平家物語『大原御幸』をやさしく解説|現代語訳・重要語句・読解のポイント

作品解説

1. はじめに

『平家物語』の最後をしめくくる「灌頂巻(かんじょうのまき)」の一場面です。壇ノ浦の戦いで平家が滅び、わが子・安徳天皇も一門も失った建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)は、京の都を離れ、大原の山奥にある寂光院(じゃっこういん)で、ひっそりと出家して暮らしていました。その彼女のもとを、かつての義父にあたる後白河法皇(ごしらかわほうおう)が、ひそかに訪ねていく――それが「大原御幸(おおはらごこう)」です。「御幸」とは、上皇・法皇のお出かけのことです。

読みどころは、春から夏へと移りゆく自然の美しさと、その美しさと対照的な、荒れはてた庵(いおり)の寂しさです。かつて宮中で栄華をきわめた女院(にょいん)が、今は粗末な草庵で花を摘んで暮らしている――その落差が、平家の「盛者必衰(じょうしゃひっすい)」をしみじみと感じさせます。山から花籠(はなかご)を手にして下りてくる女院の姿は、『平家物語』全体の悲しみを一身に背負った、忘れがたい名場面です。

2. 原文

【後白河法皇、大原へ御幸】
かかりしほどに、法皇は、文治二年の春のころ、建礼門院の大原の閑居の御住居(おんすまひ)、御覧ぜまほしう思し召されけれども、如月・弥生のほどは、風烈しく、余寒もいまだ尽きず、峰の白雪消えやらで、谷の氷柱(つらら)もうち解けず。春過ぎ夏来たつて、北祭も過ぎしかば、法皇、夜を籠めて、大原の奥へ御幸なる。忍びの御幸なりけれども、供奉(ぐぶ)の人々には、徳大寺・花山院・土御門以下、公卿六人、殿上人八人、北面少々候ひけり。

【寂光院の荒れたさま】
比(ころ)は卯月二十日余りのことなれば、夏草の繁き(しげき)が末を分け入らせ給ふに、初めたる御幸なれば、御覧じ慣れたる方もなく、人跡(じんせき)絶えたるほども思し召しやられて哀れなり。西の山の麓に、一宇(いちう)の御堂あり。すなはち寂光院これなり。古う作りなせる泉水・木立、由(よし)ある様の所なり。「甍(いらか)破れては霧不断の香を焚き、枢(とぼそ)落ちては月常住の燈(ともしび)を掲ぐ」とも、かやうの所をや申すべき。

【庵室と「池水に」の歌】
法皇これを叡覧(えいらん)あつて、かうぞ遊ばされける。  池水に汀(みぎは)の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ 女院の御庵室(ごあんじつ)を御覧ずれば、軒には蔦(つた)・朝顔這ひかかり、忍(しのぶ)まじり忘れ草、瓢箪(へうたん)しばしば空し、草顔淵(がんゑん)の巷(ちまた)に滋(しげ)し、藜藋(れいてう)深く鎖(とざ)せり、雨原憲(げんけん)の枢を湿(うるほ)すとも言ひつべし。

【阿波内侍との対面】
法皇、「人やある、人やある。」と召されけれども、御答へ申す者もなし。ややあつて、老い衰へたる尼一人参りたり。「女院はいづくへ御幸なりぬるぞ。」と仰せければ、「この上の山へ花摘みに入らせ給ひて候ふ。」と申す。「さこそ世を厭(いと)ふ御習ひといひながら、さやうのことに仕へ奉るべき人もなきにや。御痛はしうこそ。」と仰せければ、この尼申しけるは、(中略)「故少納言入道信西(しんぜい)が娘、阿波内侍(あはのないし)と申す者にて候ふなり。」

【女院、山より下る】
さるほどに、上の山より、濃墨染(こずみぞめ)の衣着たる尼二人、岩の懸道(かけぢ)を伝ひつつ、下り煩(わづら)はせ給ひけり。法皇御覧あつて、「あれは何者ぞ。」と仰せければ、老尼涙を押さへて申しけるは、「花籠(はながたみ)肘(ひぢ)に懸け、岩躑躅(いはつつじ)うち添へて持たせ給ひたるは、女院にて渡らせ給ひ候ふなり。」と申すも敢へず泣きけり。法皇も哀れげに思し召して、御涙塞き敢へさせ給はず。

