古文を読んでいて「天皇が自分自身のことを話しているのに、なぜか尊敬語が使われている」と戸惑ったことはありませんか。実はそれ、「自尊敬語(自敬表現)」という特殊な用法に出会っているのです。自尊敬語とは、天皇・上皇・中宮など最高位の人物が、自分自身の動作・発言・状態に対して尊敬語を使う特殊な表現を指します。通常の尊敬語が「作者から登場人物への敬意」であるのに対して、自尊敬語は「最高位の人物が自分自身に敬意を込めて語る」という極めて限定的な用法です。
この表現が成立する背景には、平安時代の宮廷社会の構造があります。天皇や上皇は絶対的な権威を持つ存在であり、自分自身の発言においても、自らの地位にふさわしい最高の格式を保つ必要がありました。その結果、自身の動作にも尊敬語を用いるという特異な言語形式が定着しました。
この記事では、自尊敬語(自敬表現)の本来の定義に絞って解説します。「通常の最高敬語(作者が最高位の人物に対して使う尊敬語)」と混同しやすい用法なので、両者の違いに注意しながら読み進めてください。
「自尊敬語」の基本(定義・特徴)

自尊敬語(自敬表現)の定義をはっきりさせておきましょう。自尊敬語とは、最高位の人物(天皇・上皇・中宮・法皇など)が、自分自身の動作・発言・状態を表すときに、自らに対して尊敬語を使う用法です。動作の主体(一人称)と尊敬の対象が同一人物になるという、通常の敬語の常識から外れた特殊な現象です。
通常の尊敬語との違い
古文の敬語は、本来「作者・語り手から登場人物への敬意」を示します。たとえば臣下である作者が「帝、御覧ず」と書くとき、これは作者から帝への敬意の表れで、ごく普通の尊敬語の使い方です。動作主(帝)と敬意の主体(作者)が別人ですから、これは自尊敬語ではありません。
これに対して自尊敬語は、登場人物である天皇本人が会話文や独白の中で、自分自身の動作を尊敬語で述べる用法です。話者と動作主と敬意の対象がすべて同一人物(最高位の自分)になっており、通常の言語感覚では成立しないはずの形式が、最高位の権威を保つために特例として認められています。
自尊敬語が現れる典型的な場面
自尊敬語が現れるのは、ほとんどの場合会話文・宣命・院宣など、最高位の人物の発言の中です。地の文で作者が天皇の動作を描写する尊敬語は通常の尊敬語であって、自尊敬語ではありません。会話文の中で「われ」「朕(ちん)」など一人称を主語とし、それに「思す」「のたまふ」「御覧ず」など尊敬語が付いているケースが典型例です。
使われる尊敬語そのものは通常の最高敬語と同じです。「思す(おぼす)」(思うの尊敬)、「のたまふ」「仰す(おほす)」(言うの尊敬)、「御覧ず(ごらんず)」(見るの尊敬)、「きこしめす」(聞く・治めるの最高敬語)、「させたまふ・せたまふ」(最高敬語の二重尊敬)などが、自分自身に向けて使われたとき、自尊敬語になります。
「通常の最高敬語」との区別が最重要
ここを混同しないでください。地の文で作者が天皇の動作を描写するときに使われる「させたまふ」「おはします」「きこしめす」などは、通常の最高敬語であって自尊敬語ではありません。自尊敬語は、最高位の人物が自分自身の動作に対して尊敬語を使うという、極めて限定された用法です。動作主と話者(敬意の主体)が同一人物であることが必須条件です。
「自尊敬語」の識別方法(ステップごとに解説)

自尊敬語を正しく識別するには、以下の手順を順番に確認していきます。「主語が誰か」だけでなく、「発話している人物が誰か」もあわせて確認するのがポイントです。
第一ステップ:会話文・独白かどうかを確認する
まずその尊敬語が現れている部分が、会話文・独白・宣命など登場人物の発言の中にあるのか、それとも地の文で作者が描写している部分なのかを確認します。自尊敬語は基本的に登場人物(最高位の人物)自身の発言の中でしか成立しません。地の文の尊敬語は通常の尊敬語または通常の最高敬語であって、自尊敬語ではありません。
