1. はじめに ― 「木曽の最期」ってどんな場面?
「木曽の最期」は、軍記物語『平家物語』の中でも屈指の名場面です。源平の争乱でいったんは都を手にした武将・木曽義仲(きそよしなか)が、味方を失い、ただ二騎になってもそばを離れない家来がいました。乳母子(めのとご=乳母の子で、兄弟同然に育った間柄)の今井四郎兼平(いまいのしろうかねひら)です。
この場面では、二人の固い主従の絆と壮絶な最期が描かれます。定期テストでは、「のたまふ」と「申す」の敬語の使い分け、動作の主語が義仲か兼平か、そして係り結びがくり返し問われます。

2. 原文
【一】主従二騎となった義仲と兼平
今井四郎、木曽殿、ただ主従二騎になつて、のたまひけるは、「日ごろは何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや。」今井四郎申しけるは、「御身もいまだ疲れさせたまはず。御馬も弱り候はず。何によつてか、一領の御着背長(おんきせなが)を重うはおぼしめし候ふべき。それは御方(みかた)に御勢(おんせい)が候はねば、臆病でこそさはおぼしめし候へ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎とおぼしめせ。矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢仕らん。あれに見え候ふ、粟津(あはづ)の松原と申す。あの松の中で御自害候へ。」とて、打つて行くほどに……
【二】義仲、粟津の松原に深入りして討たる
木曽殿はただ一騎、粟津の松原へ駆けたまふが、正月二十一日、入相(いりあひ)ばかりのことなるに、薄氷(うすごほり)は張つたりけり、深田(ふかた)ありとも知らずして、馬をざつと打ち入れたれば、馬の頭(かしら)も見えざりけり。あふれどもあふれども、打てども打てども働かず。今井が行方(ゆくへ)のおぼつかなさに、振り仰ぎたまへる内甲(うちかぶと)を、三浦の石田次郎為久(いしだのじろうためひさ)、よつ引いてひやうふつと射る。痛手なれば、真つ向(まつかう)を馬の頭に当ててうつぶしたまへるところに、石田が郎等(らうどう)二人落ち合うて、ついに木曽殿の首をば取つてんげり。
【三】兼平、主君の死を聞いて壮絶な自害を遂げる
今井四郎、いくさしけるが、これを聞き、「今は誰をかばはんとてか、いくさをもすべき。これを見たまへ、東国(とうごく)の殿ばら、日本一(につぽんいち)の剛(かう)の者の自害する手本。」とて、太刀の先を口に含み、馬よりさかさまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【一】の訳
今井四郎と木曽殿は、とうとう主従二騎だけになって、(義仲が)おっしゃったことには、「ふだんは何とも感じない鎧が、今日は重くなったことよ。」
今井四郎が申し上げたことには、「お体もまだお疲れになっていらっしゃいません。お馬も弱っておりません。どうして一領の鎧を重いとお思いになることがありましょうか。それは味方に軍勢がございませんので、気おくれしてそうお思いになるのです。兼平一人がお仕えしておりましても、ほかの武者千騎(がいるの)とお思いください。矢が七つ八つございますので、しばらく敵を防ぐ矢を射ましょう。あちらに見えますのが、粟津の松原と申します。あの松の中でご自害なさいませ。」と言って、馬を走らせて行くうちに……
【二】の訳
木曽殿はただ一騎で粟津の松原へお駆けになるが、正月二十一日の夕暮れ時のことなので、(田には)薄氷が張っていて、深い泥田があるとも知らずに、馬をざっと乗り入れたところ、馬の頭も見えないほど(深く)はまってしまった。(馬の腹を)あおってもあおっても、(鞭で)打っても打っても、馬は動かない。今井の行方が気がかりで、振り仰ぎなさったその内甲(かぶとの内側、顔のあたり)を、三浦の石田次郎為久が、弓を強く引きしぼってひょうふっと射た。深手なので、かぶとの正面を馬の頭に当ててうつ伏せになりなさったところに、石田の家来二人が駆けつけて、とうとう木曽殿の首を取ってしまった。
【三】の訳
今井四郎は戦っていたが、これ(主君の死)を聞いて、「今は誰をかばおうとして戦などするだろうか(いや、もう戦う意味はない)。これをご覧なさい、東国の方々よ。日本一の剛の者が自害する手本だ。」と言って、太刀の先を口にくわえ、馬から逆さまに飛び落ちて、(太刀に)貫かれて亡くなった。こうして粟津の戦いはなくなった(終わった)のだった。
4. 重要語句・文法のポイント
覚えておきたい語句
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| のたまふ | 「言ふ」の尊敬語。おっしゃる |
| 申す | 「言ふ」の謙譲語。申し上げる |
| おぼしめす | 「思ふ」の尊敬語。お思いになる |