3. 現代語訳(やさしい言葉で)

【後白河法皇、大原へ御幸】
こうして月日が過ぎていくうちに、後白河法皇は、文治二年(一一八六年)の春のころ、建礼門院が大原で静かに暮らしておられるお住まいを、ぜひご覧になりたいとお思いになったが、二月・三月のころは風が激しく、寒さの名残もまだ残っていて、峰の白雪も消えきらず、谷のつららも解けないままであった。やがて春が過ぎ夏になって、北祭(賀茂祭)も終わったので、法皇は、まだ夜の明けないうちに、大原の奥へとお出かけになる。お忍びの御幸ではあったが、お供の人々として、徳大寺・花山院・土御門をはじめ、公卿が六人、殿上人が八人、北面の武士が少々お仕えしていた。

【寂光院の荒れたさま】
時は旧暦四月二十日過ぎのことなので、夏草が生い茂った末を分けてお入りになるが、初めての御幸なので、見慣れていらっしゃるわけでもなく、人の通った跡も絶えているほどのありさまも思いやられて、しみじみと哀れである。西の山の麓に、一棟(ひとむね)のお堂がある。それがすなわち寂光院である。古めかしく作ってある池や木立は、由緒ありげな趣の所である。「屋根の瓦は破れて、立ちこめる霧が絶え間なくたく香のようであり、扉は落ちて、差し込む月の光がいつも灯る灯火のようだ」とでも、こういう所のことを言うのであろう。

【庵室と「池水に」の歌】
法皇はこのありさまをご覧になって、このようにお詠みになった。  池の水ぎわの桜が散りしいて、波が花のように見える――その波の花こそ、今が盛りであることよ。 女院のお庵室をご覧になると、軒には蔦や朝顔が這いかかり、しのぶ草に忘れ草が交じっている。「瓢箪(ひさご)はたびたび空っぽで、顔淵(がんえん)の住む路地のように草が茂り、あかざが深く戸口を閉ざし、雨が原憲(げんけん)の戸口をぬらす」とでも言ってよいほどの、貧しくもの寂しいありさまである。

【阿波内侍との対面】
法皇が、「誰かいるか、誰かいるか。」とお呼びになったが、お返事申し上げる者もいない。しばらくして、年老いて衰えた尼が一人参上した。「女院はどこへお出かけになったのか。」とおっしゃると、「この上の山へ花を摘みにお入りになっております。」と申す。「そうは言っても、世を捨てたお暮らしとはいいながら、そのようなことにお仕え申し上げるはずの人もいないのか。おいたわしいことだ。」とおっしゃると、この尼が申すには、(中略)「亡き少納言入道信西の娘で、阿波内侍と申す者でございます。」

【女院、山より下る】
そうこうしているうちに、上の山から、濃い墨染めの衣を着た尼が二人、岩の険しい道を伝いながら、難儀して下りていらっしゃった。法皇がご覧になって、「あれは何者か。」とおっしゃると、老尼は涙をおさえて申し上げるには、「花籠を肘にかけ、岩つつじを添えてお持ちになっていらっしゃるのが、女院でいらっしゃいます。」と申すのもこらえきれず泣いた。法皇も哀れにお思いになって、お涙をおさえることがおできにならない。

