1. はじめに
『成方の笛(成方といふ笛吹き)』は、鎌倉時代の説話集『十訓抄』に収められた一話です。笛の名手・成方が、大切にしていた名笛「大丸(おおまる)」を、権力者の俊綱にだまし取られそうになる場面が描かれます。「もう売ると言った」という嘘で追いつめられ、拷問の道具まで持ち出される――そんなピンチを、成方はとっさの機転で切り抜けます。
読みどころは、なんといっても最後のどんでん返しです。成方は人々の前で笛を石で粉々に打ち砕いてみせますが、実はそれは別の笛で、本物の大丸は無事だった、というオチが待っています。欲に目がくらんで卑怯な手を使った俊綱が、結局は「をこ(おろか者)」として笑い者になる、という痛快な展開を味わいながら、会話文の敬語や、結びの言葉づかいに注目して読みましょう。
2. 原文
【前半(笛をめぐる対立)】
成方といふ笛吹きありけり。御堂入道殿より大丸といふ笛を賜はりて吹きけり。めでたきものなれば、伏見修理大夫俊綱朝臣、欲しがりて、「千石に買はむ。」とありけるを、売らざりければ、たばかりて、「売るべきのよし言ひけり。」とそらごとを言ひつけて、成方を召して、「笛得させむと言ひける、本意なり。」と喜びて、「価は乞ふによるべし。」とて、「ただ買ひに買はむ。」と言ひければ、成方色を失ひて、「さること申さず。」と言ふ。
【中盤(呼び出しと拷問)】
この使ひを召し迎へて、尋ねらるるに、「まさしく申し候ふ。」と言ふほどに、俊綱大きに怒りて、「人を欺きすかすは、その咎軽からぬ事なり。」とて、雑色所へ下して、木馬に乗せむとする間、成方いはく、「身の暇を給はりて、この笛を持ちて参るべし。」と申しければ、人を付けて遣はす。
【後半(どんでん返しと結び)】
帰り来て、腰より笛を抜き出でて言ふやう、「このゆゑにこそ、かかる目は見れ。情けなき笛なり。」とて、軒のもとに下りて、石を取りて灰のごとくに打ち砕きつ。大夫、安からず思へども、すでに砕けぬれば、言ふかひなくてやみぬ。のちに聞けば、あらぬ笛を大丸とて打ち砕きて、もとの大丸は、ことゆゑなく吹きてありけり。始めはゆゆしくはやりごちたりけれど、つひに出だし抜かれにけり。大夫のをこにてやみにけり。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【前半(笛をめぐる対立)】
成方という笛吹きがいた。御堂入道殿(藤原道長)から大丸という笛を頂戴して吹いていた。すばらしい(名笛)であったので、伏見修理大夫俊綱朝臣がそれを欲しがって、「米千石で買おう。」と言ったのだが、(成方が)売らなかったので、(俊綱は)たくらんで、「(成方が)売りましょうと言った。」と嘘の言いつけをした。そして(俊綱は)成方を呼び出して、「笛を譲ろうと言ったのは、(私の)望むところだ。」と喜んで、「値段は望みどおりにしよう。」と言い、「ぜひとも買おう。」と言ったところ、成方は顔色を失って、「そのようなことは申しておりません。」と言う。
【中盤(呼び出しと拷問)】
この(嘘をついた)使いを呼び迎えて(俊綱が)お尋ねになると、(使いが)「確かに(成方が売ると)申しました。」と言うので、俊綱は大いに怒り、「人を欺きだますのは、その罪は軽くはないことだ。」と言って、(成方を)雑色所へ引き下ろし、木馬に乗せて(拷問に)かけようとするとき、成方が言うには、「(しばらく)暇を頂いて、この笛を持って参りましょう。」と申し上げたので、(俊綱は)見張りの人を付けて行かせた。
【後半(どんでん返しと結び)】
(成方は家から)帰って来て、腰から笛を抜き出して言うには、「この(笛の)せいで、こんな目にあうのだ。薄情な笛だ。」と言って、軒の下に下りて、石を取って(笛を)灰のように打ち砕いてしまった。大夫は不愉快に思ったが、もう砕けてしまったので、どうしようもなくて終わった。後になって聞いたところでは、(成方は)別の笛を大丸だと言って打ち砕いて、本物の大丸は、何事もなく(無事に)吹いていたのだった。(俊綱は)初めはたいそう調子に乗って勢い込んでいたが、とうとう出し抜かれてしまった。大夫が愚か者(の役回り)ということで終わってしまった。
