1. はじめに ― 「神無月のころ」ってどんな場面?
『徒然草(つれづれぐさ)』第十一段「神無月のころ」は、作者の兼好法師(けんこうほうし)が山里の庵(いおり)を訪ね、その静かなたたずまいに心を打たれる場面です。ところが最後に、庭の柑子(こうじ=みかんの一種)の木のまわりが厳重に囲ってあるのを見て、ふと興ざめしてしまいます。短い文章の中に、兼好の繊細な美意識がぎゅっと詰まった名段です。
2. 原文
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入ること侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
神無月(陰暦十月)のころ、栗栖野(くるすの)という所を通り過ぎて、ある山里に人を訪ねて入って行くことがございましたが、はるかに続く苔の細道を踏み分けて行くと、心細いようすでひっそりと住みなしている庵があります。木の葉に埋もれている懸樋(かけひ=水を引く樋)の雫の音のほかには、まったく音を立てるものがありません。閼伽棚(あかだな=仏に供える水や花を置く棚)に菊や紅葉などが折って散らしてあるのは、(人けがないようでいて)それでもやはり、住む人がいるからなのでしょう。
「こんな寂しい所でも住んでいられるものだなあ」としみじみ心を動かされながら見ているうちに、向こうの庭に、大きな柑子の木で、枝もたわむほど実がなっているのがあり、そのまわりを厳重に囲ってあったのには、少し興ざめして、「この木がなかったらよかったのに」と思われたのでした。
4. 重要語句・文法のポイント
覚えておきたい語句
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 尋ね入る | 訪ね歩いて中へ入っていく |
| 住みなす | (その場所を住まいとして)落ち着いて住む |
| つゆ〜なし | まったく〜ない(呼応の表現) |
| おとなふ | 音を立てる(「訪れる」の意味もある) |
| さすがに | そうはいってもやはり |
| きびし | 厳重だ(現代語の「つらい」とは違う) |
| ことさむ | 興ざめする |
文法・表現のポイント
① 反実仮想「ましかば(〜まし)」 「この木なからましかば」は「もしこの木がなかったら(よかったのに)」という意味です。事実に反することを仮定する反実仮想の表現で、本来は下に「〜まし」が来ますが、ここでは省略されています。
② 係り結び「こそ〜しか」 「囲ひたりしこそ……覚えしか」では、係助詞「こそ」を受けて、文末の「しか」(過去の助動詞「き」の已然形)が已然形で結ばれています。
③ 可能の「られ」 「かくてもあられけるよ」の「られ」は可能の助動詞「らる」。「こんな環境でも住んでいられるものだなあ」という意味になります。
④ 限定の「ならでは」 「懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし」の「ならでは」は「〜以外には」の意味で、下の「なし」と呼応し、「雫の音以外にはまったく音がない」という限定を表します。
5. 主題・あらすじ・背景
あらすじ
神無月のころ、作者は山里の奥にひっそりと建つ庵を見つけます。雫の音しかしない静けさと、閼伽棚の菊や紅葉に住む人の心づかいを感じて「あはれ」と感動しますが、庭の柑子の木が厳重に囲ってあるのを見て興ざめし、「この木がなかったらよかったのに」と思うのでした。
主題
俗世の欲を感じさせない、ひっそりと閑寂(かんじゃく)なたたずまいにこそ趣がある——これが兼好の美意識です。実を取られまいとする厳重な囲いに、住む人の所有への執着(俗っぽさ)が透けて見えた瞬間、それまでの感動が一気にさめてしまったのです。
背景
『徒然草』は鎌倉時代末期に兼好法師が書いた随筆です。平安時代の『枕草子』(清少納言)、鎌倉時代の『方丈記』(鴨長明)とあわせて「三大随筆」と呼ばれます。
確認クイズ(3問)
Q1. 「つゆおとなふものなし」の意味として正しいものはどれですか。
ア 露が落ちる音だけが聞こえる イ まったく音を立てるものがない ウ 少しだけ物音がする
答えを見る
正解:イ 解説:「つゆ〜なし」で「まったく〜ない」という呼応の表現です。「おとなふ」はここでは「音を立てる」の意味です。
Q2. 作者が「少しことさめて」しまった理由はどれですか。
ア 柑子の木のまわりが厳重に囲ってあったから イ 庵に誰も住んでいなかったから ウ 庭に菊や紅葉が散らかっていたから
答えを見る
正解:ア 解説:本文に「まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて」とあります。囲いに住む人の執着を感じて興ざめしたのです。
Q3. 「この木なからましかば」に使われている文法(構文)はどれですか。
ア 推量 イ 打消 ウ 反実仮想
答えを見る
正解:ウ 解説:「ましかば(〜まし)」は「もし〜だったら…だろうに」と、事実に反することを仮定する反実仮想の構文です。
まとめ
・山里の庵の静かなたたずまいに、作者は「あはれ」と心を動かされた
・柑子の木の厳重な囲いに俗世への執着を感じ、興ざめした
・「この木なからましかば」は反実仮想(下の「まし」が省略されている)
・「こそ〜しか」の係り結び(「しか」は過去「き」の已然形)が頻出
・『徒然草』=兼好法師・鎌倉時代末期・随筆。三大随筆の一つ


コメント