1. はじめに ― 「歌ゆゑに命を失ふ事」ってどんな場面?
『沙石集』の説話。天徳の歌合で壬生忠見と平兼盛が「初恋」の題で名歌を競い、判定がつかないほどの接戦の末、帝のそぶり(天気)から兼盛が勝ちに。敗れた忠見は食事がのどを通らなくなり、ついに亡くなってしまう——歌人がどれほど命がけで歌に向き合ったかを伝える話です。
2. 原文(核心部分)
天徳の御歌合のとき、兼盛、忠見、ともに御随身にて左右についてけり。初恋といふ題を給はりて、忠見、名歌詠み出だしたりと思ひて、兼盛もいかでこれほどの歌詠むべきとぞ思ひける。
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
さて、すでに御前にて講じて、判ぜられけるに、兼盛が歌に、
つつめども色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
判者ども、名歌なりければ判じ煩ひて、天気を伺ひけるに、帝、忠見が歌をば両三度御詠ありけり。兼盛が歌をば多反御詠ありけるとき、天気左にありとて、兼盛勝ちにけり。
忠見、心憂くおぼえて心ふさがりて、不食の病つきてけり。……つひにみまかりにけり。執心こそ由なけれども、道を執する習ひ、あはれにこそ。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
天徳の歌合のとき、兼盛と忠見はともに帝の随身として左方・右方に分かれて出場した。「初恋」という題をいただいて、忠見は「名歌が詠めた」と思い、兼盛も「どうしてこれほどの歌が詠めようか」と思った。
恋をしているという私のうわさが早くも立ってしまった。人に知られないよう、心ひそかに思いはじめたばかりなのに。(忠見)
隠していたけれど、顔色に出てしまっていたのだ、私の恋は。「もの思いをしているのか」と人が尋ねるほどに。(兼盛)
判者たちはどちらも名歌なので判定に困り、帝のご様子をうかがった。帝は忠見の歌を二、三度お口ずさみになり、兼盛の歌は何度もお口ずさみになった。そこで「帝のお心は左(兼盛)にある」として兼盛が勝った。
忠見はつらく思い、心がふさいで、食事がとれない病になった。……そしてついに亡くなった。執着の心はよくないことだが、道をひたむきに思いつめる習いは、しみじみと心を打つ。
4. 重要語句・文法のポイント
覚えておきたい語句
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| まだき | 早くも・もう |
| 講ず | (歌を)読み上げる |
| 判ず | 優劣を判定する |
| 煩ふ | 困る・思い悩む |
| 天気 | 帝のご機嫌・ご意向 |
| 心憂し | つらい・情けない |
| みまかる | 亡くなる |
| 由なし | よくない・つまらない |
| あはれなり | しみじみと心を打つ |
文法・表現のポイント
①「人知れずこそ思ひそめしか」——「こそ」の結びで過去「き」の已然形「しか」。係り結びの代表例として超頻出です。
②「恋すてふ」——「てふ」は「といふ」のつづまった形。「恋をしているという」。
③「色に出でにけり」——「に」は完了「ぬ」の連用形、「けり」は詠嘆。「(隠していたのに)出てしまっていたのだなあ」。
④歌の伝本——兼盛の歌の初句は伝本・教科書により「つつめども」「忍ぶれど」の両形があります。『拾遺和歌集』・百人一首では「忍ぶれど」の形で有名です。
5. 主題・あらすじ・背景
主題
歌の道に命を懸ける歌人の執念。編者の無住は「執着はよくないが、道を思いつめる心はあはれだ」と、仏教者らしい複雑な感想で結びます。
背景
天徳四年(960年)の内裏歌合は、史上名高い大歌合。この二首はともに百人一首にも採られ(忠見41番・兼盛40番)、勝負の物語とセットで語り継がれてきました。
確認クイズ(3問)
Q1. 「人知れずこそ思ひそめしか」の「しか」の文法的説明は?
