1. はじめに
寒い二月の終わりごろ、雪がちらつく日に、当代きっての歌人・藤原公任から清少納言のもとへ一通の手紙が届きます。そこに書かれていたのは『少し春ある心地こそすれ』という和歌の下の句だけ。『この続き(上の句)をつけて返しなさい』という、公任からのいわば出題でした。一流の歌人や殿上人たちが見ている前で、しかも下手な返事はできない――清少納言が震えながら機転をきかせて応じる、緊張とユーモアにあふれた名場面です。
随筆『枕草子』には珍しく、和歌をめぐるやりとりが中心になる章段です。漢詩『白氏文集』をふまえた公任の句に、清少納言が即興で上の句をつけて返す『連句(れんく)』のおもしろさが読みどころ。同時に、公任や殿上人への敬語の使い分けや、返歌に用いられた『見立て』の技法など、テストで問われるポイントもしっかり詰まっています。
2. 原文
【公任からの手紙が届く】
二月つごもりごろに、風いたう吹きて、空いみじう黒きに、雪すこしうち散りたるほど、黒戸に主殿寮来て、「かうて候ふ。」と言へば、寄りたるに、「これ、公任の宰相殿の。」とてあるを、見れば、懐紙に、
少し春ある心地こそすれ
とあるは、げに今日の気色にいとよう合ひたる、これが本はいかでか付くべからむと、思ひわづらひぬ。
【清少納言の返事と評判】
「たれたれか。」と問へば、「それそれ。」と言ふ。みないとはづかしき中に、宰相の御いらへを、いかでかことなしびに言ひ出でむと、心一つに苦しきを、御前に御覧ぜさせむとすれど、上のおはしまして、大殿籠もりたり。主殿寮は、「とくとく。」と言ふ。げに、おそうさへあらむは、いと取り所なければ、さはれとて、
空寒み花にまがへて散る雪に
と、わななくわななく書きて取らせて、いかが思ふらむと、わびし。
【後日談】
これがことを聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじとおぼゆるを、「俊賢の宰相などの、『なほ内侍に奏してなさむ。』となむ定め給ひし。」と、左兵衛の督の中将におはせし、語り給ひし。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【公任からの手紙が届く】
二月の末ごろに、風がひどく吹いて、空がたいそう暗いところに、雪が少し舞い散っているとき、(清涼殿の)黒戸に主殿司の役人が来て、「(手紙を持って)ここに控えております。」と言うので、近寄ったところ、「これは、公任の宰相殿の(お手紙です)。」と言って差し出すのを見ると、懐紙に、
少し春らしい気持ちがすることよ
と書いてあるのは、なるほど今日の天気にたいそうよく合っている。この上の句をどうやってつけたらよかろうかと、思い悩んでしまった。
【清少納言の返事と評判】
「(その場には)誰々がいるのか。」と尋ねると、「(殿上人の)誰それです。」と言う。みな(立派で)気おくれするほどの方々ばかりである中で、宰相(公任)へのお返事を、どうしていいかげんに口に出せようか(いや、できない)と、自分一人の胸の内で苦しいので、中宮様にご覧に入れようとするけれど、(折あしく)帝がいらっしゃって、(中宮様と)おやすみになっている。主殿司は「早く早く。」とせかす。なるほど、(返事が下手な上に)遅くまであっては、まったく取り柄がないので、ええ、ままよと思って、
空が寒いので、花と見まちがえるように散る雪に(つけて、少し春らしい気持ちがするのです)
と、震えながら書いて(主殿司に)渡して、(公任たちは)どう思っているだろうと、つらく心細い。
【後日談】
この返事についての評判を聞きたいと思う一方で、けなされていたら聞きたくないと思われるのだが、「俊賢の宰相などが、『やはり(清少納言を)内侍に(帝へ)申し上げて任命していただこう。』と評定なさった。」と、左兵衛の督で中将でいらっしゃった方が、(私に)お話しになった。
4. 重要語句
- つごもり…月の終わり、下旬。「月隠(つきごも)り」が変化した語。対義語は「ついたち(朔日)」
- いたう…(形容詞「いたし」の連用形「いたく」のウ音便)ひどく・はなはだしく。程度が甚だしいようす
- いみじう…(形容詞「いみじ」の連用形のウ音便)たいそう・非常に。良い場合にも悪い場合にも使う程度の甚だしさを表す
- 黒戸…清涼殿の北側にあった黒く塗った戸・部屋。女房が出入りした場所
- 主殿寮(とのもづかさ)…宮中の清掃・灯火・薪炭などを担当した役所。ここではその役人をさす
- 懐紙…和歌などを書きつけるために懐に入れて持ち歩いた紙
- げに…なるほど・本当に。相手の言葉や状況に納得・同意する気持ちを表す副詞
- はづかし…(相手が立派で)こちらが気おくれするほどだ・きまりが悪い。相手のすばらしさを引き立てる語
- ことなしび…(動詞「ことなしぶ」の連用形)いいかげんに・なんでもないようにすませること。気のないそぶり
- わななくわななく…(緊張や寒さで)震えながら震えながら。同じ語を重ねて動作の継続を強調する表現
- わびし…つらい・心細い・やりきれない。思うようにならず嘆かわしい気持ち
- 内侍(ないし)…内侍司(ないしのつかさ)の女官。宮中で帝の側に仕える名誉ある役職
5. 文法・読解のポイント
- 敬語の方向①「候ふ(さぶらふ)」…主殿司の「かうて候ふ」の『候ふ』は丁寧語(〜ます・ございます)で、聞き手である清少納言への敬意を表す。話し手=主殿司、敬意の対象=清少納言。
