1. はじめに
『宇治拾遺物語』巻一の三「鬼に瘤取らるること」は、いわゆる「こぶとりじいさん」の元になった説話です。顔に大きな瘤のあるおじいさんが、雨宿りした山中で鬼たちの宴会に出くわし、思いきって踊り出すと鬼に大いに気に入られ、「また来い」という約束の証拠(質)として、じゃまだった瘤をもぎ取ってもらいます。一方、それをうらやんだ隣のおじいさんが同じことをまねしますが、下手な踊りをしてしまい、返された瘤を反対の頬につけられて、両頬に瘤のある姿になってしまいます。
短くてテンポがよく、鬼の不思議な様子や、おじいさんが思いきって踊り出す場面、最後のオチまで、笑いと教訓が詰まった話です。結びの「物羨みはすまじきことなりとか(人をうらやんではいけないということだ)」という一文に、この説話の主題がはっきり示されています。読みどころは、会話文に出てくる丁寧な敬語(鬼に対するおじいさんの言葉づかい)と、対比の構成です。
2. 原文
【発端(山中で鬼に出会う)】
これも昔、右の顔に大きなる瘤ある翁ありけり。大柑子の程なり。人に交じるに及ばねば、薪をとりて世を過ぐる程に、山の中に心にもあらずとまりぬ。また木こりもなかりけり。恐ろしさすべき方なし。木のうつほのありけるにはひ入りて、目も合はず屈まりゐたる程に、遥かより人の音多くして、とどめき来る音す。少しいき出づる心地して見出しければ、やうやうさまざまなる者ども、赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物を褌にかき、目一つある者あり、口なき者など、いかにもいふべきにあらぬ者ども百人ばかりひしめき集まりて、火を天の目のごとくにともして、我がゐたるうつほ木の前にゐまはりぬ。
【展開(翁が舞い、鬼に気に入られる)】
横座にゐたる鬼のいふやう、「今宵の御遊びこそいつにもすぐれたれ。ただし、さも珍しからん奏でを見ばや」などいふに、この翁、「あはれ、走り出でて舞はばや」と思ふを、一度は思ひ返しつ。「さもあれ、ただ走り出でて舞ひてん、死なばさてありなん」と思ひとりて、横座の鬼のゐたる前に踊り出でたり。翁、伸びあがり屈まりて、舞ふべき限り、すぢりもぢり、ゑい声を出して一庭を走りまはり舞ふ。横座の鬼の曰く、「多くの年比この遊びをしつれども、いまだかかる者にこそあはざりつれ。今よりこの翁、かやうの御遊びに必ず参れ」といふ。
【山場(質として瘤を取られる)】
奥の座の三番にゐたる鬼、「この翁はかくは申し候へども、参らぬ事も候はんずらんと覚え候ふに、質をや取らるべく候ふらん」といふ。横座の鬼のいふやう、「かの翁が面にある瘤をや取るべき。瘤は福の物なれば、それをや惜しみ思ふらん」といふに、翁がいふやう、「ただ目鼻をば召すとも、この瘤は許し給ひ候はん」といへば、横座の鬼、「かう惜しみ申すものなり。ただそれを取るべし」といへば、鬼寄りて、「さは取るぞ」とてねぢて引くに、大方痛き事なし。翁、顔を探るに、年比ありし瘤跡なく、かいのごひたるやうにつやつやなかりければ、木こらん事も忘れて家に帰りぬ。
【結末(隣の翁の失敗と教訓)】
隣にある翁、左の顔に大きなる瘤ありけるが、この翁、瘤の失せたるを見て、「我その定にして取らん」とて、事の次第をこまかに問ひければ、教へつ。この翁いふままにして、その木のうつほに入りて待ちければ、鬼ども出で来たり。横座の鬼、「この度はわろく舞うたり。かへすがへすわろし。その取りたりし質の瘤返し賜べ」といひければ、末つ方より鬼出で来て、「質の瘤返し賜ぶぞ」とて、今片方の顔に投げつけたりければ、うらうへに瘤つきたる翁にこそなりたりけれ。物羨みはすまじきことなりとか。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【発端(山中で鬼に出会う)】
