この記事でわかること
『建礼門院右京大夫集(けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう)』は、ひとことで言うと、平家の滅亡を「恋人を失った一人の女性の側」から見つめた、悲しくも美しい歌の集まりです。
『平家物語』が武士たちの戦いと滅びを大きな筆でえがいた物語だとすれば、こちらはその「裏側」を生きた女性の心の記録。教科書ではあまり取り上げられませんが、平家を学ぶうえで知っておくと、あの時代の悲しみがぐっと身近に感じられます。
この記事では、次のことをやさしく整理します。
- 作者はどんな人で、いつごろできた作品なのか
- どんな内容が、どんな順で書かれているのか(華やかな宮廷 → 平資盛との恋 → 一門の滅亡 → 残された人の追慕)
- 有名な「星の歌」と、恋人をいたむ歌を、原文+現代語訳で味わう
- テストではどこが問われやすいか
むずかしい言葉はそのつど噛みくだいて説明します。古文が苦手な人でも大丈夫。安心して読み進めてください。
1.作者と時代――建礼門院に仕えた女房の家集
作者は「建礼門院右京大夫」
作者の建礼門院右京大夫は、平安時代の終わりごろに生きた女性です。「建礼門院右京大夫」というのは本名ではなく、仕えた主人の名+宮中での呼び名(職名)を合わせた呼び方です。
少していねいに分けてみましょう。
- 建礼門院(けんれいもんいん)……高倉天皇のきさき(中宮)で、平清盛の娘である徳子(とくこ/とくし)のこと。「建礼門院」は、後に与えられた呼び名です。
- 右京大夫(うきょうのだいぶ)……作者本人の、宮中での呼び名。「○○大夫」は役職に由来する女房(宮中に仕える女性)の呼称です。
つまり「建礼門院に仕えていた、右京大夫と呼ばれた女房」という意味の名前なのです。彼女は十代のころに建礼門院(徳子)のもとに出仕し、平家がもっとも華やかだった時代の宮廷を、すぐそばで見ていた人でした。
「家集」とは――一人の人の歌を集めた歌集
この作品は家集(かしゅう)と呼ばれる種類のものです。家集とは、一人の歌人が自分の作った和歌を集めた、いわば「個人の歌集」のこと。天皇の命令でつくられる『古今和歌集』のような立派な歌集(勅撰和歌集)に対して、私的に編まれるので私家集(しかしゅう)とも言います。
ただし、この作品がふつうの家集と少しちがうのは、歌の前に置かれた説明文(詞書)がとても長く、日記のように物語っているところです。
「詞書」が長く、日記のように読める
和歌の前には、ふつう「いつ・どこで・どんな気持ちで詠んだか」を短く記した文章が添えられます。これを詞書(ことばがき)と言います。
この作品では、その詞書が長く豊かに書かれているため、歌と歌のあいだの出来事や心の動きが、まるで日記や物語のようにつながって読めます。そのため『建礼門院右京大夫集』は、家集でありながら日記文学のようにも読める作品として親しまれています。
いつごろできたのか
成立したのは、鎌倉時代の初め(貞永元年・一二三二年ごろとされます)。作者が長い年月をへて、若き日の宮廷の思い出や悲しい別れをふり返り、自分の歌をまとめたものです。全体で約三百六十首ほどの歌が収められています。
※作者の生没年など、確実なことが分かっていない部分も多くあります。この記事では、はっきりしていることだけをお伝えします。
2.内容の流れ――華やぎから、滅びと追慕へ
この作品は、大きく見ると前半の「明るく華やかな宮廷時代」と、後半の「平家滅亡とその後の悲しみ」の二つに分かれます。順に見ていきましょう。
(1) 宮廷での華やぎ
前半では、作者が建礼門院に仕えていたころの、はなやかな宮廷の日々がえがかれます。美しい衣装、季節の行事、貴公子たちとの歌のやりとり――平家の一族がもっとも栄えていた時代の、きらびやかな空気が伝わってきます。
このころの作者は、まだ世の中の悲しみを深くは知らない、若く感じやすい女性でした。
(2) 平資盛との恋
