1. はじめに ― 「道長の豪胆(肝だめし)」ってどんな場面?
『大鏡』の名場面。五月雨の不気味な闇夜、花山院(帝)の「こんな夜に一人で行けるか」という挑発に、道隆・道兼の兄たちがしりごみする中、末弟の道長だけが平然と大極殿へ行き、証拠に柱を削って持ち帰る話です。三兄弟の対比と、帝への最高敬語が問われる超定番です。
2. 原文(核心部分)
「今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ。かく人がちなるだに、気色おぼゆ。まして、もの離れたる所などいかならむ。さあらむ所に一人往なむや。」と仰せられけるに、「えまからじ。」とのみ申し給ひけるを、入道殿は、「いづくなりともまかりなむ。」と申し給ひければ、……「道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿へ行け。」と仰せられければ……
中関白殿、陣まで念じておはしましたるに、宴の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、術なくて帰り給ふ。粟田殿は、露台の外まで、わななくわななくおはしたるに、……「身の候はばこそ、仰せ言も承らめ。」とて、おのおの立ち帰り参り給へれば……
入道殿は、……いとさりげなく、ことにもあらずげにて、参らせ給へる。……「ただにて帰り参りて侍らむは、証候ふまじきにより、高御座の南面の柱のもとを削りて候ふなり。」と、つれなく申し給ふに、いとあさましく思し召さる。……つとめて、「蔵人して、削り屑をつがはしてみよ。」と仰せ言ありければ、持て行きて押しつけて見たうびけるに、つゆ違はざりけり。
3. 現代語訳(やさしい言葉で)
「今夜はじつに気味の悪い夜のようだ。こんなに人が大勢いてさえ何かの気配が感じられる。まして人気のない所はどうだろう。そんな所に一人で行けるか」と帝がおっしゃると、(道隆・道兼は)「とても参れますまい」とだけ申し上げたのに、道長は「どこへなりとも参りましょう」と申し上げた。……帝は「道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿へ行け」とおっしゃった。
道隆は陣まで我慢して行ったが、宴の松原のあたりで正体不明の声々が聞こえ、どうしようもなくて引き返した。道兼は露台の外までふるえながら行ったが、……「命があってこそご命令も承れましょう」と言って、それぞれ引き返して参上した。
道長はまったく平気な様子で戻り、「手ぶらで帰参しては証拠がございませんので、高御座の南面の柱の根もとを削ってまいりました」と平然と申し上げたので、帝はたいそう驚きあきれなさった。……翌朝、削り屑を持って行かせて柱に当てさせたところ、少しも違わなかった。
4. 重要語句・文法のポイント
覚えておきたい語句
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| さうざうし | もの足りない・心さびしい |
| むつかしげなり | 気味が悪い・うっとうしい |
| まかる | (高貴な所から)退出する・参る(謙譲) |
| 念ず | 我慢する・こらえる |
| 術(ずち)なし | どうしようもない |
| つれなし | 平然としている |
| あさまし | 驚きあきれる |
| つとめて | 翌朝・早朝 |
| つゆ〜(打消) | 少しも〜ない |
文法・表現のポイント
①「出でさせおはしまして」「笑はせ給ふ」——「させおはします」「せ給ふ」は二重尊敬(最高敬語)。帝(花山院)の動作にだけ使われ、人物特定の決め手になります。
②「えまからじ」——「え」+打消で不可能、「じ」は打消意志。「とても参上できますまい」。兄二人の言葉です。
③「一人往なむや」——ナ変「往ぬ」未然形+「む」+係助詞「や」(反語的な問いかけ)。
④敬語の使い分け——帝には最高敬語、道長たちには「申し給ふ」(謙譲+尊敬)。誰から誰への敬意かが定番の設問です。
5. 主題・あらすじ・背景
主題
後に栄華を極める道長の、若き日の豪胆さ。兄たちが恐怖で引き返す中、証拠の削り屑まで用意する冷静さが、三兄弟の対比でくっきり描かれます。
背景
『大鏡』は藤原道長の栄華を中心に語る歴史物語。「入道殿」は道長、「中関白殿」は道隆、「粟田殿」は道兼の呼び名です。この呼び分けを覚えておくと読解が一気に楽になります。
確認クイズ(3問)
Q1. 「えまからじ」の訳として正しいものは?