これも昔のこと、右の顔に大きな瘤のあるおじいさんがいた。大きなみかんほどの大きさである。(人前に出にくくて)人に交じることもできないので、薪を取って暮らしているうちに、山の中で思いがけず(雨風のために)泊まることになった。ほかに木こりもいない。恐ろしくてどうしようもない。木のうろ(空洞)があったのにはい入って、目も合わさず(眠れず)うずくまっていると、遠くからおおぜいの人の声がして、ざわざわと近づいてくる音がする。少し生き返る心地がして外をのぞくと、だんだんとさまざまな姿の者たちが、赤い顔の者には青い物を着せ、黒い顔の者には赤い物をふんどしにし、目が一つの者や、口のない者など、何とも言いようのない者ども百人ほどがひしめき集まって、火を天にある(無数の)目のようにともして、自分のいるうろの木の前に車座になって座った。
【展開(翁が舞い、鬼に気に入られる)】
上座にいる鬼が言うことには、「今夜の宴はいつにもまして素晴らしい。ただ、何か珍しい芸が見たいものだ」などと言うので、このおじいさんは、「ああ、走り出て舞いたいものだ」と思ったが、一度は思いとどまった。(しかし)「ええい、ままよ。ただ走り出て舞ってしまおう。死ぬならそれまでだ」と心を決めて、上座の鬼のいる前に踊り出た。おじいさんは、伸び上がりかがみこんで、舞えるかぎりを尽くし、体をねじりもじり、かけ声を出して庭じゅうを走り回って舞う。上座の鬼が言うことには、「長年この宴をしてきたが、まだこんな(おもしろい)者には会わなかった。今後このおじいさんは、こういう宴に必ず参れ」と言う。
【山場(質として瘤を取られる)】
奥の座の三番目にいる鬼が、「このおじいさんはこう(参ると)申してはいますが、参らないこともございましょうと思われますので、質(=約束の証拠の品)をお取りになるのがよいでしょう」と言う。上座の鬼が言うことには、「あのおじいさんの顔にある瘤を取ったらよかろう。瘤は福を呼ぶ縁起物だから、それを惜しく思うだろう」と言うので、おじいさんが言うことには、「たとえ目鼻はお取りになっても、この瘤だけはお許しください」と言うと、上座の鬼は、「こんなに惜しがるのだから(よほど大事なのだろう)。さあそれを取れ」と言うので、鬼が寄ってきて、「それでは取るぞ」と言ってねじって引くと、まったく痛いことはない。おじいさんが顔をさわってみると、長年あった瘤が跡形もなく、ぬぐい取ったようにつるつるしていなくなっていたので、木を切ることも忘れて家に帰った。
【結末(隣の翁の失敗と教訓)】
隣のおじいさんで、左の顔に大きな瘤があった者が、このおじいさんの瘤が消えたのを見て、「私もそのやり方で取ってもらおう」と言って、ことのしだいを細かく尋ねたので、(おじいさんは)教えてやった。このおじいさんは言われたとおりにして、あの木のうろに入って待っていると、鬼たちがやって来た。上座の鬼が、「今回は下手に舞った。返す返すもひどい。あの取っておいた質の瘤を返してやれ」と言ったので、末席のほうから鬼が出てきて、「質の瘤を返すぞ」と言って、もう片方の(瘤のない)頬に投げつけたので、(このおじいさんは)裏も表も(両方の頬に)瘤がついたおじいさんになってしまった。人をうらやんではいけないということだ。
4. 重要語句
- 翁(おきな)…おじいさん。年老いた男性。対義語は「姥(うば)=おばあさん」。
- 大柑子(おほかうじ)…大きなみかんの一種。瘤の大きさのたとえに使われている。
- うつほ…(木の)うろ。空洞。「うつほ木」で中が空洞になった木。
- 横座(よこざ)…正面の上座。主人・親分が座る席。ここでは鬼の親分が座る席。
- 御遊び(おんあそび)…宴会・管絃や舞などの催し。ここでは鬼たちの宴。