そんな宮廷で、作者は平資盛(たいらのすけもり)という貴公子と心を通わせます。資盛は平重盛(しげもり)の子で、平清盛の孫にあたる人物です。仕える主人・建礼門院(徳子)から見れば甥にあたる、平家一門の中心に近い若い貴公子でした。
二人の恋は、身分や立場の違い、そして時代のうねりの中で、けっして平らかなものではありませんでした。会えない時間や、すれ違う心も多くえがかれます。それでも、この恋はこの作品全体を貫くいちばん大切な軸になっています。
(3) 一門の都落ちと壇ノ浦
やがて時代は大きく動きます。源氏が勢力を強め、寿永二年(一一八三年)、平家一門はついに都を捨てて西へと逃げていきます。これを都落ち(みやこおち)と言います。資盛もまた、一門とともに都を離れていきました。
このとき、作者は愛する人を見送ることになります。「もう二度と会えないかもしれない」という予感の中での別れ――その心細さと悲しみが、後半の大きな出発点になります。
そして元暦二年(一一八五年)、平家は壇ノ浦(だんのうら)の戦いに敗れ、ついに滅亡します。資盛も、この海で命を落としました。作者がその死をはっきりと知ったのは、戦いののち、年が改まった翌年の春のことでした。
(4) 残された者の追慕
後半の中心は、恋人を失ったあとの、長い悲しみと追慕(ついぼ=亡き人をしのび、慕うこと)です。
作者は、亡き資盛の命日に供養(くよう=亡き人のために祈ること)をし、思い出の場所をたずね、月や星をながめては涙します。華やかだった宮廷も、愛した人も、もうこの世にはいない――その「失われたものへの深い思い」が、しずかに、しかし強く流れていきます。
この「滅びを内側から、しかも愛する人を失った女性の側から見つめる」という視点こそが、この作品を特別なものにしています。
3.名歌の鑑賞――星と、追慕の歌
ここでは、この作品でとくに有名な二首を、原文+現代語訳+表現の解説で味わってみましょう。和歌は声に出して読むと、リズムの美しさがよくわかります。
(1) 星空をうたう歌
古典の和歌で「空」といえば、ふつう主役は月です。星を正面からうたった歌はとても珍しく、その点でもこの一首はよく知られています。冬のある夜、空いっぱいにかがやく星を見上げた作者は、長い詞書のあとに、こんな歌を残しました。
| 原文 | 現代語訳 |
|---|---|
| 月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる |
これまで私は、月ばかりをながめなれてきた。けれど、星のかがやくこの夜の、しみじみと胸にせまる深い趣(おもむき)を、今夜はじめて知ったことだ。 |
表現のポイント
- 「月をこそ……ながめなれしか」……「こそ」は強める働きをもつ言葉(係助詞)で、文の途中を已然形(いぜんけい)で結ぶ係り結びになっています。「しか」は過去をあらわす「き」の已然形です。ここでは「月こそながめなれしか(=月をこそ見なれてきたのに)」と、「月とちがって星は……」という対比を強く打ち出しています。
- 「あはれ」……古文で最重要級の言葉。「かわいそう」ではなく、しみじみと心の底から感じ入る気持ちを表します。ここでは、星空の美しさに胸を打たれた深い感動です。
- この歌の前の詞書では、冬の夜空がさえわたり、その色を浅葱色(あさぎいろ=うすい藍色)の紙にたとえ、ちりばめられた星をその紙に箔(はく=うすい金属の薄片)をうち散らしたようと、たいへん美しく表現しています。歌だけでなく、その前の文章とあわせて味わうのがこの作品の魅力です。
(2) 資盛をいたむ歌
次は、資盛の死を知ったときの、悲しみの歌です。あまりに大きな悲しみを前にして、人はかえって言葉を失うもの――そのことをうたった一首です。
| 原文 | 現代語訳 |
|---|---|
| なべて世の はかなきことを 悲しとは かかる夢見ぬ 人や言ひけむ |
世の中の、人の死というはかないことを、ただ「悲しい」と口にするのは、こんな(あまりにつらい)夢のような出来事を経験していない人が言ったのだろう。(私のこの悲しみは、「悲しい」という一言ではとても言いあらわせない。) |