- 敬語の方向②「御覧ぜさせむ」「おはします」「大殿籠もる」…『御覧ず』は『見る』の尊敬語、『おはします』は『あり・来』の尊敬語、『大殿籠もる』は『寝(ぬ)』の尊敬語。いずれも作者・清少納言から、中宮や帝への敬意を表す(地の文の敬語=作者からの敬意)。最高位の人物に最高敬語が使われている点が問われやすい。
- 係り結び「こそ〜すれ」…公任の句『少し春ある心地こそすれ』は、係助詞『こそ』を受けて文末がサ変動詞『す』の已然形『すれ』で結ばれている(強意の係り結び)。和歌中の係り結びとして頻出。
- 反語「いかでか〜言ひ出でむ」…『いかでかことなしびに言ひ出でむ』の『いかでか〜む』は反語で『どうしていいかげんに言い出せようか、いや言い出せない』の意。願望ではなく反語にとるのがポイント。
- 和歌の修辞「見立て」と「空寒み」…返歌の上の句『空寒み花にまがへて散る雪に』は、散る雪を春に散る花に見立てる『見立て』の技法。『空寒み』は〈名詞+形容詞語幹+み〉で『空が寒いので』と理由を表す『〜み』の語法。
- 連歌(れんが)的なやりとり…公任が下の句『少し春ある心地こそすれ』を示し、清少納言がそれに上の句『空寒み花にまがへて散る雪に』を付けて一首を完成させる構成。上の句を後から付ける珍しい形で、白居易『白氏文集』の詩句をふまえている点も背景知識として問われる。
- 願望の終助詞「ばや」…『これがことを聞かばや』の『ばや』は未然形に付いて『〜したい』という自己の願望を表す終助詞。直後の『聞かじ』の『じ』(打消意志=〜まい)との対比で出題されやすい。
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:二月の末、風が吹き雪が舞う寒い日に、歌人として名高い藤原公任から清少納言のもとへ手紙が届く。開いてみると懐紙に和歌の下の句『少し春ある心地こそすれ』だけが書かれており、上の句をつけて返すよう求められていた。今日の雪景色によく合う句だが、立派な殿上人たちが見ている前で下手な返しはできない。中宮に相談しようにも帝とおやすみ中で頼れず、主殿司には早く早くとせかされる。意を決した清少納言は、散る雪を花に見立てて『空寒み花にまがへて散る雪に』と上の句をつけ、震える手で書いて渡す。あとで気をもむが、俊賢の宰相たちが『内侍に推薦しよう』と評定したと、左兵衛の督の中将から聞かされる。
主題:一流の歌人・公任からの即興の出題に、寒さと緊張で震えながらも『見立て』の機知で見事に応じた清少納言の才知。和歌の素養と当意即妙の対応が宮廷で高く評価されたことを、ほこらしさと気恥ずかしさをにじませて描く。
背景:『枕草子』は平安中期、一条天皇の中宮定子に仕えた清少納言が記した随筆。この段は宮廷生活の一場面で、相手の藤原公任は和歌・漢詩・管絃すべてに秀でた当代第一の文化人。公任の句『少し春ある心地こそすれ』は、唐の詩人・白居易の『白氏文集』にある『二月山寒少有春(二月山寒くして春有ること少なし)』など漢詩の趣をふまえているとされ、教養あるやりとりの場であった。清少納言が漢詩の知識を意識しつつ即座に上の句をつけた点に、当時の女房に求められた高い文化的素養がうかがえる。
確認クイズ(3問)
公任から清少納言に届いた和歌の句『少し春ある心地こそすれ』は、上の句・下の句のどちらですか。また清少納言はどちらを付けて返しましたか。
届いたのは『下の句』。清少納言は『上の句(空寒み花にまがへて散る雪に)』を付けて一首を完成させて返した。
『げに今日の気色にいとよう合ひたる』の『げに』の意味を答えなさい。
『なるほど・本当に』。雪の降る今日の天気に公任の句がよく合っている、と納得・同意する気持ちを表す。
返歌の『空寒み花にまがへて散る雪に』に使われている和歌の技法を一つ答えなさい。
『見立て』。実際の雪を、春に散る花に見立てて表現している(『空寒み』は『空が寒いので』という理由を表す〜みの語法)。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 『少し春ある心地こそすれ』が下の句で、清少納言が付けたのが上の句、という前後関係を取り違えやすい。下の句に上の句を付ける珍しい形だと意識する。
- 『いみじう黒き』『いたう吹きて』のウ音便(いみじく→いみじう、いたく→いたう)に気づかず、元の形容詞『いみじ』『いたし』を答えられないミスが多い。
- 『はづかし』を現代語の『恥ずかしい』と訳すと誤り。ここでは『(相手が立派で)気おくれするほどだ』の意で、相手のすばらしさを表す。
- 地の文の敬語『おはします』『大殿籠もる』『御覧ず』が、作者から中宮・帝へのどちら向きの敬意かを問われる。誰から誰への敬意かを必ず確認する。
- 結末の『内侍に奏してなさむ』を、清少納言が損をした話と誤読しやすいが、実際は『内侍に推薦しよう』という高い評価(ほめられた話)である点に注意。
8. まとめ
・二月末の雪の日、歌人・藤原公任が下の句『少し春ある心地こそすれ』を送り、上の句を付けるよう清少納言に求めた場面。
・清少納言は殿上人が見守る緊張の中、散る雪を花に見立てて『空寒み花にまがへて散る雪に』と上の句を付け、震えながら返した。
・公任の句は白居易『白氏文集』の漢詩をふまえ、漢詩・和歌の教養を競う宮廷文化のやりとりになっている。
・のちに俊賢の宰相らが『内侍に推薦しよう』と評定したと伝わり、清少納言の機知が高く評価されたことが示される。
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