4. 重要語句
- 笛吹き…笛を吹く人。笛の演奏者。
- 御堂入道殿…藤原道長のこと。「御堂」は道長の建てた法成寺の通称、「入道」は出家した人の意。
- 賜はる(給はる)…「もらう」の謙譲語。(目上の人から)いただく。
- めでたし…すばらしい。立派だ。みごとだ。
- たばかる…あれこれ考えて計略をめぐらす。たくらむ。だます。
- そらごと…うそ。事実でないこと。
- 本意(ほい)…かねてからの望み。本来の意図。願っていたこと。
- 色を失ふ…(驚き・恐れで)顔色が青ざめる。血の気が引く。ここでは成方が、身に覚えのない嘘を持ち出されて青ざめるさま。
- 咎(とが)…罪。あやまち。とがめられるべきこと。
- 木馬(きうま・もくば)…木製の馬の形の拷問道具。これにまたがらせて責めた。
- 暇(いとま)を給はる…(外出などの)許しをいただく。ここでは「しばらく時間をもらう」の意。
- ことゆゑなし…何事もない。支障がない。無事である。
- はやりごつ…勢い込む。調子に乗っていばる。気負い立つ。
- をこ(痴・烏滸)…おろかなこと。間が抜けて、人から笑われるようなさま。
5. 文法・読解のポイント
- 敬語「賜はる(給はる)」の方向…「大丸といふ笛を賜はりて」の「賜はる」は『もらう』の謙譲語。動作主は成方、もらう相手(敬意の対象)は御堂入道殿。下の者(成方)が上の者(道長)からいただく、という上下関係を読み取らせる問題が定番。
- 助動詞「けり」(過去・詠嘆)…「ありけり」「吹きけり」「言ひけり」などの「けり」は過去の助動詞(終止形)。冒頭の「ありけり」は説話の語り出しに使われる、人から伝え聞いた過去(伝聞回想)のニュアンス。終止形・連用形・已然形などの活用も問われる。
- 意志・推量の助動詞「む(ん)」…「千石に買はむ」「ただ買ひに買はむ」「笛得させむ」「木馬に乗せむ」などの「む(ん)」は意志を表す。『〜しよう』『〜させよう』と訳す。直後に『とす/とする』が続く形にも注意。
- 使役の助動詞「す・さす」…「笛得させむ」の「させ」は使役の助動詞「さす」の未然形で、『(笛を)譲らせよう・得させよう』の意。この場面は俊綱が、成方の言ったとされる『笛を譲る(得させる)』を喜んでいる発言。誰が誰にどうさせるのか、主語の把握とセットで問われる。
- 打消の助動詞「ず」…「売らざりければ」の「ざり」、「さること申さず」の「ず」は打消の助動詞。『売らなかったので』『そのようなことは申しません』。已然形+『ば』=順接確定条件(理由)も押さえる。
- 係り結び「こそ〜已然形」…「このゆゑにこそ、かかる目は見れ」は係助詞『こそ』を受けて文末が已然形『見れ』で結ばれる係り結び。意味を強める働きで、『この(笛の)せいでこそ、こんな目にあうのだ』と強調して訳す。
- 「色を失ふ」と主語の補い…「成方色を失ひて」は『成方が(驚き・恐れで)青ざめて』の意。誰が、どのような気持ちで青ざめたのかを問う設問が定番。身に覚えのない嘘で値段交渉を持ちかけられた成方の動揺を読み取る。
- 主語の補い・会話文の見分け…地の文で主語が省略されやすく、『誰が』売る・買う・怒る・砕くのかを取り違えやすい。特に俊綱・成方・使ひの行動や発言を混同しないこと。会話文(「 」)の話し手が成方か俊綱か使ひかを正確に判断する設問が頻出。
