源氏物語『須磨(心づくしの秋風)』をやさしく解説|現代語訳・重要語句・読解のポイント

源氏物語 須磨 心づくしの秋風 作品解説
源氏物語『須磨』の舞台、須磨の秋の寂しい浜辺と夕暮れの海

はじめに ― これはどんな場面?

『源氏物語』の主人公・光源氏(ひかるげんじ)が、都での政治上の争いをさけて、自分から都を離れ、須磨(すま。今の神戸市須磨区あたりの海べ)でさびしく暮らしている場面です。はなやかな宮中をはなれ、海辺の質素な住まいで秋をむかえた源氏が、秋風の中で都に残してきた人々を思って涙を流します。

巻でいうと第十二帖「須磨」。光源氏の人生がもっとも落ちこんだ「どん底」の時期を描いた部分で、源氏物語の中でも屈指の名場面として、昔から多くの教科書に採られてきました。「もののあはれ(しみじみとした情趣)」が濃くにじむ、しっとりとした章段です。

原文(どこを採ったか)

「須磨」の段はとても長いので、ここでは教科書でいちばんよく採られる冒頭〜源氏が和歌をうたう山場までに絞って掲げます。表記は歴史的仮名遣い、句読点は一般的な教科書本文に合わせています。

須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。

御前(おまへ)にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばだてて四方(よも)の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ち来る心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。

琴(きん)を少しかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、

  恋ひわびて泣く音(ね)にまがふ浦波は思ふ方(かた)より風や吹くらむ

とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。

※「行平の中納言」が詠んだとされる歌は、在原行平(ありわらのゆきひら)の「旅人は袂(たもと)涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風」です。源氏物語の本文には引用されていませんが、上の「関吹き越ゆる」という言葉はこの歌をふまえています(参考として紹介します)。

現代語訳

原文の段落と対応させ、やさしい言葉に訳しました。

須磨では、(季節が秋になって)いっそう物思いをさそう秋風が吹く中、住まいは海から少し離れているけれど、行平の中納言が「関を吹き越えてくる」と詠んだという、その(須磨の)浦波の音が、夜ごとにほんとうにすぐ近くに聞こえてきて、ほかにまたとなくしみじみと心にしみるものは、こういう(さびれた)土地の秋なのであった。

源氏のおそば近くには人もごく少なくて、みなが寝静まっている中、源氏はひとりだけ目を覚まして、枕から頭を持ち上げるようにして四方から吹く激しい風の音をお聞きになると、波がまさにこのすぐそばまで打ち寄せてくるような気持ちがして、涙が落ちるとも気づかないうちに、(流した涙で)枕が浮くほどになってしまった。

(源氏が)琴を少しかき鳴らしなさったが、その音色が自分でもたまらなくもの寂しく聞こえるので、途中で弾くのをおやめになって、

  恋しさにつらく思って泣く、その声に聞きまちがえてしまう浦波の音は、私が恋しく思っている人々のいる(都の)方角から、風が吹いてくるからなのだろうか。

と(口ずさむように)お歌いになると、おそばの人々は目を覚まし、(あまりに)すばらしいと感じられるのにつけても、(涙を)こらえきれず、わけもなく起き上がっては、人目をはばかってそっと鼻をかむのであった。

重要語句・敬語・文法のポイント

覚えておきたい古語

  • いとど…「ますます・いっそう」。「いと(とても)」を強めた語。秋になってさびしさが「いっそう」増したことを表します。
  • 心づくし…あれこれと物思いをして心を尽くすこと。「気をもむ・物思いに心を悩ます」感じ。現代語の「心づくし(真心)」とは意味がちがうので注意。「心づくしの秋」は『古今集』以来、秋を表す決まり文句でもあります。
  • げに…「なるほど・ほんとうに」。古歌の通り「ほんとうに近く聞こえる」と納得する気持ち。
  • またなし(またなく)…「二つとない・このうえない」。
  • あはれなり…しみじみと心に深くしみる情趣。源氏物語全体のキーワード「もののあはれ」の中心語です。
  • そばだつ…ここでは「枕をそばだてて」で、枕を立てる=頭を少し持ち上げてあたりの音に耳をすます様子。
  • すごし(すごう)…ぞっとするほどもの寂しい・荒涼としている。現代語の「すごい(すばらしい)」とはちがい、寒々しい寂しさを表す古語です。「すごう」は「すごく」のウ音便。
  • まがふ…見分け・聞き分けがつかないほど、よく似て紛れる。波の音と泣き声が「まがふ」=聞きまちがえるほど似ている、ということ。
  • あいなし(あいなう)…「わけもなく・むやみに」。理由もないのに、つい起き上がってしまう感じ。「あいなう」はウ音便。