ア 行かないでほしい イ とても参れますまい ウ 早く行きたい
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正解:イ 解説:「え」+打消で不可能、「じ」は打消意志。兄二人のしりごみの言葉です。
Q2. 「笑はせ給ふ」の「せ給ふ」が表すものは?
ア 使役 イ 受身 ウ 二重尊敬
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正解:ウ 解説:帝の動作につく最高敬語。「せ」を使役と取り違えないことが大切です。
Q3. 道長が大極殿から持ち帰ったものは?
ア 御扇 イ 柱の削り屑 ウ 小刀
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正解:イ 解説:高御座の南面の柱の根もとを削って証拠とし、翌朝の検証でぴたりと一致しました。
6. 三兄弟の対比をくわしく ― 「同じ場面」を3回くりかえす効果
この話のいちばんのおもしろさは、まったく同じ「肝だめし」という課題を、道隆・道兼・道長の三人が順番にこなしていく点にあります。同じ条件・同じ闇夜なのに、結果がまるで違う。だからこそ、最後に登場する道長の落ち着きが、いっそう際立って見えるのです。文章を読むときは、三人がそれぞれ「どこまで行けたか」「どんな様子だったか」を並べて整理すると、作者のねらいがはっきりつかめます。
- 道隆(中関白殿)……陣(じん)まで「念じて」=必死にこらえて行ったが、宴の松原のあたりで正体不明の声を聞き、どうしようもなくなって引き返す。「念ず=我慢する」が効いていて、本当は怖くてたまらないのを耐えていた様子が伝わります。
- 道兼(粟田殿)……露台の外まで「わななくわななく」=ぶるぶる震えながら行ったが、結局たどり着けずに戻る。「命があってこそご命令も承れる」という言いわけが、恐怖に負けた弱さをにじませます。
- 道長(入道殿)……「いとさりげなく、ことにもあらずげにて」=まるで何でもないことのように、平然と大極殿まで往復し、しかも証拠に柱を削って持ち帰る。恐怖の描写がいっさいないのが、かえって豪胆さを物語ります。
ポイントは、道隆・道兼には「念じて」「わななくわななく」という恐怖や緊張をあらわす言葉がついているのに、道長にはそれがいっさいないことです。作者は道長を直接ほめる言葉を使わず、「対比」と「平然とした態度」だけで彼の人物像を浮かび上がらせています。設問でも「道長の人物像を説明せよ」と問われたら、この「対比による際立たせ方」に触れると高評価になります。
7. 敬語をもう一歩ふみこんで ― 「誰から誰へ」を見抜くコツ
『大鏡』はもともと、年老いた語り手(大宅世継・夏山繁樹)が昔話を語る、という形式の歴史物語です。そのため敬語が複雑になりがちで、入試でも「この敬語は誰から誰への敬意か」が必ずと言ってよいほど問われます。古文の敬語は大きく三種類。尊敬語(動作をする人を高める)・謙譲語(動作を受ける人を高める)・丁寧語(聞き手を高める)です。これを土台に、本文の敬語を整理してみましょう。
- 最高敬語(二重尊敬)「させ給ふ」「せ給ふ」「おはします」……この場面では花山院(帝)の動作にだけ使われます。だから「させおはしまして」とあれば、その主語は帝だと判断できます。主語を補う問題の最大の手がかりです。
- 「申し給ふ」……「申す」は謙譲語(帝への敬意)、「給ふ」は尊敬語(道長たち兄弟への敬意)。一つの言葉に二方向の敬意が込められた形で、語り手から「兄弟は帝に申し上げた」という関係を示します。
- 「仰せらる」「仰せ言」……「仰す」は「言ふ」の尊敬語で、帝が命じる・おっしゃる動作に使われます。
コツは、まず最高敬語を見つけて「帝の動作だ」と決めること。次に「申す」「まかる」などの謙譲語を見つけて「これは帝に対してへりくだっているのだな」と読むこと。この二段構えで、登場人物が省略されていても誰の動作かを高い確率で当てられます。
8. つまずきやすいポイント
- 「せ給ふ」の「せ」を使役と取り違える……「せ給ふ」「させ給ふ」は、上に動作主が高貴な人ならまず二重尊敬(最高敬語)。使役なら「〜に〜せさせる」と相手がいるはずです。文脈で判断しましょう。