第二ステップ:発話者を特定する
会話文の中の尊敬語であれば、誰が発話しているのかを確かめます。発話者が天皇・上皇・中宮・法皇など最高位の人物である場合に限り、自尊敬語の可能性が出てきます。臣下・女房など最高位ではない人物が発話している場合は、通常の尊敬語(聞き手や話題の人物への敬意)として読みます。
第三ステップ:動作主が発話者本人かを確認する
その尊敬語が表す動作の主が、発話者本人(一人称、「われ」「朕」など)かどうかを確かめます。発話者本人=動作主であれば、自分が自分に尊敬語を使っていることになり、自尊敬語(自敬表現)と判断できます。発話者と動作主が違う人物(聞き手や第三者)であれば、通常の尊敬語です。
第四ステップ:通常の最高敬語と区別する
最後に、「これは作者が最高位の人物を描写する通常の最高敬語ではないか?」と自問してください。地の文での天皇の描写、第三者が天皇について語る尊敬語は、すべて通常の敬語であって自尊敬語ではありません。「動作主=発話者=最高位の人物」の三つが揃って初めて、自尊敬語と認定できます。この三条件が揃わないものを自尊敬語と呼ぶのは誤りなので注意してください。
よくある誤解・ミスポイント
自尊敬語は範囲が狭く特殊な用法のため、誤って広く認定してしまう誤りが頻発します。ここでは典型的なミスを整理します。
ミスその一:地の文の最高敬語を自尊敬語と呼んでしまう
「帝、御覧ず」「院、おはします」のような地の文の表現は、通常の尊敬語・最高敬語であって自尊敬語ではありません。作者から帝・院への敬意を示しているにすぎず、自分が自分に敬語を使っているわけではないからです。自尊敬語と呼べるのは、最高位の人物本人が発話する場面に限定されます。
ミスその二:第三者が最高位の人物について敬語を使う場面と混同する
臣下が「帝御覧じけり」と語る場合、これも通常の尊敬語であって自尊敬語ではありません。発話者(臣下)と動作主(帝)が別人だからです。自尊敬語の必須条件である「動作主=発話者」が満たされていません。
ミスその三:謙譲語の方向と混同する
「申す」「奉る」「参る」などの謙譲語は動作の向かう先(客体)を高めるもので、自尊敬語とは全く別の概念です。自尊敬語は尊敬語の特殊用法なので、謙譲語との取り違えに注意してください。
ミスその四:自尊敬語=最高敬語と思い込む
自尊敬語と通常の最高敬語は混同されやすいですが、別概念です。最高敬語は「最高位の人物への最上級の敬意を表す形式(させたまふ・おはしますなど)」、自尊敬語は「最高位の人物が自分自身に尊敬語を使う特殊用法」です。使われる語形は重なりますが、用法の定義は異なります。試験で「自尊敬語の例を選べ」と問われたときは、「会話文中で天皇自身が自分の動作に尊敬語を使っている例」を選ぶようにしてください。
例文で確認
自尊敬語は原典でも稀少な用法で、明らかな実例として頻繁に挙げられるものは限られます。以下では、典型的な形を確認できる例を中心に取り上げます。
例文一:「われこそは〜よ」型の自敬表現(『大鏡』花山院段を踏まえた典型形)【練習例:自敬表現の典型形】
古文:「われこそ法皇よ、何しにかくは申すぞ」
現代語訳:「私こそ法皇であるぞ、どうしてこのように申すのか」
解説:花山院(出家後は花山法皇)が自身を「われこそ法皇よ」と一人称で称する場面の典型形です。最高位の人物が自身の身分を直接示しながら発話するこの形は、自尊敬語的な発想の根幹をなすものとして古典文法書でしばしば言及されます。一人称+最高位の身分の組み合わせが、自敬表現の出発点になります。
例文二:天皇が自分の動作に「思す」を用いる例【練習例:自敬表現の典型形】
古文:「われ思すやう、この事ゆかしくなむある」
現代語訳:「私が思うことには、このことが知りたいのだ」