| 御着背長(おんきせなが) | 身分の高い武将が着る鎧を敬っていう語。ここでは義仲の鎧 |
| 入相(いりあひ)ばかり | 日の入りのころ。夕暮れ時 |
| あふる | 馬の腹を蹴って急がせる |
| 手本 | 模範。見習うべき例 |
文法・表現のポイント
① 敬語で主語を見分ける(最重要) 語り手は、主君・義仲の動作には尊敬語(のたまふ・駆けたまふ・うつぶしたまへる)を、家来・兼平が主君に言う動作には謙譲語(申す)を使い分けています。「駆けたまふ」「振り仰ぎたまへる」「うつぶしたまへる」の主語はすべて義仲。敬語が主語を見分ける大きなヒントになります。
② 「疲れさせたまはず」=二重敬語(最高敬語) 「させ」は尊敬の助動詞「さす」の連用形、「たまは」は尊敬の補助動詞「たまふ」の未然形。尊敬語を二つ重ねて、兼平から主君義仲への高い敬意を表します。
③ 係り結び 「臆病でこそさはおぼしめし候へ」は「こそ」→已然形「候へ」。「貫かつてぞ失せにける」は「ぞ」→連体形「ける」。「さてこそ粟津のいくさはなかりけれ」は「こそ」→已然形「けれ」。本文に三か所あり、すべてテストで狙われます。
④ 「取つてんげり」の「て」=完了(強意)の助動詞「つ」の連用形 「とうとう(木曽殿の)首を取ってしまった」という意味になります。
5. 主題・あらすじ・背景
あらすじ(この場面の流れ)
大軍を失って主従二騎となった義仲は、「鎧が今日は重い」と弱音をもらします。兼平は「自分一人を千騎とお思いください」と励まし、粟津の松原での立派な自害を勧めて、一人で敵を防ぎます。しかし義仲は深田に馬を乗り入れて動けなくなり、石田為久に射られて討たれてしまいます。主君の死を知った兼平は戦う理由を失い、「日本一の剛の者の自害する手本」と言って、太刀を口にくわえ馬から逆さまに飛び降りる壮絶な自害を遂げました。
主題
この場面の主題は主従の絆です。兼平は最後まで主君に立派な最期を遂げさせようと心を尽くし、義仲が討たれると、ためらいなく後を追います。【一】の兼平の進言と【三】の自害がひとつながりになって、武士の忠義と誇りを描いています。
背景(文学史)
『平家物語』は鎌倉時代に成立した軍記物語です。平家一門の栄華と滅亡を、「諸行無常」「盛者必衰」という仏教的な無常観のもとに描きます。琵琶法師が琵琶を弾きながら語る「平曲」によって、文字の読めない人々にも広く伝えられました。文学史問題では「軍記物語・無常観・琵琶法師」の三点セットが頻出です。
確認クイズ(3問)
Q1. 「今井四郎申しけるは」の「申す」は、どのような敬語ですか。
ア 尊敬語 イ 謙譲語 ウ 丁寧語
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正解:イ 解説:「申す」は「言ふ」の謙譲語です。家来の兼平の発言には謙譲語「申す」、主君の義仲の発言には尊敬語「のたまふ」が使われ、主従の上下関係が敬語で表し分けられています。
Q2. 「入相ばかり」とは、一日のうちのどの時間帯ですか。
ア 明け方 イ 真昼 ウ 夕暮れ時
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正解:ウ 解説:「入相」は日の入りのころのことで、「入相ばかり」で「夕暮れ時」の意味です。義仲が討たれたのは正月二十一日の夕暮れ時でした。
Q3. 兼平が「日本一の剛の者の自害する手本」として見せた行動はどれですか。
ア 太刀の先を口にくわえ、馬から逆さまに飛び落ちた イ 敵の大将に最後の一騎打ちを挑んだ ウ 粟津の松原で義仲とともに自害した
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正解:ア 解説:本文に「太刀の先を口に含み、馬よりさかさまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける」とあります。敵に首を取らせない、武士の誇りを示す壮絶な最期でした。
6. つまずきやすいポイントと入試での問われ方
「木曽の最期」でつまずきやすいのは、まず動作の主語がだれなのかです。古文では主語が省略されることが多く、この場面でも義仲と兼平のどちらの動作か迷う箇所が連続します。最大の手がかりは敬語です。語り手は主君・義仲の動作にだけ尊敬語(のたまふ・駆けたまふ・うつぶしたまへる)をつけ、家来の兼平には尊敬語をつけません。逆に、兼平が義仲に向かって話す言葉には謙譲語(申す・候ふ)が使われます。「敬語がついている動作の主語は義仲」と覚えておくと、ほとんどの主語問題が解けます。
次につまずきやすいのが会話文の切れ目です。「のたまひけるは『……。』」「申しけるは『……。』」のように、「いふ+けるは」の直後から会話が始まり、句点や「とて」「と」の前で会話が終わります。どこからどこまでがだれのせりふかを正しくつかむことが、現代語訳の第一歩です。