表現のポイント
- 「なべて世の」……「なべて」は「おしなべて・一般に・ありふれた」という意味。ここでは「世間でよくある、ふつうの」という気持ちをこめています。
- 「はかなし」……「もろくて、たよりない・むなしい」という意味の重要古語。ここでは人の命の、あっけなく消えてしまうはかなさを指します。
- 「かかる夢見ぬ人や言ひけむ」……「かかる」は「このような」。「や……けむ」は疑問・推量を表し、「(こんなつらい思いをしたことのない人が)言ったのだろうか」という意味になります。自分の悲しみは『悲しい』の一語にはとうてい収まらない、という痛切な思いが、この遠回しな言い方ににじんでいます。
星の美しさに心を震わせた同じ人が、のちにこれほど深い悲しみを歌にする――喜びと悲しみの落差そのものが、この作品の物語になっているのです。
4.テストで問われるポイント
『建礼門院右京大夫集』そのものが定期テストの本文に出ることはそれほど多くありませんが、平家関連の学習や文学史の知識として問われることがあります。次の三つをおさえておきましょう。
(1) ジャンル=「家集(私家集)」
もっとも問われやすいのがジャンルです。「日記文学のようだ」と感じても、分類のうえでは「家集(私家集)」であることを覚えておきましょう。「一人の歌人が自分の和歌を集めたもの」という点が決め手です。
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 家集(私家集) | 一人の歌人が、自分の和歌を集めた個人の歌集 |
| 勅撰和歌集 | 天皇の命令でつくられる公的な和歌集(例:古今和歌集) |
(2) 「詞書」の役割
詞書(ことばがき)とは何かも、よく問われます。「和歌の前に置かれた、その歌の事情を説明する文章」と答えられるようにしておきましょう。この作品では詞書が長く、歌と歌をつなぎ、物語のように読ませる働きをしている点がポイントです。
(3) 『平家物語』との関係
『平家物語』とのちがいを問う問題も考えられます。整理すると、次のようになります。
| 平家物語 | 建礼門院右京大夫集 | |
|---|---|---|
| ジャンル | 軍記物語 | 家集(私家集) |
| えがくもの | 平家一門の栄えと滅び(戦いが中心) | 一人の女性の恋と、その後の追慕 |
| 視点 | 武士たちの世界を外から大きく | 滅びを「内側・残された者の側」から |
| 主題 | 無常(盛者必衰) | 失われた恋と人への、深い追慕 |
同じ平家の滅亡という出来事を、「戦いの物語」として見るか、「愛する人を失った悲しみ」として見るか――この二つを並べて読むと、あの時代の悲しみが立体的に見えてきます。
あわせて覚えたい人物関係
- 建礼門院=徳子……平清盛の娘で、高倉天皇のきさき。作者が仕えた主人。
- 平資盛……平重盛の子、平清盛の孫(徳子の甥)。作者の恋人で、壇ノ浦で亡くなる。
- 作者(右京大夫)……建礼門院に仕えた女房。残された者として、長く資盛をしのぶ。
まとめ
最後に、この記事の要点をふり返りましょう。
- 『建礼門院右京大夫集』は、平家の滅亡を「恋人を失った女性の側」から見つめた家集(私家集)。
- 作者は建礼門院(徳子)に仕えた女房で、成立は鎌倉時代の初め(一二三二年ごろ)。長い詞書のおかげで、日記や物語のように読める。
- 内容は、華やかな宮廷 → 平資盛との恋 → 都落ちと壇ノ浦での滅亡 → 残された者の追慕という流れ。
- 有名な星の歌「月をこそながめなれしか…」は、月ではなく星の美しさをうたった珍しい一首。
- テストではジャンル(家集)・詞書の役割・『平家物語』との関係がねらわれやすい。
『平家物語』の名場面で「滅びの大きな物語」を学んだあとに、この作品で「その裏側を生きた一人の心」にふれてみてください。きっと、あの時代がぐっと身近に、そしてやさしく感じられるはずです。
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