1. はじめに ― 「検非違使忠明」ってどんな場面?
『宇治拾遺物語』の一話。都の治安を守る役人・忠明が若いころ、清水寺で京の若者たち(京童部)に取り囲まれ、絶体絶命のピンチを蔀(しとみ=板戸)をパラシュートのように使って切り抜けた、というスピード感あふれる武勇譚です。短いのに文法の見どころが詰まっていて、教科書の定番です。
2. 原文
これも今は昔、忠明といふ検非違使ありけり。それが若かりけるとき、清水の橋のもとにて京童部どもといさかひをしけり。京童部、手ごとに刀を抜きて、忠明を立てこめて殺さむとしければ、忠明も太刀を抜きて、御堂ざまに上るに、御堂の東のつまにも、あまた立ちて向かひ合ひたれば、内へ逃げて、蔀のもとを脇にはさみて、前の谷へ躍り落つ。蔀、風にしぶかれて、谷の底に鳥のゐるやうにやをら落ちにければ、それより逃げて去にけり。
京童部ども、谷を見おろしてあさましがり、立ち並みて見けれども、すべきやうもなくて、やみにけりとなむ。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
これも今となっては昔のこと、忠明という検非違使がいた。彼が若かったとき、清水寺の橋のたもとで京の若者たちとけんかをした。若者たちはめいめい刀を抜いて忠明を取り囲んで殺そうとしたので、忠明も太刀を抜いて御堂の方へ上ったが、御堂の東の端にも大勢が立ちふさがって向かい合ったので、(御堂の)内へ逃げ、蔀の下半分を脇にはさんで、目の前の谷へ飛び降りた。蔀は風に押し上げられて、谷底に鳥がとまるようにそっと落ちたので、忠明はそこから逃げ去った。
若者たちは谷を見下ろして驚きあきれ、並んで見ていたが、どうしようもなくて、そのまま終わったということだ。
4. 重要語句・文法のポイント
覚えておきたい語句
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 京童部(きやうわらんべ) | 京の町の血気盛んな若者たち |
| いさかひ | けんか・争い |
| 手ごとに | めいめいの手に |
| つま | 端・隅 |
| 蔀(しとみ) | 格子に板を張った上げ下げ式の戸 |
| やをら | そっと・静かに |
| あさましがる | 驚きあきれる |
| やみぬ | 終わりになる |
文法・表現のポイント
①「殺さむとしければ」——「む」は意志(殺そう)。「〜むとす」で「〜しようとする」。
②「鳥のゐるやうに」——「の」は主格(鳥がとまるように)。比喩の「やうなり」とセットで頻出。
③「落ちにければ」——完了「ぬ」連用形「に」+過去「けり」已然形+「ば」(確定条件)。「〜てしまったので」。
④「やみにけりとなむ」——文末の「なむ」は係助詞で、結び「言ふ」などが省略された形。説話の締めくくりの定番です。
5. 主題・あらすじ・背景
主題
機転と度胸で絶体絶命を切り抜ける痛快さ。蔀を翼のように使う発想の鮮やかさが、短い文章で見事に描かれます。
背景
検非違使は都の警察・裁判を担う役人。清水寺の「前の谷」は、現在の清水の舞台の下の谷にあたります。
確認クイズ(3問)
Q1. 「殺さむとしければ」の「む」の意味は?
ア 推量 イ 意志 ウ 婉曲
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正解:イ 解説:京童部が「殺そう」とした、という意志です。
Q2. 忠明が谷へ飛び降りるときに使ったものは?
ア 太刀 イ 蔀 ウ 御堂の扉
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正解:イ 解説:蔀の下半分を脇にはさみ、風を受けてそっと着地しました。
Q3. 文末「やみにけりとなむ」の「なむ」の説明として正しいものは?