- すぢりもぢり…体をねじったりよじったりして。舞い踊るようすを表す擬態的な言葉。
- 納めの手(をさめのて)…舞の最後をしめくくる所作・手ぶり。「フィナーレの振り付け」のこと。原文では最初の翁が再訪を約束する場面で『納めの手も忘れ候ひにたり』と用いる。
- 質(しち)…約束を守る保証として預ける品。担保。ここでは「必ず来る」証拠に瘤を取る。
- 福の物(ふくのもの)…幸福をもたらす縁起のよい物。鬼は瘤をそう思い込んでいる。
- 年比(としごろ)…長年。何年もの間。「年来」とも書く。
- かいのごふ…ぬぐい取る。「かい」は接頭語、「のごふ」はぬぐう意。「かいのごひたるやう」でぬぐい取ったように。
- 物羨み(ものうらやみ)…他人をうらやむこと。ねたみ。結びの教訓の中心となる語。
5. 文法・読解のポイント
- 鬼に対する丁寧語「候ふ(さぶらふ)」…おじいさんや鬼の会話文に「参り候ふべし」「許し給ひ候はん」「覚え候ふ」など丁寧語『候ふ』が多用される。聞き手(相手の鬼)への丁寧の意で、おじいさんが鬼を恐れてへりくだり、ていねいに話していることを示す。敬語の種類(丁寧語)と、誰から誰への敬意かが問われやすい。
- 尊敬語「給ふ」「召す」の方向…「許し給ひ候はん」の『給ふ』、「目鼻をば召すとも」の『召す』はいずれも尊敬語。おじいさんが鬼を敬って使っている(=話し手から鬼への敬意)。『召す』は「お取りになる・召し上がる」など多義なので文脈判断が必要。
- 願望の終助詞「ばや」…「走り出でて舞はばや」「珍しからん奏でを見ばや」の『ばや』は、自分の願望(〜したい)を表す終助詞。未然形に接続する点もおさえる。おじいさんの「舞いたい」という気持ちが読み取れる重要表現。
- 強意(確述)の助動詞「つ」「ぬ」+推量…「舞ひてん(=舞ひ+て+ん)」「死なばさてありなん」の『てん・なん』は、強意の『つ・ぬ』+推量の『む(ん)』で「きっと〜だろう・〜してしまおう」の意。おじいさんが覚悟を決める場面の力強さを支える。
- 係り結び…「いまだかかる者にこそあはざりつれ」は係助詞『こそ』→已然形『つれ』で結ぶ係り結び。「うらうへに瘤つきたる翁にこそなりたりけれ」も『こそ』→『けれ』。強調を表し、結びの活用形が問われる。
- 過去・完了の助動詞「けり」「ぬ」「つ」…「翁ありけり」「家に帰りぬ」「思ひ返しつ」など。『けり』は気づき・伝聞的な過去(説話の語り出し)、『ぬ・つ』は完了。説話の文末に多い『〜けり』の語り口に注目。
- 結びの一文「〜とか」…最後の「物羨みはすまじきことなりとか」の『とか』は、引用+伝聞・ぼかしの言い方で「〜ということだ・〜とかいうことだ」。語り手が教訓をやわらかく言い添える、説話特有の結び方。『すまじ』は打消推量・禁止の助動詞『まじ』で「〜してはいけない」。
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:右の頬に大きな瘤のあるおじいさんが、山で雨風に降りこめられ、木のうろに隠れて一夜を過ごす。そこへ百人ほどの異形の鬼たちが集まって酒宴を始める。鬼の親分(横座の鬼)が「珍しい芸が見たい」と言うのを聞いたおじいさんは、思いきって鬼の前に踊り出て、夢中で舞う。これが鬼たちに大いに気に入られ、「また必ず来い」と言われる。鬼たちは、おじいさんが必ず来る保証(質)として、福を呼ぶ縁起物だと思い込んでいた頬の瘤を、ねじり取ってしまう。痛みもなく瘤の消えたおじいさんは喜んで家に帰る。これを見た隣の、左の頬に瘤のあるおじいさんが、自分も取ってもらおうとまねをして鬼の宴に出るが、踊りが下手で鬼の機嫌をそこね、「下手だから質を返せ」と、前のおじいさんから取った瘤を反対の頬に投げつけられて、両頬に瘤のある姿になってしまう。話は「人をうらやんではいけないということだ」と結ばれる。
