「本が読みたくてたまらない」——その気持ちを、今から千年近く前に、これほど熱く書き残した人がいました。『更級日記』の作者・菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)です。この記事では、東国育ちの少女が物語にあこがれる「門出(あこがれ)」の冒頭と、上京後についに『源氏物語』五十余巻を手に入れて夢中で読みふける「源氏の五十余巻」の場面を、やさしく読み解いていきます。
『更級日記』は、平安時代の女性が自分の半生(十三歳から五十歳すぎまで)を振り返って書いた回想録です。その書き出しと前半の山場にあたるのが、今回の二つの場面。物語が大好きな少女の、いきいきとした「あこがれ」と「歓喜」が伝わってくる、教科書でもおなじみの名場面です。
1. この場面はどんな話か
大きく分けて二つの場面を読みます。
- 門出(あこがれ)……父の任地である東国(上総国〔かずさのくに〕、今の千葉県中部)で育った作者が、「物語」というものの存在を人づてに聞き、「いつか読んでみたい」と仏に祈ります。やがて十三歳の年、都へ上るために旅立つ(門出する)場面です。
- 源氏の五十余巻……上京後、思うように物語が手に入らず気をもんでいた作者が、おばにあたる人から『源氏物語』全巻をどっさりもらい受け、人にも会わず、几帳(きちょう)の中にこもって昼も夜も読みふける場面です。
どちらも、十代の少女の「読みたい」という一途な思いが軸になっています。
2. 原文(採録範囲について)
『更級日記』のこの前後は長いので、ここでは教科書でよく採られる二か所の核心部分に絞って原文を掲げます。冒頭の「門出(あこがれ)」の書き出しと、「源氏の五十余巻」の山場(おばから物語をもらい受け、夢中で読む場面)です。原文は歴史的仮名遣いで示します。
原文(A)門出・あこがれ(冒頭)
あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居(よひゐ)などに、姉、継母(ままはは)などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。
いみじく心もとなきままに、等身(とうしん)に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げ給ひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せ給へ」と、身を捨てて額(ぬか)をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月(ながつき)三日門出して、いまたちといふ所に移る。
原文(B)源氏の五十余巻(山場)
をばなる人の田舎よりのぼりたる所に渡いたれば、「いとうつくしう、生ひなりにけり」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。まめまめしきものは、まさなかりなむ。ゆかしくしたまふなるものを奉らむ」とて、源氏の五十余巻、櫃(ひつ)に入りながら、在中将(ざいちゅうじょう)、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。
はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず、几帳(きちょう)のうちにうち臥して、引き出でつつ見る心地、后(きさき)の位も何にかはせむ。昼は日暮らし、夜は目のさめたる限り、灯(ひ)を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふ。
(※このあと作品では、夢に僧が現れて「法華経五の巻を早く習え」と告げる場面が続きますが、夢の場面の細かな字句は版によって異同があるため、ここでは確実な範囲にとどめています。)
3. 現代語訳
原文の段落に対応させて、やさしく訳します。
現代語訳(A)門出・あこがれ
都から東国へ向かう道の果て(=常陸〔ひたち〕の国)よりも、さらに奥の方(=上総の国)で育った私は、どんなにか田舎じみてみっともなかっただろうに、どういうわけで思い始めたのだろうか、世の中には物語というものがあるそうだが、それをなんとかして読みたいと思い続けて、することもない昼や、夜起きているときなどに、姉や継母といった人たちが、あの物語、この物語、光源氏のことなどを、あちこち(断片的に)語るのを聞くと、ますます読みたい気持ちがつのるけれど、私の思いどおりに、(誰も)どうしてそらで(暗記して)語ってくれようか、いや、語ってはくれない。
たまらなく待ち遠しい思いのまま、等身大の薬師仏(やくしぶつ)を造って、手を洗い清めなどして、人のいない間にこっそり(仏の前に)入っては、「早く都へ上らせてくださって、物語がたくさんあるそうですから、あるだけ全部見せてください」と、一心に額を床につけてお祈り申し上げているうちに、十三になる年、(いよいよ)上京しようというので、九月三日に門出をして、「いまたち」という所に移る。
現代語訳(B)源氏の五十余巻
おばにあたる人が田舎から(都へ)上って来ている所に(私が)行ったところ、「まあかわいらしく、成長したこと」などと、(私を)いとおしがり、珍しがって、(私が)帰るときに、「何をさしあげましょうか。実用的なものは、つまらないでしょう。あなたがほしがっていらっしゃるという物語をさしあげましょう」と言って、『源氏物語』五十余巻を、櫃(=ふた付きの箱)に入ったまま(そっくり)、それに『在中将』『とほぎみ』『せり河』『しらら』『あさうづ』などという物語類を、一袋に入れて(くださって)、(それを)いただいて帰るときの気持ちのうれしさといったら、もう格別だった。
