1. はじめに
「すさまじきもの」は、清少納言が「興ざめなもの(がっかりするもの・しらけるもの)」を次々に挙げていく、いわゆる『枕草子』の「ものづくし(類聚段)」の代表的な一段です。昼に吠える犬、春の網代(あじろ)といった『時季はずれ』のおかしみから始まり、後半は『除目(じもく)』という役人の人事発表で官職を得られなかった人の家の、期待がしぼんでいくようすを生き生きと描きます。
2. 原文
【一(ものづくし)】
すさまじきもの。昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼ひ。児亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうち続き女児産ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などはいとすさまじ。
【二(除目に司得ぬ人の家)】
除目に司得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、出で入る車の轅もひまなく見え、もの詣でする供に、我も我もと参り仕うまつり、物食ひ酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど、耳立てて聞けば、先追ふ声々などして、上達部などみな出でたまひぬ。もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男、いともの憂げに歩み来るを見る者どもは、え問ひだにも問はず、ほかより来たる者などぞ、「殿は何にかならせたまひたる」など問ふに、いらへには「何の前司にこそは」などぞ、必ずいらふる。
【三(去りゆく人々)】
まことに頼みける者は、いとなげかしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて去ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎ歩きたるも、いとほしうすさまじげなり。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
【一(ものづくし)】
興ざめなもの(=がっかりして、しらけてしまうもの)。昼に吠える犬。春の網代(=冬に氷魚をとる仕掛けで、春には用ずみのもの)。三、四月の紅梅襲(がさね)の衣(=紅梅は冬から早春の色で、今ごろ着るのは季節はずれ)。牛が死んでしまった牛飼い。赤ん坊が死んでしまった産屋(うぶや)。火をおこしていない角火鉢や、いろり。博士(=学者の家。跡継ぎは男に限られる)が、続けて女の子ばかり生ませること。方違え(かたたがえ)に行ったのに、ごちそうでもてなしてくれない所。まして節分の方違えなどは(みんな出歩く晩なのにもてなしがないと)たいそう興ざめである。
【二(除目に司得ぬ人の家)】
除目(=官職を任命する行事)で官職を得られなかった人の家(は興ざめだ)。「今年こそは必ず(任官する)」と聞いて、以前仕えていた者たちで、今はよそへ離れている者や、田舎めいた所に住む者などが、みな集まって来て、出入りする牛車の轅(ながえ=牛をつなぐ棒)もすき間がないほど(ぎっしり)見え、(主人が任官祈願の)物詣でをするお供にと、我も我もとお仕え申し上げ、物を食べ酒を飲み、大声で騒ぎ合っているのに、(除目の)終わる明け方まで門をたたく音(=吉報の知らせ)もしない。おかしいなと耳をそばだてて聞くと、(貴人の)先払いの声々などがして、上達部(かんだちめ=高位の人々)などはみな(任官式から)退出なさってしまった。様子を聞きに、宵のうちから寒がってふるえていた下働きの男が、たいそうつらそうに歩いて来るのを、(家の)者たちは(結果が気になって)たずねることさえできず、よそから来た者などが「殿は何におなりになったのか」などとたずねると、その答えには「何々の前司(=前の国守、つまり今回も任官できなかった)でいらっしゃるよ」などと、決まって答えるのだ。
【三(去りゆく人々)】
本当にあてにしていた者は、たいそう嘆かわしいと思っている。翌朝になって、すき間なく(家に)詰めていた者たちが、一人二人とこっそり抜け出して去って行く。古くから仕えていて、そう簡単には離れて行けない者は、来年(国司が交代になる)国々を、指を折って数えなどして、(落ち着かず)体を揺すって歩き回っているのも、気の毒で、いかにも興ざめなようすである。
4. 重要語句
- すさまじ…興ざめだ。期待外れで、しらけて、おもしろくない。時季や場にそぐわず不調和な感じをいう(現代語の「すさまじい=ものすごい」とは意味が違うので注意)
- 網代(あじろ)…冬に川で氷魚(ひお)をとるための仕掛け。冬の景物なので「春の網代」は時季はずれで興ざめ
- 紅梅の衣…紅梅襲(がさね)の衣。冬から早春に着る配色。三、四月に着るのは季節はずれ
- 産屋(うぶや)…出産のために設けた部屋・建物。「児亡くなりたる産屋」は本来あるべき喜びが失われた状態
- 方違へ(かたたがへ)…陰陽道で、行く方角が悪いとき、いったん別方向へ泊まってから目的地へ向かう風習
- あるじす…客をもてなす、ごちそうする。「あるじせぬ所」=もてなしてくれない所
- 除目(じもく)…大臣以外の官職を任命する朝廷の行事。任官の発表の場
- ののしる…大声で騒ぐ。声高にわいわい言う(現代語の「悪口を言う」の意ではない)