敬語 ― だれへの敬意か

この場面の敬語は、地の文で作者(語り手)から光源氏への敬意を表す尊敬語が中心です。

  • 聞き給ふかき鳴らし給へる弾きさし給ひうたひ給へる…補助動詞「給ふ」(四段)はすべて尊敬語で、動作主である源氏を高めています。作者→源氏への敬意。

これらが「動作の主語は源氏である」という目印にもなります。主語が省かれがちな古文では、「給ふ」が付いている=身分の高い源氏の動作と読むのが、主語を見抜くコツです。

助動詞・文法

  • 言ひけむ浦波…「けむ」は過去推量・過去伝聞の助動詞。ここは「(行平が)詠んだという」と過去の伝聞でとらえ、連体形「けむ」が体言「浦波」に続いています。
  • 秋なりけり…「けり」は、気づき・詠嘆をこめた過去。「〜なのであった(なあ)」というしみじみとした実感を表します。
  • 涙落つともおぼえぬ…「おぼえ(下二段「おぼゆ」連用形)+ぬ(打消「ず」の連体形)」。「涙が落ちるとも気づかないうちに」。
  • 枕浮くばかりになりにけり…「ばかり」は程度(〜ほど)。涙で枕が浮くほど、という大げさな誇張表現で深い悲しみを描きます。

係り結びに注目

  • 思ふ方より風吹くらむ…係助詞「や」(疑問)を受けて、文末が連体形「らむ(現在推量)」で結ばれています。「や〜らむ」の係り結びで、「(都の)方角から風が吹いてくるからだろう」と、理由をそっと推し量る余情を生んでいます。

この和歌は、「浦波の音」と「泣く声」を重ね合わせるのが見どころ。波の音が泣き声に似て聞こえるのは、恋しい都の方から風が吹くせいだろうか――と、自然の景色に自分の心情をかさねる、王朝和歌らしい技法(景と情の融合)が使われています。

主題・あらすじ・背景

主題は、都を離れた光源氏の孤独と望郷(都恋しさ)、そしてそれを包む須磨の秋の「あはれ」です。はなやかな栄華の頂点にいた人物が、すべてを失ってさびれた海辺で涙する――その落差が、読む人の胸を打ちます。

あらすじ(前後の流れ)。光源氏は、政敵である右大臣方ににらまれ、立場が危うくなったため、罪に問われて流される前に、自分から身を引いて須磨へ退きます。都の妻・紫の上をはじめ親しい人々と別れ、わずかな供だけを連れての、わびしい暮らし。この秋の場面のあと、源氏は明石(あかし)へ移り、やがて都へ呼びもどされて、ふたたび栄華への道を歩みはじめます。須磨・明石の時期は、源氏にとって試練であると同時に、人として深まる大きな転機となります。

作者と時代。『源氏物語』の作者は紫式部(むらさきしきぶ)。平安時代中期、十一世紀のはじめ(西暦1000年代初頭)ごろに書かれたとされる、五十四帖からなる長編の物語です。一条天皇の中宮・彰子(しょうし)に仕えた紫式部が、貴族社会の恋愛や人生、権力の浮き沈みを、こまやかな心理描写でえがきました。世界最古級の長編小説とも言われ、日本文学の最高峰として今も読みつがれています。

なお、この須磨でのわび住まいには、無実の罪で大宰府(だざいふ)に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)の故事が重ねられていると古くから言われます。少しあとの場面では、道真の漢詩をふまえた表現も登場し、「都を離れた貴人の悲しみ」という主題に厚みを与えています。

まとめ

この一段は、秋風・浦波という自然の音に、源氏の都恋しさと涙を溶けこませた、源氏物語きっての叙情的な場面です。読解のカギは、(1)「心づくし・すごし・あはれ」などの古語の正しい意味、(2)「給ふ」で源氏の動作を見抜くこと、(3)「や〜らむ」の係り結びと、波音=泣き声という和歌の発想――の三点。ここを押さえれば、難しいと言われる「須磨」も、ぐっと味わい深く読めるはずです。

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