主題:他人をうらやんで、よく考えずにまねをすると、かえって損をするということ。最初のおじいさんは無心に・思いきって行動したから得をし、隣のおじいさんは欲とうらやみから形だけまねたために失敗する。この対比を通じて、結びの一文「物羨みはすまじきことなりとか(人をうらやんではいけない)」という教訓を読者に示すのが主題である。鬼が瘤を「福の物」と勘違いしているおかしみ、最後のオチの軽妙さも、教訓を堅苦しくせず楽しく伝えている。
背景:『宇治拾遺物語』は鎌倉時代前期(十三世紀前半)に成立したと推定される説話集で、編者は未詳。全15巻、約197話を収め、仏教説話と世俗説話の両方を、やさしいひらがな中心の和文でつづっている。インド(天竺)・中国(唐)・日本の話が混じり、尊い話・こっけいな話・恐ろしい話・あわれな話など、内容はきわめて多彩である。多くの話が「これも昔」「今は昔」で始まるのが特徴。この「鬼に瘤取らるること」は世俗説話のうちの笑話・昔話にあたり、いわゆる「こぶとりじいさん」の最も古い記録の一つとして知られる。アイルランドの「ノックグラフトンの伝説」など、世界各地に似た筋の民話があることでも有名な作品である。
確認クイズ(3問)
最初のおじいさんは、なぜ鬼に瘤を取られることになったのですか。
鬼の前で思いきって舞を舞い、大いに気に入られて「また必ず来い」と言われ、その約束の保証(質)として、鬼が福の物だと思い込んでいた瘤を取られたからです。
鬼たちは瘤をどのような物だと思っていましたか。原文の言葉を使って答えなさい。
「福の物」(=幸福をもたらす縁起のよい物)だと思っていました。だから取り上げれば、おじいさんが惜しがって必ず取り返しに来るだろうと考えたのです。
隣のおじいさんはどうなりましたか。また、この話の結びの教訓を答えなさい。
隣のおじいさんは舞が下手で鬼の機嫌をそこね、前のおじいさんから取った瘤を反対の頬に投げつけられて、両頬に瘤のある姿になってしまいました。教訓は「物羨みはすまじきことなりとか(人をうらやんではいけない)」です。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 会話文の『候ふ』『給ふ』『召す』など敬語の種類と、誰から誰への敬意かを問う問題が頻出。基本はおじいさんから鬼への敬意(恐れ・へりくだり)と整理する。
- 『質(しち)』を「質問」や「品質」と取り違えやすい。ここでは『約束を守る保証として取る品(担保)』の意味。なぜ瘤を質に取ったのか、理由を説明させる記述問題が出やすい。
- 『すぢりもぢり』『納めの手』など、舞に関する古語の意味が問われる。動作・所作を表す語として現代語訳できるようにしておく。
- 最初のおじいさんが得をし、隣のおじいさんが失敗した『理由の違い』を説明させる問題が定番。無心・思いきり vs 欲・形だけのまね、という対比でとらえる。
- 結びの『物羨みはすまじきことなりとか』の口語訳と、『まじ』『とか』の文法説明、そしてこの一文が示す主題(教訓)を答えさせる問題が頻出。
8. まとめ
・『宇治拾遺物語』巻一の三。いわゆる『こぶとりじいさん』の最も古い説話の一つで、鎌倉前期成立。
・右頬に瘤のあるおじいさんが鬼の宴で思いきって舞い、気に入られて約束の質として瘤を取ってもらう。
・それをうらやんだ隣の左頬に瘤のあるおじいさんは、下手にまねをして、瘤を反対の頬につけられ両頬に瘤がついてしまう。
・主題は結びの一文『物羨みはすまじきことなりとか』=人をうらやんではいけない、という教訓。敬語(候ふ・給ふ・召す)と対比の構成が読解・出題の中心。
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