ア 過去「き」の已然形(こその結び) イ 願望の終助詞 ウ 副詞の一部
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正解:ア 解説:係助詞「こそ」を受けた結びで、過去の助動詞「き」の已然形です。
Q2. 勝負の決め手になったものは?
ア 判者の多数決 イ 帝が口ずさんだ回数 ウ くじ引き
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正解:イ 解説:判定に困った判者が「天気」(帝のご様子)をうかがい、多く口ずさまれた兼盛の勝ちとなりました。
Q3. 敗れた忠見はどうなった?
ア 出家した イ 都を離れた ウ 食事がとれない病になり亡くなった
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正解:ウ 解説:「不食の病つきてけり」「つひにみまかりにけり」とあります。
6. 物語の流れをもう一度整理しよう
この説話は短いですが、登場人物の心の動きがとても大切です。流れを順番に追ってみましょう。物語は「歌合の場面」から始まります。歌合とは、歌人を左方と右方の二組に分け、同じ題で詠んだ歌を突き合わせて判者が優劣を決める「和歌の試合」です。平兼盛は左方、壬生忠見は右方に立ち、「初恋」という題を与えられました。
忠見は「これ以上の歌はない」と思えるほどの自信作を詠みます。ところが相手の兼盛も負けず劣らずの名歌を詠んだため、判者たちは優劣をつけられず判定に困り果てます。そこで判者は最後の手段として、帝(むらかみてんのう)のご様子をそっとうかがいました。帝が兼盛の歌を何度も口ずさまれたことから「帝のお心は兼盛にある」と判断され、兼盛の勝ちと決まります。
勝負に敗れた忠見は、深く落ち込んで食事ものどを通らなくなり、ついには病で命を落としてしまいます。編者の無住は、最後にこの忠見の姿を「執着の心はよくないことだが、ひとつの道をひたむきに思いつめるその心は、しみじみと胸を打つ」と評しています。ここに、ただの勝負話で終わらせない、この説話の深みがあります。
7. 二首の名歌をくわしく味わう
忠見の歌
原文:恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
現代語訳:「恋をしているという私のうわさが、もう早くも世間に立ってしまった。だれにも知られないよう、心の中だけでひそかに思いはじめたばかりだったのに。」
この歌の魅力は、恋を始めたばかりの初々しさと、もう噂が立ってしまったというあわてた気持ちの対比にあります。「まだき(早くも)」と「思ひそめしか(思いはじめたばかりなのに)」が響き合い、「こんなに早く知られてしまうなんて」という戸惑いがにじみ出ています。秘めていたはずの恋がもれてしまった、初恋ならではの繊細な心が見事に詠まれています。
兼盛の歌
原文:つつめども色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで(『拾遺和歌集』・百人一首では「忍ぶれど色に出でにけりわが恋は……」の形で知られます)
現代語訳:「人に知られまいと心に隠していたけれど、つい顔色に出てしまっていたのだなあ、私の恋は。『なにか物思いをしているのですか』と人が尋ねてくるほどに。」
こちらは、隠しても隠しきれずに表に出てしまった恋を詠んでいます。自分では平気なつもりでも、まわりの人に気づかれてしまうほど顔色に出ていた、というのです。忠見の歌が「噂」という外側からの視点、兼盛の歌は「顔色」という自分自身の様子に焦点を当てており、二首は同じ「初恋を隠す」という題でありながら、見事に対照的な切り口になっています。どちらも甲乙つけがたい名歌であることがよくわかります。
8. つまずきやすいポイント
- 「天気(てんき)」を「お天気・空模様」と訳さない……ここでの「天気」は帝のご機嫌・ご意向のこと。「天」は天皇を指す言葉で、現代語の天気とはまったく別です。「天気左にあり」は「帝のお心は左方(兼盛)にある」という意味です。