4. 重要語句

  • 御幸(ごこう・ごかう)…上皇・法皇・女院などのお出かけ。天皇の場合は「行幸(ぎょうこう)」と区別する。
  • 閑居(かんきょ)…世間を離れて、静かにひっそりと暮らすこと。また、その住まい。
  • 供奉(ぐぶ)…貴人のお供をして付き従うこと。また、その人。
  • 忍び(しのび)…人目を避けてこっそりと行うこと。「忍びの御幸」で「お忍びのお出かけ」。
  • 北祭(きたまつり)…賀茂神社の祭り(賀茂祭・葵祭)。旧暦四月に行われた。京の南の祭に対して「北祭」という。
  • 卯月(うづき)…旧暦四月のこと。現在の暦ではほぼ五月にあたり、初夏。
  • 叡覧(えいらん)…天皇・上皇・法皇がご覧になること。「御覧になる」の最高の尊敬表現。
  • 庵室(あんじつ・ごあんじつ)…僧や尼が住む、小さく質素な家。いおり。
  • 世を厭ふ(よをいとふ)…俗世間をいやだと思って捨てる。出家すること。
  • 墨染(すみぞめ)…墨で染めた黒っぽい衣。僧や尼が着る、出家者の衣。「濃墨染」はとくに濃い色。
  • 塞き敢へず(せきあへず)…(涙などを)おさえきれない。こらえることができない。
  • 敢へず(あへず)…〜しきれない。最後まで〜することができない。

5. 文法・読解のポイント

  • 敬語の方向(後白河法皇への最高敬語)…「思し召す」「御覧ず」「叡覧」「仰せ」「遊ばす」などは、すべて後白河法皇の動作に対する尊敬語。語り手が、最高位の人物である法皇を高めている。誰の動作に敬語がついているかを見れば、その文の主語が分かる。
  • 二重敬語(最高敬語)…「入らせ給ふ」「下り煩はせ給ふ」「渡らせ給ふ」のように、尊敬の助動詞「す・さす・しむ」+尊敬の補助動詞「給ふ」を重ねた形。法皇・女院など、とくに高貴な人物に対して用いられる。
  • 助動詞「まほし」(願望)…「御覧ぜまほしう思し召され」の「まほし」は希望・願望を表す助動詞で、「〜たい」の意。ここは「ご覧になりたいとお思いになる」。
  • 助動詞「けり」と過去・詠嘆…地の文の「候ひけり」「泣きけり」の「けり」は過去(〜た)。一方、和歌「池水に…盛りなりけれ」の「けれ」は詠嘆(〜だなあ)で、感動を表す。同じ「けり」でも文脈で意味が変わる。
  • 対句・漢文の引用(和漢混淆文)…「甍破れては霧不断の香を焚き、枢落ちては月常住の燈を掲ぐ」や「瓢箪しばしば空し…雨原憲の枢を湿す」は、漢詩文(和漢朗詠集にも引かれる顔淵・原憲の故事)に由来する対句表現。『平家物語』が和文と漢文の調子を混ぜた「和漢混淆文(わかんこんこうぶん)」であることを示す。
  • 和歌の掛詞・縁語…「池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ」では、散った桜が水面に浮かぶさまを「波の花」と見立てる。「池水」「汀」「波」「花(桜)」が縁語的に響き合い、散る桜に滅びゆく平家の世を重ねている。

6. 主題・あらすじ・背景

あらすじ:壇ノ浦で平家が滅び、わが子・安徳天皇も一門も失った建礼門院徳子は、出家して大原の寂光院でひっそりと暮らしていた。文治二年(一一八六年)の春、後白河法皇は、その女院の住まいをご覧になりたいと思い立つが、寒さが残るうちは控え、春が過ぎ夏になって賀茂祭も終わったころ、夜明け前にお忍びで大原へと御幸する。お供には公卿・殿上人・北面の武士が少々従った。卯月(旧暦四月)二十日過ぎ、夏草を分けて山奥に入ると、西の山の麓に寂光院があった。荒れて古びた庵のさまは「甍破れては霧香を焚き…」と漢詩文を引いて描かれ、池の水ぎわには散った桜が浮かぶ。法皇は「池水に汀の桜散りしきて…」と歌を詠む。女院の庵室は蔦や朝顔が這いかかり、貧しくもの寂しい。法皇が「人やある」と呼ぶと、年老いた尼が現れ、自分が信西の娘・阿波内侍であると名のる。やがて山の上から、濃い墨染めの衣を着た尼が二人、岩道を難儀して下りてくる。花籠を肘にかけ岩つつじを添えて持つのが女院その人だと聞いて、法皇は涙をおさえられない。かつて宮中で栄華をきわめた女院が、今は花を摘んで暮らす姿に、平家の盛衰の悲しみが凝縮される。