- 「念ず」を「祈る」とだけ覚える……「念ず」には「祈る」のほかに「我慢する・こらえる」の意味があり、ここでは後者。道隆が恐怖をこらえて進んだ様子を表します。
- 「あさまし」を「あさましい(みっともない)」と訳す……古語の「あさまし」は善悪に関係なく「驚きあきれる」が基本義。ここでは帝が道長の豪胆さに驚いた、よい意味でのおどろきです。
- 呼び名と本名がつながらない……「入道殿=道長」「中関白殿=道隆」「粟田殿=道兼」。この対応を先に頭に入れておかないと、誰の行動かを見失います。
- 「往(い)ぬ」の活用……ナ行変格活用で「往な・往に・往ぬ・往ぬる・往ぬれ・往ね」。「往なむや」は未然形+推量「む」+係助詞「や」の形です。
9. ミニ練習問題(解答つき)
問1 「つれなく申し給ふ」の「つれなく」の意味として最も適切なものを選びなさい。
ア 冷たく イ 平然として ウ すげなく断って
問2 「いとあさましく思し召さる」の主語は誰か。本文の呼び名で答えなさい。
問3 道長が「証拠」として持ち帰ったものは何か。また、それが本物だと確かめられたのはどんな方法によってか、簡潔に説明しなさい。
問4 「わななくわななく」はどういう様子を表しているか。漢字をまじえて答えなさい。
【解答】
問1 イ(平然として)。ここでは「冷淡」ではなく、何事もないかのように落ち着いている様子を表します。
問2 花山院(帝)。最高敬語「思し召さる」が使われているので、主語は帝です。
問3 高御座(たかみくら)の南面の柱の根もとを削った「削り屑」。翌朝、その削り屑を柱に当ててみたところ、ぴたりと一致したことで本物だと確かめられました。
問4 ぶるぶると震える様子(恐怖でふるえながら進む様子)。道兼の臆病さを表しています。
10. よくある質問(Q&A)
Q.『大鏡』はどんな作品ですか。
A.平安時代後期に成立したと考えられる歴史物語で、藤原道長の栄華を中心に、文徳天皇から後一条天皇までの時代を描きます。年老いた語り手たちが昔を回想して語る、という形式が特徴です。「四鏡(しきょう)」と呼ばれる歴史物語の一つで、批判精神に富んだ記述でも知られます。
Q.「肝だめし」は実際にあった出来事ですか。
A.『大鏡』は歴史物語ですが、語り手の回想という形をとり、人物の性格を印象づけるための逸話(エピソード)も多く含みます。この話も、道長の豪胆さという人物像を伝えるための逸話として読むのがよいでしょう。歴史的事実かどうかより、「作者が道長をどう描こうとしたか」を読み取ることが大切です。
Q.「高御座(たかみくら)」とは何ですか。
A.大極殿(だいごくでん)に置かれた、天皇が即位の儀式などで着座する玉座のことです。最も神聖でおそれ多い場所であり、その柱を削るという道長の行動は、いかに大胆であったかを示しています。
Q.テストでは特にどこが問われますか。
A.(1)三兄弟の対比と道長の人物像、(2)最高敬語による主語の判別、(3)「念ず」「あさまし」「つれなし」など多義語の意味、(4)削り屑による検証の流れ、の四つが定番です。本文の呼び名(入道殿・中関白殿・粟田殿)も必ず押さえておきましょう。
11. まとめ
「道長の豪胆(肝だめし)」は、同じ課題に挑む三兄弟の対比によって、末弟・道長の落ち着きと度胸をくっきりと描き出した名場面です。読解のカギは三つ。第一に、道隆・道兼には「念じて」「わななくわななく」と恐怖の描写がつくのに、道長にはそれがないという書き分け。第二に、帝にだけ使われる最高敬語を手がかりに省略された主語を補うこと。第三に、「念ず」「あさまし」「つれなし」といった多義語を文脈に合わせて正しく訳すことです。これらを押さえれば、定期テストでも入試でも、この場面の設問はぐっと解きやすくなります。最後に、削り屑を柱に当ててぴたりと合う場面まで読み取れば、道長の用意周到さ(証拠を残す冷静さ)まで理解でき、人物像の説明問題にも自信を持って答えられるようになります。
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