ア 願望の終助詞 イ 完了+推量 ウ 係助詞(結びの省略)
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正解:ウ 解説:下に「言ふ」などが省略された係助詞。説話の結びの定番表現です。
6. 場面をていねいに読みほどく
この話は短いですが、場面が「けんかの発生→追いつめられる→脱出→若者たちの呆然」と、わずか数行でめまぐるしく動きます。順番に整理すると、ぐっと読みやすくなります。
- けんかの発生……忠明が清水寺の橋のたもとで京童部(きょうわらわべ)たちと言い争いになります。
- 追いつめられる……若者たちが刀を抜いて取り囲み、「殺してしまおう」と迫ります。忠明も太刀を抜いて応戦しながら、清水寺の御堂(本堂)のほうへと上っていきます。
- 逃げ場をふさがれる……ところが御堂の東の端にも大勢が待ち構えていて、前にも後ろにも進めなくなります。
- とっさの脱出……忠明は御堂の内に逃げこみ、蔀(しとみ=上げ下げ式の板戸)の下半分をはずして脇にかかえ、目の前の谷へ思いきって飛び降ります。
- 奇跡の着地……蔀が風を受けて、まるで谷底に鳥がそっと舞い下りるように、ゆっくりと着地。忠明はそのまま逃げ去ります。
- 追っ手の呆然……京童部たちは谷を見下ろして驚きあきれ、どうすることもできず、けんかはそれっきりになった、というのです。
注目したいのは、忠明が「強さ」で勝ったのではなく、とっさの機転で勝ったという点です。刀の数では圧倒的に不利。それでも身近にあった蔀を「翼」に変えて窮地を脱します。武勇譚でありながら、知恵と度胸の物語になっているところが、この話のおもしろさです。
7. 原文と現代語訳を一文ずつ確認
つまずきやすい箇所を、原文と現代語訳を並べて確認しましょう。声に出して読むと、文の切れ目がつかみやすくなります。
原文:忠明も太刀を抜きて、御堂ざまに上るに、御堂の東のつまにも、あまた立ちて向かひ合ひたれば、内へ逃げて、
現代語訳:忠明も太刀を抜いて、御堂のほうへ上っていくと、御堂の東の端にも大勢が立って(忠明と)向かい合っていたので、(御堂の)内へ逃げて、
「御堂ざま」の「ざま」は「〜のほう・〜の方向」という意味。「つま」は建物の「端・はし」のことです(「妻」と書くこともあります)。「向かひ合ひたれば」の「ば」は已然形+「ば」で確定条件、「〜ので」と訳します。
原文:蔀のもとを脇にはさみて、前の谷へ躍り落つ。
現代語訳:蔀の下のほうを脇にかかえて、目の前の谷へ飛び降りる。
「躍り落つ」の「落つ」はタ行上二段活用の動詞で、終止形は「落つ」。現代語の「落ちる」にあたります。ここは現在形のように生き生きと描かれており、場面の緊迫感を高めています。
原文:蔀、風にしぶかれて、谷の底に鳥のゐるやうにやをら落ちにければ、
現代語訳:蔀は風に吹き上げられて、谷底に鳥がとまる(舞い下りる)ようにそっと落ちたので、
「しぶかる」は風に押し戻される・吹きあおられること。「ゐる」はワ行上一段活用「ゐる(居る)」で、ここでは鳥が「とまる・じっととどまる」の意。「やをら」は「そっと・静かに」で、激しく落下したのではなく、ふわりと着地した様子を表します。
8. 文法・語法をもう一歩くわしく
「ありけり」「しけり」の「けり」
「忠明といふ検非違使ありけり」「いさかひをしけり」の「けり」は、過去の助動詞です。とくに説話・物語の語り出しに使われる「けり」は、「(昔こういうことが)あったということだ」と、人から伝え聞いた過去(伝聞過去)の気持ちを含みます。「これも今は昔」という決まり文句とセットで、「昔こんな話があったよ」と語り始める合図になっています。
「殺さむとしければ」の組み立て
「殺さ+む+と+し+けれ+ば」と分解できます。「む」は意志の助動詞で「〜しよう」。「〜むとす」で「〜しようとする」という形になります。「し」はサ変動詞「す」の連用形、「けれ」は過去「けり」の已然形、「ば」は確定条件で「〜したので」。全体で「殺そうとしたので」と訳します。「む」を推量「〜だろう」と取らないよう注意しましょう。ここは京童部のはっきりした意志です。
「鳥のゐるやうに」の「の」
この「の」は主格の格助詞で、「鳥が(とまる)ように」と訳します。「の」には連体修飾(〜の)・主格(〜が)・同格(〜で)などの用法があり、入試では「の」の識別がよく問われます。ここは下に動詞「ゐる」が続いているので、「鳥が」という主語を示していると見抜けます。
「落ちにけり」の「に」
「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形です。「落ち(連用形)+に(完了)+けれ(過去)+ば」で「落ちてしまったので」。完了「ぬ」と過去「けり」が重なると「〜てしまった」という動作の完了+過去のニュアンスになります。「に」を断定「なり」の連用形や格助詞「に」と取り違えないよう、上に動詞の連用形があるかを確認しましょう。
「やみにけりとなむ」の結びの省略