主題栄華をきわめた女院の今のわびしい姿を通して描かれる、平家の「盛者必衰」のあわれ。春から夏へ移りゆく自然の美しさと、荒れはてた草庵の寂しさを対比させ、無常観と仏教的な救いへの志向を浮かび上がらせる。後白河法皇と建礼門院の、涙にくれる再会の哀切。

背景:『平家物語』は、平家一門の栄華と滅亡を描いた軍記物語で、鎌倉時代に成立し、琵琶法師の語り(平曲)によって広く伝えられた。冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」に示されるように、全編を仏教的な無常観が貫いている。「灌頂巻」は、その最終巻として、生き残った建礼門院徳子の後日談をまとめたもので、「女院出家」「大原入」「大原御幸」「六道之沙汰(ろくどうのさた)」「女院死去」の段からなる。建礼門院は、高倉天皇の中宮で安徳天皇の母。壇ノ浦の戦い(一一八五年)で一門が滅び、安徳天皇は入水したが、女院は助けられて京に戻り、出家して大原に隠棲した。「大原御幸」に続く「六道之沙汰」では、法皇に問われた女院が、自らの人生を仏教の「六道」になぞらえて語る。文治二年(一一八六年)は、源平の争乱が終わって間もないころで、まさに王朝から武家へと時代が移りゆく転換期にあたる。

確認クイズ(3問)

「御幸(ごこう)」とは、誰のお出かけのことか。また、この場面で大原へ御幸したのは誰か。

「御幸」は上皇・法皇・女院などのお出かけのこと(天皇の場合は「行幸」)。この場面で大原へ御幸したのは後白河法皇である。

後白河法皇が大原の寂光院を訪ねたのは、誰に会うためか。その人物の説明とともに答えよ。

建礼門院徳子に会うため。建礼門院は高倉天皇の中宮・安徳天皇の母で、壇ノ浦で平家一門を失ったあと出家し、大原の寂光院でひっそりと暮らしていた。

「池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ」の歌で、「波の花」とは何をたとえた表現か。

池の水面に散り浮かんだ桜の花びらが、波のように見えるさまをたとえたもの。盛りを過ぎて散る桜に、滅びゆく平家の世が重ねられている。

7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方

  • 「御幸」を「行幸」と混同しやすい。上皇・法皇・女院は「御幸(ごこう)」、天皇は「行幸(ぎょうこう)」と読み分ける点が問われる。
  • 敬語が誰の動作に付いているかを問う設問が頻出。「思し召す」「御覧ず」「仰せ」などが後白河法皇への尊敬、「渡らせ給ふ」などが女院への最高敬語であることを押さえる。
  • 「卯月二十日余り」が旧暦四月=初夏であること、「北祭(賀茂祭)」が季節を示すことを問われる。現在の暦の感覚とずれる点に注意。
  • 荒れた庵を描く「甍破れては霧不断の香を焚き…」などの漢文調の対句が、和漢混淆文の例として問われやすい。現代語訳でも比喩の意味を正確にとる必要がある。
  • 和歌「池水に…」の「波の花」が掛詞・見立てであること、散る桜が平家の滅びを暗示することを、主題と結びつけて説明させる問題が出る。

8. まとめ

・『平家物語』灌頂巻「大原御幸」は、後白河法皇が大原の寂光院に建礼門院徳子を訪ねる場面。「御幸」は法皇のお出かけのこと。

・春から夏へ移る自然の美しさと、荒れはてた草庵の寂しさを対比させ、平家の「盛者必衰」と無常観を描く。

・かつて栄華をきわめた女院が、今は花を摘んで暮らす姿に、物語全体の悲しみが凝縮されている。

・敬語(法皇・女院への最高敬語)、和漢混淆文の対句、和歌の見立て(波の花=散る桜)が読解・文法上の要点。

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