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:笛の名手・成方は、御堂入道殿(藤原道長)から名笛「大丸」を賜り、大切に吹いていた。その立派さに目をつけた伏見修理大夫俊綱が「米千石で買おう」と申し出るが、成方は売らない。そこで俊綱は一計を案じ、「成方が売ると言った」という嘘を使いに言わせる。そのうえで成方を呼び出し、「笛を譲るとは望むところだ。値段は言い値でよい、ぜひ買おう」と持ちかける。身に覚えのない成方は顔色を失い、「そんなことは言っていない」と否定する。俊綱が使いに確かめると、使いは「確かに申しました」と嘘を重ねる。怒った俊綱は「人をだます罪は重い」と成方を木馬の拷問にかけようとする。成方は「暇をいただいて笛を持ってきます」と願い出て家に戻り、戻ってくると「この笛のせいでこんな目にあう。情けない笛だ」と言って、人々の前で石を使い笛を灰のように打ち砕いてしまう。俊綱は不愉快に思うが、砕けてしまってはどうしようもない。ところが後で聞くと、成方が砕いたのは別の笛で、本物の大丸は無事だった。初めは威勢のよかった俊綱も、結局は出し抜かれ、おろか者として笑い者になって終わった。
主題:権力や財力にものを言わせ、卑怯な手段で他人の宝を奪おうとする者(俊綱)が、機転のきく相手(成方)に出し抜かれて笑い者になる、という痛快な説話。成方の機知・とっさの判断力と、不正をはたらく者の愚かさ・むなしさが対比的に描かれる。『十訓抄』全体が説く道徳的教訓(人を欺くな、欲にとらわれるな)の文脈の中で、ずるい振る舞いがどう報いられるかを示している。
背景:『十訓抄』は鎌倉時代中期、建長四年(1252年)に成立したとされる教訓説話集。編者は未詳だが、六波羅二臈左衛門入道(ろくはらにろうさえもんにゅうどう)という説などがある。年少者の教育を意図し、「人に恵みを施すべきこと」など十か条の教訓ごとに古今の説話を分類・配列している。『成方の笛』は第七「思慮を専らにすべき事」の巻に収められ、思慮分別・機転の大切さを説く一例として置かれている。なお笛を贈った「御堂入道殿」は摂関政治の全盛を築いた藤原道長を指し、平安貴族社会で名笛が大きな価値を持っていたことが物語の前提になっている。
確認クイズ(3問)
成方が御堂入道殿(藤原道長)から賜った名笛の名前は何ですか。
大丸(おおまる)。
俊綱は成方から笛を取り上げるために、どんな策略を用いましたか。
使いの者に「成方が(笛を)売ると言った」という嘘を言わせ、それを口実に成方を呼び出し、値段は言い値でよいと言って笛を取り上げようとした。
成方が人々の前で石で打ち砕いた笛は、本物の大丸でしたか。物語の結末も含めて答えなさい。
本物ではなく別の笛だった。本物の大丸は無事で、俊綱は成方に出し抜かれ、おろか者として笑い者になって終わった。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 「賜はる」の敬語の種類(謙譲語)と、敬意の方向(成方→道長)を問う問題が出やすい。「尊敬語」と誤答しやすい。
- 成方が砕いた笛を『本物の大丸だ』と早合点しやすい。実際は別の笛で、本物は無事だったという結末を正確に読み取れるかが問われる。
- 「をこ」「はやりごつ」「ことゆゑなし」「たばかる」「色を失ふ」など、現代語にない(または意味のずれる)古語の意味を選ぶ語句問題が頻出。
- 会話文の話し手(成方・俊綱・使ひのどれか)や、省略された主語を補わせる設問でつまずきやすい。特に『まさしく申し候ふ』は使ひの嘘の証言である点に注意。
- 「このゆゑにこそ〜見れ」の係り結び(こそ+已然形)を文法的に説明させる問題が出る。
8. まとめ
・『成方の笛』は鎌倉時代の教訓説話集『十訓抄』所収。笛の名手・成方と、笛を奪おうとする権力者・俊綱の知恵比べの話。
・俊綱は『成方が売ると言った』という嘘で追いつめるが、成方は機転で別の笛を砕いて見せ、本物の大丸を守り抜く。
・欲にかられて卑怯な手を使った俊綱が出し抜かれ、『をこ(おろか者)』として終わるところに、不正への戒めという主題がある。
・敬語『賜はる』の方向、助動詞『けり・む・す・ず』、係り結び『こそ〜已然形』、『色を失ふ』などの語句、そして省略された主語の把握が読解と試験の要点。
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