文末の「なむ」は係助詞で、本来なら下に連体形の結びの語が来るはずですが、ここでは「言ふ」「語り伝へたる」などが省略されています。「(…で終わってしまった)ということだ」と、伝え聞いた話を結ぶ言い方です。説話集ではこの「〜となむ」で話を締めくくる形がとても多く、見つけたら「結びの省略だな」と気づけるようにしておきましょう。
9. 入試・定期テストでの問われ方
この話は短いぶん、限られた語句・文法が集中的に問われます。次のポイントを押さえておくと得点しやすくなります。
- 助動詞「む」の意味……「殺さむ」が意志か推量か。主語が誰かを見て判断します。
- 格助詞「の」の識別……「鳥のゐる」の「の」を主格と見抜けるか。
- 完了「ぬ」+過去「けり」……「落ちにけり」を「落ちてしまった」と正しく訳せるか。
- 係助詞「なむ」と結びの省略……文末「となむ」の説明問題。
- 語句の意味……「やをら」「あさましがる」「つま」「いさかひ」など、現代語と意味がずれる語。
- 内容理解……忠明が何を使って・どうやって脱出したかを説明させる記述問題。
とくに「やをら」は要注意。「やをら=そっと・静かに」であって、「やにわに(=突然)」とは正反対の意味です。混同しやすいので、「やをら=ゆっくり、そっと」とセットで覚えましょう。
10. つまずきやすいポイント
- 「あさまし」をマイナスに取りすぎない……現代語の「あさましい(みっともない)」と違い、古語の「あさまし」は「驚きあきれる」が基本。良いことにも悪いことにも、予想外で驚いたときに使います。ここでは「(脱出の鮮やかさに)驚きあきれた」というプラス寄りの驚きです。
- 「ゐる」と「居る(おる)」の違い……「ゐる」はワ行上一段。「すわる・とまる・存在する」の意味。鳥が「ゐる」は「とまる」と訳すと自然です。
- 飛び降りたのは忠明、落ちたのは蔀ごと……「蔀、風にしぶかれて…落ちにけり」の主語は「蔀」。蔀が風を受けたおかげで、忠明も一緒にゆっくり着地できた、という因果関係を取り違えないようにします。
- 「前の谷」はどこか……「前の谷」は忠明の目の前の谷、つまり清水寺の本堂(清水の舞台)の下に広がる谷をさします。「以前の谷」ではありません。
11. ミニ練習問題(解答つき)
問1 傍線「いさかひ」の意味として最も適切なものを選びなさい。
ア あいさつ イ けんか・争い ウ 約束 エ うわさ
問2 「躍り落つ」の主語は誰か、本文中の言葉で答えなさい。
問3 「やをら」の意味を答えなさい。
問4 忠明が谷へ飛び降りても無事だったのはなぜか、本文に即して簡潔に説明しなさい。
問5 文末「やみにけりとなむ」の「なむ」の文法的な説明として正しいものを選びなさい。
ア 願望の終助詞 イ 強意の係助詞で結びが省略されている ウ 完了の助動詞+推量の助動詞
【解答】
問1 イ(けんか・争い)
問2 忠明
問3 そっと・静かに(ゆっくりと)
問4 脇にかかえた蔀が風を受け、谷底に鳥がとまるようにそっと着地したから。
問5 イ(係助詞「なむ」で、下に「言ふ」などの結びが省略されている)
12. よくある質問(Q&A)
Q1.「検非違使」とは何ですか?
A.平安京の治安維持にあたった役人で、今でいう警察と裁判所をあわせたような役目を持っていました。「けびいし」と読みます。忠明はその検非違使でしたが、この話はまだ若かったころのエピソードです。
Q2.「京童部」はどんな人たちですか?
A.京の町に住む血気盛んな若者たちのことです。「きょうわらわべ(きやうわらんべ)」と読みます。集団で気が荒く、しばしば乱暴を働く存在として説話に登場します。
Q3.蔀(しとみ)とは具体的にどんな戸ですか?
A.格子の裏に板を張った、上げ下げ式の戸(建具)です。寝殿造りなどで使われ、ふだんは上半分を金具でつり上げて開けておきます。この話では、その蔀をはずして「翼」のように使い、風を受けてふんわり着地したわけです。
Q4.『宇治拾遺物語』はどんな本ですか?
A.鎌倉時代前期に成立したとされる説話集です。仏教説話から世俗のおもしろい話・こっけいな話まで、幅広い内容を収めています。「これも今は昔」で始まる話が多いのが特徴で、この『検非違使忠明』もその一つです。
13. まとめ
- 『検非違使忠明』は『宇治拾遺物語』に収められた、機転で窮地を脱する痛快な武勇譚。
- 忠明は刀の数で不利な状況を、蔀を「翼」に変えるとっさの機転で切り抜けた。
- 文法の見どころは「殺さむ(意志)」「鳥の(主格)」「落ちにけり(完了+過去)」「となむ(結びの省略)」。
- 語句では「やをら(そっと)」「あさまし(驚きあきれる)」「いさかひ(けんか)」が頻出。
- 短い文章だからこそ、一文ずつ主語と助動詞をていねいに追うのが読解のコツ。
短くてテンポがよいので、まずは音読してあらすじをつかみ、そのあとで文法ポイントを確認すると、無理なく理解が深まります。下のドリルで力試しをして、知識を確かなものにしましょう。
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