1. はじめに ― 「安元の大火」ってどんな場面?
『方丈記(ほうじょうき)』は、鴨長明(かものちょうめい)による鎌倉時代初期の随筆です。「安元(あんげん)の大火」は、安元三年(一一七七年)に都を襲った大火事を、長明自身が見聞した災厄の一つとして描いた章段です。燃え広がる炎の迫力ある描写と、最後に語られる「人の営みのはかなさ」が読みどころです。
2. 原文
いんじ安元三年四月二十八日かとよ。風はげしく吹きて、静かならざりし夜、戌の時ばかり、都の東南より火出で来て、西北に至る。はてには朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などまで移りて、一夜のうちに塵灰となりにき。火もとは樋口富の小路とかや。舞人を宿せる仮屋より出で来たりけるとなん。
吹き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇を広げたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすら炎を地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる炎、飛ぶがごとくして一二町を越えつつ移りゆく。その中の人、うつし心あらんや。あるいは煙にむせびて倒れ伏し、あるいは炎にまぐれてたちまちに死ぬ。あるいは身一つ、からうじて逃るるも、資財を取り出づるに及ばず。七珍万宝さながら灰燼となりにき。その費え、いくそばくぞ。
そのたび、公卿の家十六焼けたり。まして、そのほかは数へ知るに及ばず。すべて都のうち、三分が一に及べりとぞ。男女死ぬるもの数十人、馬・牛のたぐひ辺際を知らず。
人のいとなみ、皆愚かなる中に、さしも危ふき京中の家を作るとて、宝を費やし、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
去る安元三年四月二十八日のことだったでしょうか。風が激しく吹いて、静かではなかった夜、午後八時ごろ、都の東南から火が出て、西北へ広がりました。最後には朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などにまで燃え移って、一夜のうちに塵や灰になってしまいました。火元は樋口富の小路とかいうことです。舞人を泊めていた仮屋から出火したのだそうです。
吹き乱れる風によって、火があちこちへ移っていくうちに、扇を広げたように末広がりになりました。遠くの家は煙にむせび、近くのあたりはただもう炎を地面に吹きつけています。空には灰を吹き上げているので、それが火の光に照り映えて、あたり一面が紅色である中に、風に堪えきれず吹きちぎられた炎が、飛ぶようにして一、二町を越えながら移っていきます。その中にいる人は、正気でいられるでしょうか、いや、いられません。ある者は煙にむせて倒れ伏し、ある者は炎に目がくらんでたちまち死にます。ある者は体ひとつでやっとのことで逃げ出しても、家財を取り出すことはできません。あらゆる財宝が、すっかり灰になってしまいました。その損害は、いったいどれほどだったでしょうか。
この火事のとき、公卿(高位の貴族)の家が十六軒焼けました。まして、それ以外の家は数え切れません。全体で都のうち、三分の一に及んだということです。男女の死者は数十人、馬や牛のたぐいは際限もわかりません。
人の営みは、みな愚かなものですが、その中でも、これほど危険な都の中に家を作るといって、財産を使い、心を悩ませることは、何にもまして、むなしいことでございます。
4. 重要語句・文法のポイント
覚えておきたい語句
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| いんじ | 過ぎ去った(「去にし」の音便) |
| 戌の時 | 午後八時ごろ |
| うつし心 | 正気、しっかりした心 |
| からうじて | やっとのことで |
| さながら | すっかり、残らず |
| いくそばく | どれほど |
| あぢきなし | つまらない、むなしい |
文法・表現のポイント
① 「なりにき」=完了+過去 「塵灰となりにき」「灰燼となりにき」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「き」は過去の助動詞「き」。あわせて「〜になってしまった」という意味です。
② 比況の助動詞「ごとし」 「扇を広げたるがごとく」「飛ぶがごとくして」の「ごとく」は、「〜のように」とたとえる比況の助動詞「ごとし」の連用形です。火の広がり方を視覚的にたとえています。
③ 反語の「や」 「うつし心あらんや」は「正気でいられようか、いや、いられない」という反語です。炎の中の人々の混乱ぶりを強調しています。
④ 係り結び「ぞ〜侍る」 「すぐれてあぢきなくぞ侍る」では、係助詞「ぞ」を受けて、「侍り」が連体形「侍る」で結ばれています。
5. 主題・あらすじ・背景
あらすじ
安元三年四月二十八日の夜、都の東南から出火した火は、強風にあおられ、扇を広げたような形で燃え広がりました。朱雀門や大極殿などの重要な建物も焼け、被害は都の三分の一に及び、公卿の家が十六軒焼け、死者は数十人にのぼりました。長明は最後に、こんなに危険な都の中に家を作ろうとして財産と心をすり減らすことは、この上なくむなしいと結びます。
主題
大火のすさまじさを通して、人の営み(特に住まいへの執着)のはかなさ・むなしさを説くことが主題です。形あるものはあっという間に滅びるという無常観(むじょうかん)が、章段全体を貫いています。
背景(文学史)
『方丈記』は鴨長明による鎌倉時代初期の随筆で、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」という書き出しで有名です。『枕草子』(清少納言)・『徒然草』(兼好法師)とあわせて「三大随筆」と呼ばれます。
確認クイズ(3問)
Q1. 火はどの方角からどの方角へ燃え広がりましたか。
ア 東南から西北へ イ 西北から東南へ ウ 北から南へ
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正解:ア 解説:本文に「都の東南より火出で来て、西北に至る」とあります。方角の問題は定期テストの定番です。
Q2. 「うつし心あらんや」の意味として正しいものはどれですか。
ア 移り気な心があるだろう イ 正気でいられようか、いや、いられない ウ 美しい心を持ちたいものだ
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正解:イ 解説:「うつし心」は「正気」、「や」は反語です。炎の中では誰も正気ではいられない、という意味になります。
Q3. 最終段落で作者が「あぢきなし(むなしい)」と述べているのはどれですか。
ア 火事を見物しに行くこと イ 財宝を灰にしてしまったこと ウ 危険な都の中に家を作ろうと財産と心をすり減らすこと
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正解:ウ 解説:「さしも危ふき京中の家を作るとて、宝を費やし、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る」とあります。無常観の表れです。
まとめ
・火は都の東南から西北へ、「扇を広げたるがごとく」末広がりに燃え広がった
・被害は都の三分の一に及び、公卿の家十六軒が焼けた
・「うつし心あらんや」は反語、「ぞ〜侍る」は係り結び(結びは連体形)
・危険な都に家を作るため財産と心をすり減らすのは「あぢきなし」と結ぶ
・『方丈記』=鴨長明・鎌倉時代初期・随筆。三大随筆の一つ。主題は無常観


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