- 「みまかる」を軽く読み飛ばさない……「みまかる」は「死ぬ・亡くなる」の意味。「身(み)」が「罷(まか)る=立ち去る」で、この世から退場する=死去を表す重要語です。
- 「執心(しゅうしん)」「執する」の評価に注意……無住は仏教者(僧)なので、ものごとへの執着(しゅうじゃく)を本来よくないものと考えています。だから「由なし(よくない)」と言いつつ、それでも「あはれ(しみじみ胸を打つ)」と感じている、この複雑な心情を読み取ることが大切です。
- 勝敗の決め手を取り違えない……勝負を決めたのは判者の議論ではなく、帝が歌を口ずさんだ回数でした。兼盛の歌をより多く口ずさまれたことが決め手です。
9. 入試・定期テストでの問われ方
この話は、文法と内容理解の両方が問われやすい教材です。よく出るポイントを押さえておきましょう。
- 係り結び……「人知れずこそ思ひそめしか」は、係助詞「こそ」を受けて文末が過去の助動詞「き」の已然形「しか」で結ばれる、係り結びの代表例。「結びの語と活用形を答えよ」という形で頻出します。
- 重要語の意味……「天気」「みまかる」「心憂し」「由なし」「あはれなり」など、現代語とずれる語の意味が選択肢問題でねらわれます。
- 内容説明……「忠見が病になった理由を説明せよ」「無住がこの話を通して言いたかったことは何か」といった記述問題が出ます。歌合に敗れた失意が原因であること、執着を戒めつつもその一途さに感動している編者の心情を、本文の言葉を根拠に書けるようにしておきましょう。
- 和歌の解釈……二首それぞれの内容や、両者の表現の違いを問う問題も定番です。
10. ミニ練習問題(解答つき)
問1 傍線「天気左にあり」の「天気」とは、ここではどういう意味か。わかりやすく答えなさい。
問2 「つひにみまかりにけり」とは、だれがどうなったことを言っているか。説明しなさい。
問3 編者の無住が、忠見の最期に対して抱いた気持ちを、本文の言葉を使って説明しなさい。
【解答】
- 帝のご機嫌・ご意向のこと。「帝のお心は左方の兼盛にある」という意味で、これが兼盛の勝ちを決めた。
- 歌合に敗れて落ち込み、食事ものどを通らなくなった壬生忠見が、その病のためについに亡くなったということ。
- ものごとへの執着はよくないこと(由なし)だと戒めつつも、ひとつの道をひたむきに思いつめるその一途さに、しみじみと心を打たれている(あはれ)。
11. よくある質問(Q&A)
Q. 『沙石集』はどんな作品ですか。
A. 鎌倉時代に、僧の無住がまとめた仏教説話集です。さまざまな話を通して仏の教えをわかりやすく説こうとした書物で、この「歌ゆゑに命を失ふ事」もそのひとつです。
Q. 二人の歌はそんなに名作なのですか。
A. はい。どちらの歌も『拾遺和歌集』に採られ、さらに藤原定家がえらんだ『小倉百人一首』にも両方とも入っています(兼盛・忠見が隣り合って並びます)。それほどの名歌どうしの勝負だったからこそ、判者も帝の様子に頼るしかなかったのです。
Q. なぜ歌の勝負に負けただけで亡くなってしまうのですか。
A. 現代の感覚では大げさに思えるかもしれません。しかし当時、歌人にとって歌の道は人生そのものでした。晴れの大舞台で名歌を出しながら敗れた失意の深さが、それほど大きかったということです。この極端さこそが、編者が「道を執する習ひ、あはれにこそ」と感じ入った点でもあります。
12. まとめ
- 出典は鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』(編者・無住)。
- 天徳の歌合で、平兼盛と壬生忠見が「初恋」の題で名歌を競った。
- 判定がつかず、帝が口ずさんだ回数の差で兼盛が勝った。
- 敗れた忠見は失意のあまり食事がとれなくなり、ついに亡くなった。
- 編者は、執着を戒めつつも、道に一途な心を「あはれ」と評している。
- 文法では「人知れずこそ思ひそめしか」の係り結び、語句では「天気」「みまかる」が最重要。
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