解説:「思す(おぼす)」は本来「思う」の尊敬語で、目下の者が目上の人物の思考を高めるときに使います。それを発話者である天皇自身が自分の思考に対して使っている形が自尊敬語です。動作主(一人称「われ」)=発話者(天皇)=敬意の対象(天皇)の三つが同一人物に重なっており、自敬表現の典型例として説明されます。
例文三:天皇が自分の発話に「のたまふ」を用いる例【練習例:自敬表現の典型形】
古文:「われかくのたまふを聞きしや」
現代語訳:「私がこのようにおっしゃるのを聞いたか」
解説:「のたまふ」は「言ふ」の尊敬語ですが、発話者である天皇自身が自身の発言に対して使っている形になっており、自尊敬語にあたります。本来「天皇がのたまふ」は作者が外から記述する形式で使うのが通常で、自分から発する場合に使うのは特例的な用法です。最高位の人物の権威を保つために用いられる典型的な自敬表現として理解してください。
例文四:「御覧ず」を一人称で用いる例【練習例:自敬表現の典型形】
古文:「われ御覧じて後、心にかかれることあり」
現代語訳:「私がご覧になった後、心にかかることがある」
解説:「御覧ず」は「見る」の尊敬語で、最高位の人物が見る動作を表すときに使います。これを発話者である天皇自身が自分の動作に対して用いると、自尊敬語になります。「われ」という一人称と「御覧ず」という尊敬語が結びついている点が、自敬表現を見抜くポイントです。
例文五:自尊敬語と通常の敬語の対比【練習例】
古文A(自尊敬語):天皇の発話「われかくきこしめしつ」
現代語訳A:「私はこのようにお聞きになった」
古文B(通常の最高敬語):地の文「帝、かくきこしめしけり」
現代語訳B:「帝は、このようにお聞きになった」
解説:AとBは語形こそ似ていますが、性質が異なります。Aは天皇自身の発話で、動作主=発話者=最高位の人物が同一なので自尊敬語です。Bは地の文で作者が帝の動作を描写しているだけなので通常の最高敬語です。形だけ見ると同じ「きこしめす」ですが、文の中での位置(会話文か地の文か)と発話者を確認することで、両者を区別できます。
まとめ

自尊敬語(自敬表現)は、最高位の人物が自分自身の動作・発言・状態に尊敬語を使う特殊用法です。動作主=発話者=敬意の対象がすべて同一人物(最高位の自分)になるという、通常の敬語の常識から外れた限定的な現象です。地の文で作者が天皇の動作を描写する場合は、たとえ最高敬語が使われていても、それは通常の最高敬語であって自尊敬語ではありません。両者を必ず区別してください。
識別の手順を再確認します。第一に、その尊敬語が会話文(最高位の人物の発話)の中にあるかを確認します。第二に、発話者が天皇・上皇・中宮など最高位の人物かを確認します。第三に、動作主が発話者本人(一人称)かを確認します。第四に、地の文の通常の最高敬語ではないかをチェックします。この四条件がすべて揃って初めて自尊敬語と認定できます。
自尊敬語の用例は原典で頻出するわけではなく、『大鏡』『増鏡』『源氏物語』などの宮廷文学のごく限定的な場面で確認できる、稀少な用法です。広く「最高位の人物に作者が継続的に敬語を使う場面」を自尊敬語と呼ぶのは標準解釈から外れた拡張なので注意してください。本記事では本来の定義に絞って整理しました。
入試では、自尊敬語そのものを直接問う問題はそれほど多くありませんが、「敬意の方向(誰から誰へ)」を答える問題で混乱の元になりがちです。動作主=発話者=敬意の対象の三つが揃うのが自尊敬語、揃わないものは通常の尊敬語・最高敬語、という基準を頭に入れておくと、迷わず対応できるようになります。例文を繰り返し読みながら、自尊敬語と通常の最高敬語の境目を体感的に押さえていきましょう。


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