(これまで)気がはやるばかりで、わずかに(断片を)読んでは、筋もよくわからずもどかしく思っていた『源氏物語』を、第一巻から(順に)、誰にもじゃまされず、几帳の中にうつ伏して、(一巻ずつ)取り出しては読む気持ちといったら、皇后の位だって何になろう(、いや、これにはかなわない)。昼は一日中、夜は目が覚めている間じゅう、灯火(ともしび)を近くにともして、これを読むよりほかのことはしないので、いつのまにか自然と、(物語の文句が)そらで思い浮かぶようになるのを、(私は)すばらしいことだと思っている。
4. 重要語句・敬語・文法のポイント
この場面でおさえておきたい古語・敬語・助動詞・係り結びを、ポイントを絞って整理します。
覚えておきたい古語
- あやし……ここでは「身分が低い・田舎びている・みすぼらしい」の意味。「不思議だ」の意味もありますが、ここは前者です。
- ゆかし……「見たい・知りたい・心ひかれる」。この話のキーワードです。「いとどゆかしさまされど」=「ますます(読みたい・知りたい)気持ちがつのるけれど」。
- つれづれなり……「することがなく退屈だ・所在ない」。
- 宵居(よひゐ)……夜、寝ないで起きていること。
- 心もとなし……「待ち遠しい・じれったい・不安だ」。本文では「いみじく心もとなきままに」「心もとなく思ふ」と二度出てきます。
- うつくし……「かわいらしい・いとしい」。現代語の「美しい」ではなく、幼いものへの愛情を表します。
- まめまめし……「実用的だ・まじめだ」。「まめまめしきもの」=実用品。
- まさなし……「よくない・好ましくない・みっともない」。
- はしるはしる……「気がせいて・あわてて・急いで」の意の副詞的表現。「走る走る」と書きますが、走っているのではなく「気持ちがはやって」というニュアンス。
- いみじ……程度が甚だしいことを表し、「すばらしい」とも「ひどい」とも訳せる万能語。文脈で判断します。本文の「うれしさぞいみじきや」は「うれしさといったら格別だ」とよい意味で使われています。
敬語(だれからだれへの敬意か)
- 「京にとく上げ給ひて……見せ給へ」の「給ふ」……尊敬の補助動詞。祈っている作者から、祈る相手である薬師仏への敬意です。仏に願う言葉なので、最高の相手への敬意になっています。
- 「奉らむ」の「奉る」……「与ふ」の謙譲語で「さしあげる」。おばが(物語を受け取る)作者を高めて、へりくだって言っている言葉です。会話文の中の敬語なので、話し手(おば)から聞き手側(作者)への敬意になります。
- 「ゆかしくしたまふなる」の「たまふ」……尊敬。おばが、相手である作者を立てて言っています。
ポイントは、地の文の敬語ではなく「会話文・祈りの言葉」の中の敬語だということ。敬語の方向を答えるときは「だれのセリフか」をまず確かめましょう。
助動詞・文法
- 「見ばや」の「ばや」……自分の願望を表す終助詞「〜たい」。「いかで見ばや」=「なんとかして見たい」。
- 「あんなる」「候ふなる」の「なる」……伝聞・推定の助動詞「なり」。「〜だそうだ・〜ようだ」。人から聞いた話として「物語があるそうだ」「たくさんあるそうだ」と言っています。直前が「あん(あるの撥音便)」「候ふ」のように、ラ変型・終止形につく「なり」は伝聞推定です(断定の「なり」と区別)。
- 「けむ」(あやしかりけむ など)……過去推量の助動詞。「〜だっただろう」。昔の自分を振り返って推し量る言い方で、回想録らしい表現です。
- 「奉らむ」「見果てむ」の「む」……意志の助動詞「〜しよう」。
- 「まさなかりなむ」の「なむ」……完了「ぬ」の未然形+推量「む」で「きっと〜だろう」という強い推量。「(実用品では)きっとつまらないだろう」。
係り結び(ここが入試頻出)
- 「うれしさぞいみじきや」……係助詞「ぞ」を受けて、文末が連体形「いみじき」で結ばれています。「ぞ」は強調。「うれしさは、まあ格別なことよ」と、喜びを強めています(文末の「や」は詠嘆)。
- 「后の位も何にかはせむ」……係助詞「か」を受けて、文末が連体形「む(せむ)」で結ばれる、反語の表現。「皇后の位だって何になろうか、いや、何にもならない(この読書の喜びにはかなわない)」という意味。この一文がこの段の名句です。
5. 主題・あらすじ・背景
主題
この二場面に共通する主題は、「物語(文学)への純粋なあこがれと、それがかなった歓喜」です。とりわけ「源氏の五十余巻」の場面の「后の位も何にかはせむ(皇后の位だってこの喜びにはかなわない)」は、本を読む幸福をこれ以上ないほど強く言い切った一句として有名です。読書好きなら誰もが共感できる、時代を超えた名場面と言えます。
あらすじの流れ
- 東国育ちの作者が、姉や継母の話で物語の存在を知り、「読みたい」と仏に祈る(門出・あこがれ)。
- 十三歳で上京するが、都でもなかなか物語が手に入らず、じれったく思う。
- おばから『源氏物語』全巻ほかをもらい受け、几帳にこもって昼夜夢中で読みふける(源氏の五十余巻)。
作者と時代背景
作者の菅原孝標女は、学問の神様として知られる菅原道真の子孫にあたる家の娘です。父・菅原孝標が上総国(千葉県中部)の国司(地方長官)として赴任していたため、作者は東国で少女時代を過ごしました。この日記は、作者が晩年(五十歳すぎ)になってから、過ぎ去った半生を回想してまとめたものとされます。
『更級日記』は、『蜻蛉日記(かげろうにっき)』『紫式部日記』『和泉式部日記』などと並ぶ、平安時代の女流日記文学の代表作の一つです。物語に夢中だった少女が、やがて結婚・出産・死別を経験し、晩年には信仰に心を寄せていく——そうした一人の女性の人生全体を、しみじみとした筆致でつづっている点に、この作品の深い魅力があります。今回読んだ「あこがれ」の場面は、その長い人生の出発点として置かれた、明るくみずみずしい一幕なのです。
※原文・現代語訳は、教科書に広く採られている本文に基づき、複数の古典学習資料で字句を照合して作成しています。版本(藤原定家筆 御物本など)によって細部の表記に異同がある場合があります。
✅ 定期テスト前の仕上げに|この場面の確認テスト


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