更級日記『大納言殿の姫君(猫)』をやさしく解説|現代語訳・重要語句・読解のポイント

作品解説

1. はじめに

『更級日記(さらしなにっき)』は、平安時代中ごろに菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が、自分の少女時代から晩年までをふり返って書いた回想録(思い出をつづった日記)です。この「大納言殿の姫君」は、別名「猫(ねこ)」とも呼ばれる有名な場面で、ある夜まよいこんできた一匹の上品な猫が、じつは亡くなった侍従の大納言の姫君の生まれ変わりだった――という、しみじみとした不思議な話です。

病気の姉が見た夢で、猫が「自分は侍従の大納言の御娘の生まれ変わりだ」と人の言葉で語りかけてきます。それを知ってから作者は猫をいっそう大切にし、猫の鳴き声やまなざしに姫君のおもかげを感じ取ります。死と生まれ変わり、物語好きの作者ならではの夢見がちでこまやかな感受性が読みどころです。

2. 原文

五月ばかり、夜更くるまで物語を読みて起きゐたれば、来つらむ方も見えぬに、猫のいとなごう鳴いたるを、おどろきて見れば、いみじうをかしげなる猫あり。いづくより来つる猫ぞと見るに、姉なる人、「あなかま、人に聞かすな。いとをかしげなる猫なり。飼はむ。」とあるに、いみじう人馴れつつ、かたはらにうち臥したり。

尋ぬる人やあるとこれを隠して飼ふに、すべて下衆のあたりにも寄らず、つと前にのみありて、物もきたなげなるはほかざまに顔を向けて食はず。姉おとうとの中につとまつはれて、をかしがりらうたがるほどに、姉のなやむことあるに、もの騒がしくて、この猫を北面にのみあらせて呼ばねば、かしがましく鳴きののしれども、なほさるにてこそはと思ひてあるに、

わづらふ姉、おどろきて、「いづら、猫は。こち率て来。」とあるを、「など。」と問へば、「夢にこの猫のかたはらに来て、『おのれは侍従の大納言殿の御むすめの、かくなりたるなり。さるべき縁のいささかありて、この中の君のすずろにあはれと思ひ出でたまへば、ただしばしここにあるを、このごろ下衆の中にありて、いみじうわびしきこと。』とて、いみじう泣くさまは、あてにをかしげなる人と見えて、うち驚きたれば、この猫の声にてありつるが、いみじくあはれなるなり。」と語りたまふを聞くに、いみじくあはれなり。

その後はこの猫を北面にも出ださず思ひかしづく。ただ一人ゐたる所に、この猫が向かひゐたれば、かいなでつつ、「侍従の大納言の姫君のおはするな。大納言殿に知らせたてまつらばや。」と言ひかくれば、顔をうちまもりつつなごう鳴くも、心のなし目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞き知り顔にあはれなり。

3. 現代語訳(やさしい言葉で)

五月のころ、夜が更けるまで物語を読んで起きていると、どこから来たのかもわからないのに、猫がとてものどかに鳴いたのを、はっとして見ると、たいそうかわいらしい猫がいる。どこから来た猫だろうと見ていると、姉である人が、「しっ、静かに。人に聞かせないで。とてもかわいらしい猫だわ。飼いましょう。」と言うので、(猫は)たいそう人になつきながら、私たちのそばに寝そべっている。

飼い主を探す人があるかもしれないと、この猫を隠して飼っていると、(この猫は)まったく身分の低い者のそばには寄りつかず、ぴたりと私たちの前にばかりいて、食べ物も汚らしいものは、よそへ顔をそむけて食べない。姉妹の間にぴったりとまつわりついて、かわいがっていたところ、姉が病気になることがあって、家の中が何かと騒がしくなり、この猫を北側の部屋にばかり置いて呼ばないでいると、やかましく鳴きたてるけれど、やはりそうなる理由があるのだろうと思っていたところ、