入試・定期テストでは、次のような問われ方が定番です。
- 傍線部の動作の主語を答えさせる(→敬語で判断)。
- 「のたまふ」「申す」「おぼしめす」が尊敬語か謙譲語かを問う。
- 「疲れさせたまはず」の「させ」「たまは」を文法的に説明させる(二重敬語)。
- 係り結びの「こそ」「ぞ」を抜き出させ、結びの活用形を答えさせる。
- 兼平の自害が表す心情・主題(主従の絆・武士の誇り)を記述させる。
とくに5番の記述問題では、「兼平は主君に立派な最期をとげさせようとし、義仲が討たれると生きる意味を失って後を追った」という因果関係を書けると高い評価になります。「主従の絆」という言葉を必ず入れましょう。
7. 例文で確認 ― 一節の精読
場面の理解を深めるために、本文の代表的な一節をていねいに読み直してみましょう。
原文:「兼平一人候ふとも、余の武者千騎とおぼしめせ。」
現代語訳:「兼平一人がお仕えしておりましても、ほかの武者が千騎いるのとお思いください。」
「候ふ」は「あり・仕ふ」の丁寧語・謙譲語で、ここでは兼平が自分の存在をへりくだって言う謙譲の気持ちがこもっています。「おぼしめせ」は「思ふ」の尊敬語「おぼしめす」の命令形で、主君への敬意を保ちながら「そう思ってください」と勧めています。たった一人になっても、主君を励まそうとする兼平の忠義がよく表れた一文です。
原文:「これを見たまへ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本。」
現代語訳:「これをご覧なさい、東国の方々よ。日本一の勇猛な武者が自害する手本(を見せよう)。」
「見たまへ」は尊敬の補助動詞「たまふ」の命令形で、敵である東国武士に向かって堂々と呼びかけています。負けてもなお敵に敬意ある言葉を使い、自分の死を「手本」と言い切るところに、武士としての誇りの高さがにじみます。この一言が、続く壮絶な自害の場面をいっそう印象深いものにしています。
8. ミニ練習問題(解答つき)
問1:「のたまひけるは」の「のたまふ」は何の敬語ですか。また、その動作の主語はだれですか。
問2:「疲れさせたまはず」を文法的に説明しなさい。
問3:「貫かつてぞ失せにける」の係り結びについて、係助詞と結びの語、その活用形を答えなさい。
問4:義仲が討たれた直接の原因を、本文に即して説明しなさい。
――――――――――
解答1:「のたまふ」は「言ふ」の尊敬語で「おっしゃる」の意味。主語は木曽義仲。尊敬語が使われているので、主君である義仲の動作とわかります。
解答2:「させ」は尊敬の助動詞「さす」の連用形、「たまは」は尊敬の補助動詞「たまふ」の未然形、「ず」は打消の助動詞。尊敬語を二つ重ねた二重敬語(最高敬語)で、兼平から主君義仲への高い敬意を表します。全体で「お疲れになっていらっしゃらない」の意。
解答3:係助詞は「ぞ」、結びの語は「ける」、活用形は連体形。「ぞ」があるため、文末の助動詞「けり」が連体形「ける」で結ばれています。
解答4:義仲は一騎で粟津の松原へ向かう途中、薄氷の張った深田(深い泥田)があるとも知らずに馬を乗り入れ、馬が動けなくなった。今井兼平の行方を気にして振り仰いだところを、石田次郎為久に内甲(顔のあたり)を射られ、深手を負ったため討たれた。
9. よくある質問(Q&A)
Q1. 「乳母子(めのとご)」とはどういう関係ですか。
同じ乳母に育てられた子のことです。義仲の乳母の子が兼平で、血のつながりはありませんが、幼いころから兄弟同然に育った間柄でした。だからこそ、最後まで離れない強い絆があったのです。
Q2. なぜ義仲は弱音をはいたのですか。
「鎧が今日は重い」という言葉は、大軍を失い味方がいなくなった心細さの表れです。兼平はこれを「臆病(気おくれ)」だと見抜き、「自分一人を千騎と思え」と励まします。義仲の弱音と兼平の励ましが対になっている点に注目しましょう。
Q3. 「粟津(あはづ)」はどこですか。
現在の滋賀県大津市あたり、琵琶湖の南のほとりにあった地名です。義仲はこの粟津で最期をとげたため、この場面は「粟津の最期」とも呼ばれます。
Q4. 「日本一の剛の者」とはだれのことですか。
兼平が自分自身を指して言った言葉です。敵に首を取られる前に、武士として最も誇り高い死に方を自ら選んで見せた、その心意気を表しています。
まとめ
・「のたまふ」(尊敬語)=義仲、「申す」(謙譲語)=兼平。敬語が主語を見分けるカギ。
・「疲れさせたまはず」は二重敬語(させ+たまふ)。
・係り結びは「こそ→已然形」「ぞ→連体形」。本文に三か所あり、すべて頻出。
・義仲は深田にはまって討たれ、兼平は太刀をくわえて飛び降りる壮絶な自害。主従の絆がこの場面の主題。
・『平家物語』=鎌倉時代の軍記物語。無常観・琵琶法師もセットで覚える。
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