・義・孝を命がけで守り、周の世話になるのを拒んで首陽山で餓死した、節義の象徴ともいえる兄弟。
・采薇の歌は、武王の討伐を「暴を以て暴に易ふ」と批判し、自分たちの行き場のない悲しみと覚悟をうたう。
・後半で司馬遷は、善人(伯夷・顔淵)が報われず悪人(盗蹠)が栄える例をあげ、「天道是邪非邪」と天の正しさそのものを問う。
・宮刑を受けた司馬遷自身の無念が重なる名文。再読文字・反語・句末の疑問助字が文法上の頻出ポイント。
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