病気をわずらっている姉が、はっと目を覚まして、「どこなの、猫は。こちらへ連れて来て。」と言うので、「どうして。」と尋ねると、「夢にこの猫がそばに来て、『私は侍従の大納言殿の御娘が、このように(猫に)生まれ変わったのです。そうなるはずの縁が少しあって、この中の君(=作者)がむやみにしみじみと思い出してくださるので、ほんのしばらくここにいるのですが、このごろは身分の低い者の中にいて、たいそうつらいことです。』と言って、ひどく泣く様子は、気品があってかわいらしい人と見えて、はっと目が覚めたところ、この猫の声であったのが、たいそうしみじみと心を打つことよ。」とお話しになるのを聞くと、たいそうしみじみと心を打たれる。

その後はこの猫を北側の部屋にも出さず、大切に世話をする。私がたった一人でいる所に、この猫が向かい合って座っているので、なでながら、「侍従の大納言の姫君がいらっしゃるのね。大納言殿にお知らせ申し上げたいものだ。」と話しかけると、(猫は私の)顔をじっと見つめながらのどかに鳴くのも、気のせいか、ちょっと見たところでは、ふつうの猫ではなく、こちらの言葉を聞き分けているような顔つきで、しみじみと心を打たれる。

4. 重要語句

  • なごう(なごく)…のどかに。穏やかに。「なごく」のウ音便。猫がやさしくゆったり鳴くさま。
  • をかしげなり…かわいらしい。趣がある。「をかし」+接尾語「げ」で、見た目がかわいい様子。
  • あなかま…しっ、静かに。「あな(感動詞)」+「かま(し)」で、人を制して静かにさせる言葉。
  • 人馴る…人になれ親しむ。よくなつく。
  • 下衆(げす)…身分の低い人。召使いなど。ここでは猫が近寄らない対象。
  • つと…じっと。ぴったりと。動かずそばにいるさま。
  • らうたがる…かわいがる。いとしく思って大事にする。
  • なやむ…病気になる。患う。「悩む」の古い意味。
  • 率て来(ゐてこ)…連れて来い。「率る(連れる)」+カ変「来」の命令形「こ」。
  • すずろなり…わけもなく。むやみに。これといった理由もなくそうなるさま。
  • あてなり…上品だ。高貴だ。気品がある様子。
  • かしづく…大切に世話をする。大事に育てる。「思ひかしづく」で心をこめて大切にする。
  • うちまもる…じっと見つめる。「まもる」は目をはなさず見る意。

5. 文法・読解のポイント

  • カ変動詞「来」の読み分け…「来つらむ方」の「来」は連用形で『き』、「こち率て来」の「来」は命令形で『こ』と読む。カ変は『こ・き・く・くる・くれ・こ』と特殊活用するので頻出。
  • 完了・存続の助動詞「たり」「り」と推量「らむ」…「うち臥したり」「向かひゐたれば」の「たり」は存続(~ている)。「来つらむ方」の「らむ」は現在推量(今ごろ~ているだろう)で、ここでは『来たのであろう方角』の意。
  • 敬語の方向(誰から誰への敬意か)…「思ひ出でたまへ」「おはする」「語りたまふ」の尊敬語は姫君や姉への敬意。「知らせたてまつらばや」の「たてまつる」は謙譲語で、大納言殿への敬意を表す。地の文の敬語は作者からの敬意。
  • 願望の終助詞「ばや」…「知らせたてまつらばや」の「ばや」は未然形+ばやで『~したい』という自分の願望を表す。
  • 断定「なり」と四段動詞「なる」の識別…「かくなりたるなり」の前の「なり」は『(猫に)なる』というラ行四段動詞、後の「なり」は断定の助動詞『~のだ』。形が同じなので文脈で区別する。
  • 係り結びと結びの省略…「なほさるにてこそは(あらめ)」のように、係助詞「こそ」の結び『あらめ』が省略されている。係助詞が来たら結びの活用形に注意する。
  • 音便…「鳴いたる」はカ行イ音便(鳴きたる→鳴いたる)、「なごう」はク活用形容詞のウ音便(なごく→なごう)。会話文や柔らかい描写でよく使われる。