- 上達部(かんだちめ)…三位以上および参議の高位の貴族たち。「殿上人(てんじょうびと)」より上の身分
- 前司(ぜんじ)…前任の国司(国守)。「何の前司にこそ」=結局また任官できず前の地位のまま、ということ
- いとほし…気の毒だ、かわいそうだ(現代語の「いとおしい=かわいい」とは意味がずれる)
- つとめて…早朝。翌朝。ここでは除目の結果が出た「翌朝」
5. 文法・読解のポイント
- 形容詞「すさまじ」の意味…シク活用の形容詞で「興ざめだ・しらける」の意。現代語「すさまじい=程度がはなはだしい」と混同しないことが頻出ポイント。連体形「すさまじき+もの」で「興ざめなもの」
- 連体形の体言止め(列挙)…「昼ほゆる犬」「春の網代」など、用言の連体形や名詞で言い切る形を重ね、テンポよく事物を並べる「ものづくし」の文体。「ほゆる」はヤ行下二段「ほゆ」の連体形
- 完了・存続の助動詞「たり」…「牛死にたる牛飼ひ」「児亡くなりたる産屋」「博士の…産ませたる」の「たる」は完了・存続「たり」の連体形。「~してしまった」状態を表す
- 尊敬語の方向(誰への敬意か)…「ならせたまひたる」「出でたまひぬ」の「す(せ)」+「たまふ」は尊敬。任官を待つ「殿」や「上達部」など身分の高い人への敬意で、作者から登場人物への敬意を読み取る問題が出やすい
- 完了の助動詞「ぬ」と過去・存続…「出でたまひぬ」の「ぬ」は完了「ぬ」の終止形(打消「ず」の連体形『ぬ』と区別する)。「すべり出でて去ぬ(いぬ)」の「去ぬ」はナ変動詞で「立ち去る」
- 「ののしる」「いとほし」など意味の変化した語…「ののしる」=大声で騒ぐ、「いとほし」=気の毒だ、「あるじす」=もてなす、など、現代語と意味がずれる語の語義が問われやすい
- 心情語による批評…末尾「いとほしうすさまじげなり」は、去れない古参を「気の毒で、いかにも興ざめなようすだ」と評する。形容動詞「すさまじげなり」(いかにも興ざめな様子だ)で段全体を締めくくる構成を押さえる
6. 主題・あらすじ・背景
あらすじ:「興ざめなもの」を列挙する一段。前半は、昼に吠える犬・春の網代・季節はずれの紅梅の衣など、時季や場にそぐわない不調和なものを次々に挙げる。後半は、人事発表(除目)で官職を得られなかった人の家を描く。集まった人々が酒宴で騒ぐが吉報は来ず、結果が出ると、頼りにしていた者も古参の者も気まずく去っていくか、来年に望みをつなぐ。期待が裏切られたときのしらけた空気を、具体的な場面で鋭く写し取る。
主題:時季や場にそぐわない不調和なもの、そして期待が大きく裏切られたときに生まれる「興ざめ(すさまじ)」の感覚を、日常の小事から人事の悲喜劇まで具体的に並べて描く。とりわけ除目に外れた家の描写には、人間の打算や情けなさを冷静に見つめる清少納言の鋭い観察眼が表れている。
背景:『枕草子』は平安時代中期(一〇〇一年ごろ成立)に清少納言が書いた随筆で、『徒然草』『方丈記』と並ぶ「日本三大随筆」の一つ。一条天皇の中宮定子(ていし)に仕えた経験をもとに、宮廷生活の見聞や感想をつづる。内容は「ものづくし(類聚段)」「日記的章段」「随想的章段」に大別され、「すさまじきもの」は同種のものを集めて論じる「ものづくし」の代表例である。
確認クイズ(3問)
古文の「すさまじ」は現代語の「すさまじい(程度がはなはだしい)」とは意味が違います。古文ではどういう意味ですか。
興ざめだ、期待外れでしらける、おもしろくない、という意味です。時季や場にそぐわない不調和な感じをいいます。
「春の網代」がなぜ「すさまじきもの(興ざめ)」なのですか。
網代は冬に氷魚をとるための仕掛けで、冬の景物です。春になっても残っている網代は時季はずれで不調和なため、興ざめだとされています。
「除目に司得ぬ人の家」の場面で、最後に古くからの従者たちはどうしていますか。
主人が今回も任官できなかったため、来年に国司が交代する国々を指折り数えて望みをつなぎ、落ち着かず体を揺すって歩き回っています。それを作者は「気の毒で興ざめだ」と評しています。
7. つまずきやすいポイント・入試での問われ方
- 「すさまじ」を現代語の「すさまじい(=ものすごい・程度が激しい)」と取り違える誤訳。古文では『興ざめだ・しらける』が基本義。
- 「網代」「紅梅の衣」がなぜ興ざめなのか(=季節はずれ・時季の不調和)という『理由』を問う設問が定番。単語の意味だけでなく背景を押さえる。
- 「除目」「上達部」「前司」など、平安の官職・人事制度に関する語の知識。「何の前司にこそ」=『結局また任官できなかった』という含意を読み取れるかがポイント。
- 「いとほし=気の毒だ」「ののしる=大声で騒ぐ」「あるじす=もてなす」など、現代語と意味のずれる重要古語の語義。
- 敬語「せたまふ」「たまふ」が誰から誰への敬意かを問う問題。作者から、任官を待つ家の主人や上達部への敬意であることを確認する。
8. まとめ
・「すさまじ」=興ざめだ・しらける。現代語の『すさまじい』とは意味が違うことを必ず押さえる。
・前半は『時季・場にそぐわない不調和』(昼の犬・春の網代・紅梅の衣など)を列挙する「ものづくし」。
・後半「除目に司得ぬ人の家」は、人事に外れた家で期待がしぼみ、人々が去っていく『期待外れ』の興ざめを描く。
・具体例を並べて人間や世間を冷静に観察・批評する、清少納言らしい鋭い視点が読みどころ。
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