6. 主題・あらすじ・背景

あらすじ:五月のころ、夜更けまで物語を読んでいた作者の前に、どこからともなく上品な猫が現れる。姉とともに人に知られないよう隠して飼うと、その猫は身分の低い者には寄りつかず、汚い物は食べないなど、ふつうの猫とは思えない気高い振る舞いをする。やがて姉が病気になり、家が騒がしくなって猫を北側の部屋に追いやっておくと、ある日、病気の姉がはっと目覚めて「猫を連れて来て」と言う。聞けば、夢の中で猫が「自分は侍従の大納言の御娘の生まれ変わりで、中の君(作者)が懐かしんでくれるので少しの間ここにいるが、近ごろ身分の低い者の中に置かれてつらい」と人の言葉で泣きながら語ったという。それを知った作者は、以後この猫を北面に出さず大切に世話をし、猫に「姫君がいらっしゃるのね」と話しかける。猫はじっと顔を見つめてのどかに鳴き、まるで言葉を聞き分けているようで、作者はいっそうしみじみと心を打たれる。

主題亡き人への追慕と「生まれ変わり」への信仰。物語に親しみ夢見がちな作者が、一匹の猫に亡き姫君のおもかげを重ね、死者をいつくしむこまやかな心情をつづる。あはれ(しみじみとした情趣)が全体を貫く。

背景:作者の菅原孝標女は、平安貴族で『蜻蛉日記』作者道綱母の姪にあたる。少女のころから『源氏物語』など物語に夢中になり、夢やお告げをしばしば書きとめる、信仰心と空想力に富んだ人物だった。本文に出る「侍従の大納言」は能書家として名高い藤原行成(三蹟の一人)を指すとされ、その姫君が早世したことは当時の人々に惜しまれた。物語を愛し、夢を信じやすい作者だからこそ、猫を亡き姫君の生まれ変わりとして受けとめ、しみじみとした筆致でつづっている。また当時広く信じられた仏教の輪廻転生(生まれ変わり)の考え方が、この話の背景にある。

確認クイズ(3問)

この猫の正体は、夢の中で何だと明かされましたか。

亡くなった侍従の大納言の御娘(姫君)の生まれ変わりだと明かされました。

「こち率て来」の「来」は、どう読み、どんな活用形ですか。

『こ』と読み、カ変動詞「来」の命令形です(連れて来い、の意)。

「知らせたてまつらばや」の「たてまつら」と「ばや」は、それぞれ何を表しますか。

「たてまつる」は謙譲語で大納言殿への敬意、「ばや」は『~したい』という願望(終助詞)を表します。

7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方

  • 「来」の読み分け(連用形『き』/命令形『こ』)が問われやすい。傍線部に『来』があれば前後の活用形を確認する。
  • 「なりたるなり」の二つの『なり』を、四段動詞『なる』と断定の助動詞『なり』に識別させる問題が定番。
  • 敬語の方向(誰から誰への敬意か)を問う設問が多い。『たまふ』=尊敬、『たてまつる』=謙譲を取り違えないこと。
  • 「中の君」が誰を指すか(=作者・菅原孝標女)を問われることがある。猫の言葉の中の指示語に注意。
  • 「あはれなり」を『かわいそうだ』と現代語感覚で訳すと減点。ここは『しみじみと心を打たれる』が基本。

8. まとめ

・『更級日記』「大納言殿の姫君」は別名「猫」とも呼ばれ、迷い込んだ上品な猫が亡き姫君の生まれ変わりだったという話。

・夢の中で猫が『自分は侍従の大納言の御娘の生まれ変わり』と人の言葉で語り、作者(中の君)はそれを聞いて深く心を動かされる。

・死と輪廻転生、亡き人への追慕がテーマで、『あはれ』の情趣が全体に流れる。

・文法ではカ変『来』の読み分け、断定『なり』と四段『なる』の識別、敬語の方向、音便がよく問われる。

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